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第161話 ただいま。(1)
涼矢は小さく深呼吸した。悪いほうに考えるのはやめよう。
告白した時には、それが受け入れられる可能性など考えてもいなかった。
つきあおうと言われても、同情と興味本位だけで、すぐに冷めると思っていた。
体を重ねても、遠く離れたら終わってしまう覚悟をしていた。
それが、いつか2人で暮らす日を想像できるところまでたどりつけたのだ。
いつか和樹と2人で暮らす街。それを想像するなら、今はまだ、楽しい夢のような想像をしたほうがいい。そのぐらいのことは、許されてもいい気がする。和樹に言えば、「俺が許す」と言ってくれるだろう。
とりあえず、街灯の強烈な明かりが入るアパートは選ばないようにして、防音のしっかりした部屋にしよう。ベッドはダブルがいい。今の和樹のセミダブルでもなんとかなるが、まだそれでも狭い。キッチンももっと広いほうがいい。プールのあるスポーツ施設が近くにあるといい。図書館もあると和樹は嬉しいかもしれない。都内だと車を持つのは無理か。だったら駅の近くがいいのかな。男2人で働くんだから、家賃はそこそこ高くても大丈夫だろう。男2人。そうだ、それが最大の難関だ。世田谷とか渋谷なら、そういうカップルも受け入れてもらい易いのかな。ドイツみたいに、日本でも条例レベルじゃなくて、同性婚を認めてくれればいいのにな。
『そこはさあ、おまえが弁護士になってバーンと法律変えちゃってよ。』
和樹のそんな言葉が脳裏をよぎり、涼矢は一人、思い出し笑いをした。俺は弁護士だから無理だけど、哲が政治家にでもなってくれりゃあな。そんなことまで考えて、あながちありえなくないと思ったりもする。
夕食と、ついでに翌朝の朝食の買い物を済ませて、涼矢はアパートに戻る。その道すがらのドラッグストアで、結局コンドームも買った。
アパートに戻って、靴を脱いでいると、テレビを見ていたらしい和樹が「おかえり」と言った。
「ん。」返事とも言えない返事をして、室内に入る。
「たーだーいーまー。」和樹がわざとらしく発音した。
「ああ、ただいま。」適当にそう言って、手を洗う。
「そういうの大事でしょ。俺言ったでしょ。おかえり・ただいまが言える暮らしがしたいって。」
そう言われて、「ただいま」を言い慣れない自分に気が付いた。「おかえり」とは言っても「ただいま」を言う機会はあまりない。
涼矢は和樹の元に走り寄った。ほんの数歩のことではあるが。テレビの前であぐらをかいていた和樹を抱きしめた。「ただいま。」
「そこまでしなくていいけどさ。」和樹は照れくさそうに笑った。
「和樹の言った通りだ。」
「ん? 何が。」
「ただいまって言って、おかえりって迎えてもらうの、嬉しい。」
「だろ?」
涼矢はドラッグストアの袋を和樹に渡す。「俺のだけじゃ足りなくなるといけないから、買ってきた。」
和樹は笑う。「足りなくなるって、何回ヤル気だよ。」
「知らね。絶倫の和樹さん次第なので。」
和樹はフン、と鼻先で笑う。
涼矢は座る間もなくキッチンに立ち、夕食の準備に取り掛かった。まだ日も暮れきっていない。和樹は、準備するにしては早過ぎやしないかと思った。初めて涼矢のオムライスを食べた時は、「ありもので適当にぱぱっと作れる」料理として出てきたように思う。が、涼矢のことだから何か考えあってのことなのだろうと判断して、指摘はしなかった。
結局涼矢は2時間近くキッチンに立ち、夕食はいつもの夕食と変わらない時間に開始された。
テーブルの上には、オムライス。
だが、それだけではなかった。小さめのハンバーグとエビフライも同じプレートに載っているし、更にアルミカップに入ったグラタンらしきものもある。そして、スープボウルに正しくスープが注がれているのを、初めて見た。
「なんか、すげえな。」
「豪華目のお子様ランチ。和樹が好きそうなものを一堂に会してみた。」
「どうせお子様な味覚ですよ。いただきまぁす。」和樹はスープを口に入れた。「あ、冷たい。」
「冷製スープでございます。ビシソワーズ。ちょっとね、これ冷やすのに時間がかかったりして。」
「すげえな。こんなの、家で作れるんだ。」
「作るの、楽しかった。こういうの、こんな時でもないと作らないからなあ。でも、手際をもう少しよくしないと……。」
「言ってくれれば、何か手伝ったのに。」
「それ、時短になる?」
「ひっでえな。あ、ほら、ハンバーグ。こねるの、得意。」
「そっか。でも、献立のネタバレをしたら、今みたいな感動、なかっただろ。」
「サプライズにしたかったの? なんで?」
「え。いや、そんな深い意味はないけど……。それにちゃんとできるか分かんなかったし。途中でやっぱり面倒だからオムライスだけにするかも、とか……。」
「なんか歯切れ悪いな。」
涼矢は少しためらった後に言う。「……ちょっとは、悪いと思ってるんで、その謝罪もこめてる。」
「何を?」と聞いた矢先に思い出したようだ。「あ、パンツのこと?」
「うん、まあ。」
「ちょっとだけなんだ? 大いに反省してほしいんだけど?」
「そこまで悪いことしたとも思ってない。」
「なんだとぉ。」そうは言いつつも、笑い出してしまい、ちっとも怒っているようには見えない。和樹自身、もう怒る気力も失せていた。「でもま、すげえ美味いし。」
涼矢はニッと笑って、控えめなガッツポーズを決めた。
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