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第941話 半宵 (1)
さっきの佐江子の態度からしても、気に入られていることは分かる。相変わらず本音が見えないところのある佐江子ではあるけれど、少なくとも嫌われてはいないだろう。ただそれは、「現時点では」という注釈つきだ。「今のところ」は、涼矢にとっての、害を与えるよりは支えとなる存在でいてやれているから。その点では、せっかくの帰省中の外泊を、「賢くてお行儀のいい田崎くんなら」と許す恵と同じ発想なのだ。
――この先。大学を出て、就職して。少し遅れて涼矢が弁護士になれた暁には同棲を始める。そのとき、俺は親父とおふくろにどう説明するのだろう。涼矢も上京することになったからルームシェアする。……うん、そんな理由も数年は通るだろう。でも俺たちだってやがて三十になり、四十になる。そんな俺と同世代のこどものいる周囲の人たちから、息子が結婚しただの、孫が生まれただのという雑音が聞こえてくるようになって、それでもなお「学生時代からの友人」との同居生活を続ける息子を、黙って温かく見守ってくれる親だとは思えない。
――涼矢の親にしたってそうだ。「難関資格を目指す息子の心の支えになるのなら」。そんな条件付きで気に入られているのなら、晴れて弁護士になったときには俺なんか用済みだ。うちの親みたいに結婚だ孫だなんてことにはこだわらないんだろうけど、そのときにはもっと大きな存在になってなくちゃ認めてもらえない気がする。ただ心の支えになるだけじゃなくて、涼矢をもっと上に引き揚げてやれるような、そういう存在に。
「何考えてんの。」
涼矢の声が頭上から聞こえてきて、それと同時に、頬を乗せている涼矢の胸が振動する。
「ん。」
返事にもならない返事をして、和樹は体の位置をずらす。そのつもりはなかったが、結果的に涼矢に腕枕してもらう格好になった。涼矢は更に腕を曲げて和樹の頭を自分に引き寄せ、ついでのように和樹の後頭部を撫で上げた。
「やっぱ和樹の方がまだ短いな。かなり切ったつもりでいたけど。」
「俺、後ろは刈り上げてるし。」
「そこまでの勇気はなかった。」
「勇気って。」
和樹が笑うと、今度は和樹の振動が涼矢に伝わった。
「次はいっそ金髪にでもしようかな。」
「それはまた突然だな。」
「そういうの何も気にせずできるのも学生のうちだけだろうし。」
「涼矢が金髪にするなら俺はアフロかな。」
「それはやだなあ。」
「どんな俺でもいいんじゃないの。」
「和樹が本当にしたいならいいけど、受け狙いでするんだったらやめてほしい。」
「おまえのパツキンは受け狙いじゃないのかよ。」
「結構本気。」
「マジで。」
「ポン太見てるとね、時々、いいなって思うんだよ。」
「ポン太が?」
「あいつはやりたいことをやりたいって言う。好きなものを好きって言う。そんで、ちゃんとそれを実践して、手に入れてる。」
「まあ、確かに。」
「羨ましがるだけで何もしない奴よりよっぽどいい。」
「……俺批判かよ。」
「違う、俺のこと。それで言うなら和樹はポン太側だ。」
「それもまた複雑な心境。……で、本気で金髪にしたいの?」
「金髪でもスキンヘッドでも、それこそアフロでもいいんだけどね。変身願望はある。」
「あー、変身ね。」
「目立ちたいとかじゃなくて。」
「うん、自分以外になってみたい感じ?」
「そう。」
「もしかして、部活引退して髪伸ばしたのも、それ?」
「……そうかもな。今思えば、だけど。」
無意識には、かつての香椎の面影をなぞっていたようにも思うけれど、和樹に言うつもりはない。
「ピアスもかな。おまえの提案だった。」
「ん。でも、ピアスはやっぱ、一応は体を傷つけることだし、一人じゃできなかったかも。髪型は万一失敗しても取り返しが付くから。……なんて、保険かけきゃそんなこともできないわけだ、俺は。」
「いちいち考えすぎるんだよ。いいじゃん、金髪。嫌になったら戻せるしさ。」
「和樹も一緒にする?」
「しねえけど。」
和樹の即答に涼矢は笑い、一瞬の間を置いて和樹が気色ばんだ。
「あ、おまえ、ハゲるのを気にしてると思ってんな?」
「違うの? 金髪って地肌を相当傷めるんだろ?」
「ちげぇわ、単にあんまり好きじゃないってだけ。」
「だったら俺もしないよ。」
「おまえはおまえの好きにしたらいい。」
「ああ、和樹って昔からそういうとこあるよね。」
「そういうとこってなんだよ。」
「川島さんにも、もっと清楚な服着ろとか、言わなかっただろ?」
「言わないよ。服なんか本人の好きなの着りゃいいと思ってるし。まあ、その分、ちょこっと髪型変えたぐらいじゃ気が付かなくて怒られたけど。」
涼矢がふふっと笑う。和樹はその横顔をきょとんと見つめた。
「俺には、眼鏡かけろって言う。」
「かけろ、とは言ってない。似合うってだけで。」
「いいよ、言ってよ。金髪にしろでも、眼鏡かけろでも。」
「命令されたいわけ?」
ふいにベッドがたわみ、和樹の頭の下から涼矢の腕が抜かれた。涼矢は和樹に覆いかぶさるように動き、和樹の顔の左右に手をついた。
「他の奴には言わないことを言って欲しいと思ってる。」
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