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第165話 ただいま。(5)

「……ごめん。」と涼矢が言った。 「何が?」 「あんまり、優しくできなかった、から。」気まずそうに言う。 「……え?」  びっくりして聞き返す和樹に、涼矢も不思議そうな表情を浮かべた。 「いや、別に、優しくなくはなかったと言うか、これがごめんレベルなら、土下座レベルのこと、散々っぱらやってるよな?」 「……え、そう? 何やらかしてる?」 「それ、本気で言ってる? で、今のはそんなに悪いことしたと思ってるの?」 「うん。いつもより大変そうだったし。痛そうだし。ローションなしだし中出ししたし。……ああ、シャワーしてきたら?」 「シャワーはするけども。」和樹は腑に落ちない表情を浮かべて、涼矢にからめていた腕を外した。「おまえ、なんかズレてるぞ。」 「変なこと言った?」 「変て言うか……。あのね、今のは、別に、全然悪いことしてないから。」 「じゃあ、良いことだった?」 「……良いことだよ。」和樹はバスルームへと向かい、中へと消える寸前に涼矢を振り向いた。「とても、良かった。」  翌日は8月も末日だった。そのことを特別に意識もせずに歩いていると、やけにたくさんの小学生を見た。和樹と涼矢は、和樹の大学に行くために駅に向かっていた。涼矢がなにげなく和樹の大学はアパートから近いのかと尋ねたのが発端だ。和樹は、電車に乗ってドアtoドアで30分ほどだと説明した後、2人で行ってみようと言い出したのだ。  涼矢は当初それを断った。和樹の友達と顔を会わせるのは気が進まなかったからだ。だが、和樹は、夏休み中でそんなに多くの学生が来ているとは思えないから大丈夫、と押し切った。 「これか。」和樹が立ち止まったのは、駅の近くにある区の掲示板の前だった。防災訓練のお知らせやら、区民センターの催し物やらについてのチラシが掲示されている。和樹が見ていたのは、区立小学校の校庭で行われるおまつりのポスターだ。夏休み最終日、こどものために開催されるおまつりは、午前10時から午後2時までと、大人が参加するおまつりとは違って早い時間に開催されるようだ。時計を見るともうすぐ10時になるところだ。やたらと小学生が目に付いた理由が判明した。 「こんな都会でも、小学生、いるんだな。」 「いるな。校庭、めっちゃ狭いけど。」 「普段はどこで遊ぶんだろ。ゲーセンとか?」 「それか、友達の家か、そんなところじゃない? 公園もあるけどね、いるのはもっと小さい子を連れた親子で、小中学生はあんまり見ない。あ、あと図書館にいたりするよ。」 「真面目だな。」 「違う違う、パソコンコーナーでネットやってる。あと、その近くはゲーム機使えるらしくて、そこに集まってゲームやってたりする。」 「へえ。」  電車に乗り、大学の最寄り駅に着いた。徒歩だとそこからまた15分ほどかかると言う。バスもあるそうだが、特別に急いでいるわけでもないので歩くことにした。  2人は和樹の大学に到着した。欅並木が印象的なキャンパスだ。 「こんな感じで。まあ、普通だよ。」 「校舎はここだけ? 東京の大学って、あちこちになんとかキャンパスってあるじゃない?」 「うん、ここだけ。あんまり人数多くないしね。そか、涼矢のとこは学部も多いから、もっと大きいな?」 「敷地は広いし、校舎ももっと多いけど……まあ、土地はあるからね。講義によっては移動が大変だよ。」 「バス通ってる?」 「そこまでじゃないけど。あ、でもキャンパス内移動専用のレンタサイクルみたいなのは、あるらしい。」 「ふうん。涼矢は乗らないの、それ?」 「乗らない。乗る場所と降りる場所決まってんだよ。逆に面倒。だから、遠くて間に合わなさそうな時は、走る。」 「走る。」和樹は何故かそれがおかしくて笑ってしまう。 「哲がめんどくさい時も、走って撒く。あいつ体力ねえから絶対走らない。」 「シンプルだな。」 「その時ぐらいだな、走るの。」 「俺、もう少ししたらチャリ通にしようかと思って。交通費かかんないし。駅まで歩いて往復すること考えたら、大して時間変わらないんだよ。」 「ああ、いいんじゃない。」 「でも、俺のアパート、自転車置き場がなくてさ。大家さんに相談しないと。」 「自転車すら置き場所に困るのか。」 「そうだよ。勝手に置いておくと放置自転車っつって、区役所の人に撤去されて、返してもらうのに金払うんだから。」 「大変だな、都会。俺も大学行くのに、チャリ通に戻そうかな。ちょっと遠いけど、やってやれないことはなさそう。だせえ高校名シールは剥がして。」 「ああ、あったあった。あのシール、超だせえよな。つか、うちの校章のデザインがだせえんだ。」ほんの数か月前まで、そのシールを貼った自転車に乗り、校章がデザインされた制服と鞄で通学していた2人だった。 「おまえがあっちで乗ってたチャリはどうしたの?」 「知らね。マンションの駐輪場に置きっぱなしだと思うけど。帰省した時に乗るかもしれないしな。ほら、俺は車の運転できないんで。」 「帰省した時は、専属の運転手が送り迎えしますから。」 「いいねえ、お抱え運転手付きの、BМW。」 「メイドよりは、それらしくできるよ。」 「はは。」そんなこと言いながら、校舎内に入る。教室もいくつかのぞいてはみるが、今は基本的に講義はしておらず、空き教室など見たところで、涼矢の大学とそう大きな違いがあるものでもない。 「学食行くか。」和樹は涼矢の返事を待たずに歩き出したが、涼矢は「いや、それは。」と断った。

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