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第166話 ただいま。(6)
「え、なんで? まだ腹減ってない? 軽食もあるよ。お茶だけでも。」
「じゃなくて。誰か、知り合いに会うかもしれないだろ。サークルの人とか。」そんな時に備えて、一応お揃いのピアスは外してきた涼矢だった。
「そりゃま、会うかもな。でも、それは学内歩いてりゃどこだって同じだろ。」
「確率的に。学食とか部室とかって、会いそうじゃない? 」
「ああ、部室もあるよ。行く?」
「だから、それは……。つか、もういいよ、満足した。和樹のキャンパス見られて。」
「もう、気にしいだなあ。」
涼矢が気にするのは、"ミヤさん"の件があったからだ。ああいう風に、2人の関係を見破る人間がほかにいないとも限らない。それともうひとつ、あの時、車に同乗した女性たち。そういった和樹に関連する女の子たちにも、できれば会いたくなかった。
そんな涼矢の心配は、学食や部室に行くまでもなく的中した。「おや、都倉。」声をかけてきたのは鈴木。バーベキューの時の幹事だ。更にその隣には、鈴木と同じくサークル仲間の渡辺もいる。
「よう。」和樹は軽く挨拶する。「どうしたの。」
「今日は広告主さんとこに行くんだ。学祭のパンフに載せる、広告の。大口のところだから、挨拶しないと。」
「ああ、そうなんだ。ご苦労さん。」
「えっと、田崎くんだよね。バーベキューの時の、助っ人の。」鈴木は名前を正確に覚えていた。
「はい。その節はどうも。」
「いやいや、こちらこそ。……あれ、なんか、遠くにいる人じゃなかったっけ。」
「遠くにいる人です。もうすぐ帰るけど。」
「そうなんだ。こんな長く、ホテル泊まってんの? 親戚でもいる?」
「うちにいる。」和樹が答えた。
「ああ、へえ。そうなんだ。」鈴木は和樹と涼矢の顔を交互に見た。涼矢はついうつむきがちになる。「都倉んち、どこだっけ。」
「西荻。」
「近いな。今度俺も寄らせてよ。」
「……鈴木だって近いだろ。自宅からだよな?」
「実家だけど、近くないよ、俺、柏から通ってんだよ。」
「柏……って、千葉の、柏?」
「そうだよ、1時間以上かかる。」
「そうなんだ。」
「朝はいいんだけどさ、夜はちょっと遅くなるとすごい面倒。うち、駅から更にバスの距離だから。終バス逃したら、親に車で迎えに来てもらうんだわ。だからさ、今度、そういう時あったら、よろしく。」
渡辺も口を挟んだ。本来、和樹は鈴木よりも渡辺のほうが親しい。「俺も。でも都倉、前に頼んだ時、泊めてくれなかったよな。」
「おまえんちは、それこそ地元だろ。」和樹が言う。
「だから一人暮らしの家に興味あるんだよ。実家だと女も呼べねえよ。」
「そんな理由で俺の部屋貸してくれなんて言っても、絶対に貸さないからな。」
「ちぇ、バレたか。」
「俺はそんな理由じゃないよ。学祭近づいたら忙しくなるし、遅くなる日も増えるだろうしさ。」鈴木はバーベキューの時も幹事をやっていたが、サークルでも学年のリーダーだ。半ば幽霊部員の和樹と違い、それなりに忙しく活動しているらしい。和樹の所属する学祭実行委員会は名簿の上なら100人超のメンバーを抱える大きなサークルだ。部長まで勤めれば就職にも役に立つと噂されている。もっとも、和樹はそれを目的としているわけではない。だからこその半幽霊部員だ。
「ああ、まあ、うん。人を呼べる状態だったらな。」和樹は涼矢を気にしながら答えた。気にはしていたが、鈴木達の手前、涼矢のほうを向いて、顔色を伺うような真似もできない。
「寝る場所さえあればいいから。だって田崎くんは、えっと、10日ぐらい、いるんだろ? 余裕で泊まれそうじゃん。」バーベキューの日から逆算したようだ。
「……どうしてもの時はね。」
「サンキュ。じゃね。」
鈴木達がようやく去っていく。2人は学食に向かうのはやめて、特に目的もなくキャンパスをうろついた。
「餃子パーティーでもしてやれば。」と涼矢が無表情に言う。
「それは怒ってるアピール?」
「怒ってはいない。」
「すねてる?」
「少しね。でも、9割方仕方ないと思ってる。人付き合いは大事だ。」
「……と、自分に言い聞かせている涼矢くん、可愛いねえ。」
「まあ、和樹が、今まで、あの部屋に人を入れないように努力していたのは分かったから。」
「操を立ててるのよ、ちゃんと。エミリの件は特別。」
「うん。」
「手すら握られてないからね、俺は。きみと違って。」
「お化けと哲の話か?」飲み会の席で突然涼矢の手を握ってきた。しかし、誰もその子のことを覚えておらず、それきりキャンパスでも見ないという、例の女子学生。「お化け」とは彼女のことを指しているのだろう。
「お化け決定なんだ。」
「だって、そう考えるのが一番辻褄が合う。」
「そういうの信じるほう?」
「信じないほう。」
「だろうね。でもお化けだと思ってるんだ。」
「地球外生命体はいると思うし、霊魂的な何らかのエネルギー体はあるのかもしれないと思ってるよ。でも、人に憑依したり悪さしたりするような幽霊はいないと思ってる。」
「じゃあ、おまえの手を握ったのは、霊魂的な何らかのエネルギー体か。」
「そうだね。または、おまえがいなくて淋しいと思う俺の心が生みだした幻とか。」
「そうだとしたら、その時、手を握ったのは俺の生き霊みたいなもんか。」
「だといいね。あまりおまえには似てなかったけど。」
「いいのかよ。」和樹は吹き出す。
「生き霊でも夢でも、和樹に会えるならいいよ。」
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