167 / 1020
第167話 ただいま。(7)
「あっそ。」和樹は照れくさそうに笑った。「おまえは全然出てこないな。夢にも出てきてくれない。」
「和樹の、俺を想う気持ちが足りないんだ。」
「違うよ、夢に出るのは、出てくる側の想いの強さによるんだって、平安時代の人が言ってた。」
「聞いたのかよ。」
「古文の授業でそういう話、聞いた。」
「古文はお昼寝タイムだったからな……。」
「うお、意外。真面目が取り柄の涼矢くんが。寝てたの気付かなかったなあ。」
「まぶたに目玉描いてたからね。」
「嘘だろ。」
「嘘だよ。でも目の下にメンタム塗って起きている努力はした。それでも眠くて。あの古文の先生の声、α波が出まくる。」
「ヨッシー、無駄に美声だったもんね。」
「そうだ、吉田先生だ。魅惑の低音ボイス。顔さえ見なければ良い男だよな。」
「ああいう声、好きなんだ?」
「あ……。」涼矢がハッとして口を隠すような仕草をした。
「おまえが他の男をそんな風に褒めるの、初めて聞いたわ。」
「ごめん。」
「いや、いいけど。つか、謝られると逆に、そこまでマジなのかよって。」
「妬く?」
「妬く。」
「そんなんじゃないよ。当たり前だけど。良い声してるなって、それだけ。」
「分かってるよ。」和樹は笑う。「おまえ、メンクイだからな、ヨッシーはないだろ?」
「ないね。失礼ながら。」
「ははっ。」和樹は涼矢に顔を向けた。「同じクラスで良かったな。」
「え?」
「1年の時、同じクラスになったから、出会えて。卒業する時も同じクラスだったから、こんな風になれたし、こんな話もできる。」
「……ああ、うん。」涼矢ははにかんだ。
「2年の時は、何組?」
「えと……国立文系のクラスだから……DかEかF。」
「また大ざっぱな。俺、Dだったよ。てことは、EかFだな。北校舎?」
「北校舎。」
「じゃあ、Fだ。スガッチとか、モモネンと同じだろ?」和樹は水泳部員の名前を挙げた。
「うん、確かそう。」
「だからあんまり会わなかったんだな。俺、南校舎だったから。」
「同じ校舎でも、和樹さんは俺のことなんか視界に入ってなかったでしょうに。」
「入ってるさ、ライバルだもん。」
「……俺は見てたよ。おまえの教室、中庭挟んで、お向かいだったから。」
「そっちから見えるのは廊下側だろ?」
「そうだよ。休み時間とか、廊下に出てくるのを見てた。おまえいっつも、誰かとじゃれあいながら教室から出てきて。人気者だなあって思いながら見てた。」
和樹はかつての級友たちとそうしていたように、涼矢の肩に腕を回した。「そうそう、こんなんしてたな、よく。」
「こら、こんなとこで。」涼矢は腕を外そうとしたが、和樹は離そうとしない。
和樹はこっそりと耳打ちする。「気がついてやれなくて、ごめんな。」
涼矢は言葉を失い、その場に立ち止まった。和樹が腕を外した。
「でも、クラス違ったの、2年の時だけで、マジ、良かった。」和樹が繰り返した。
涼矢は無言のまま、歩きだす。
「おい、何か反応しろよ。」和樹は肩に手を置いた。
「無理。」涼矢はその肩の手を払った。
「何が。」
「無理。」もう一度そう言うと、涼矢の歩く速度がますます上がった。
「どこに向かってんの。この先、何もないよ。」
「知らないよ、ひとの大学なんだから。」
「逆ギレかい。」
涼矢は急に立ち止まり、すぐ後ろを追いかけていた和樹がぶつかりそうになった。涼矢はその場で深呼吸をしてから「高校の時の話、もう禁止。」と言った。
「はい? なんで? そういう話できるのがいいねって言ったばかりなのに。」
「泣くから。」
「誰が。」
「俺が。」
「片想いしてた頃を思い出してキツイ?」
「それもある、でも、そうじゃなくて。」
「じゃあ何だよ。元カノの話とかはしねえようにするよ。」
「それもあるけど、そうじゃなくて。……その。」
「何?」
「今が、幸せすぎて辛い。」
和樹はキョトンとする。
「ストーカーまがいの、絶対かなうわけないって片想いしてたのが、今はここにこうしているって思うと、泣けてくる。」
「……うわぁ。」
「なんだよ、どうせ俺はキモイよ。」
「違うよ。」和樹は涼矢に背を向けた。「やべ、俺が泣きそう。」
「なんでおまえが泣くんだよ。」
「おまえが今言っただろ、それだよ。ちょっと黙れ、心を落ち着かせるから。」
お互いに背を向けながら、深呼吸をした。
「よし、OK。」和樹が言った。「おまえは?」
「……大丈夫。」
「じゃ、戻るぞ。」
「うん。」
ともだちにシェアしよう!