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第170話 ただいま。(10)

 今までも、少しずつは変わってきていたとは思う。自分も、涼矢も。でも、今回は「飛躍的」だ。今までとは段違いだ。 「おまえ、変わったな?」和樹が言った。  この指摘は、涼矢にとって意外なものではなかったようだ。「……怖い? 俺が急にこんなこと言いだして。」 「怖くないよ。おまえの本心が分からないことのほうがずっと怖い。」和樹は微笑む。「おまえのほうは、怖かっただろ? それ、言うの。」  涼矢はそこでようやく少しだけ動揺して、冷静さを装った表情を崩した。笑顔を作ろうとして失敗したような、歪んだ口元で「うん。怖かった。」と言った。  何がきっかけの変化なのか、和樹には分からない。タイミング的には、サークルの仲間たちと出会ったことだろう。でも、それだけではないような気がした。コップに水がたまっていくように、少しずつ変化していた涼矢の心が、鈴木や舞子との会話で溢れ出したのかもしれない。  和樹がそんなことを考えていると、涼矢がぽつりぽつりと話し出した。「まだ地元にいた時、俺が泣いてすがったら、東京行くのやめるって、おまえ、何度か言ってただろ?」 「ああ。」 「随分ひどいこと言うもんだなって思ったよ。俺がそんなことできないの、分かってるくせにさ。」 「……ああ。そうだな。」 「でも、今、俺はおまえに対して、同じような気持ちがあって。」 「……え。」 「このまま地元に帰るなよって泣いてすがって引き留められたい。そんなことあるわけないの分かってるし、実現しないのも分かってるけど、おまえにそういう風に思われたいんだ。」涼矢は和樹を熱っぽい目で見つめた。「俺がおまえのこと好きなのと同じぐらい、おまえも俺に好きになれって思う。俺と同じぐらい、おまえも俺のことを欲しがればいいって。……今まではそんな風に思わなかった。俺がおまえを好きなだけでいいと思ってた。おまえの一番好きな人が俺じゃなくても構わないって、本当に思ってたんだ。……でも、今は、それじゃ嫌だ。俺だけ好きで、俺だけ傷つくのは、嫌だ。おまえからの気持ちが欲しい。」涼矢はそっと手を伸ばして、和樹の腕に、ほんのわずか触れた。「……全部言った。今のが、正直な気持ち。……そんで、すげえ、怖い。さっきより。」  涼矢がわずかに触れてくる指先が熱い。  つい今しがた、ぐるぐると考えていたこと。自分はそれをうっかり口に出してしまったのかと思ってしまうほど、涼矢から聞きたかった言葉を、全部言ってもらえた。「怖い」という言葉まで聞いてやっと、これが現実だと認識できた。 「怖いのは、それ聞いて、俺が、おまえのこと、好きじゃなくなるかもしれないって思うから?」  涼矢は細かくうなずいた。口元がかすかに震えている。この表情には見覚えがある。忘れるはずがない。告白してきた時と、同じ顔だ。 「そんなわけ、ないだろ。」和樹は涼矢の肩をポンと軽く叩く。「そう思ってほしいって、思ってたよ。ずっと。」    涼矢の双眸が潤む。 「涼矢さ、俺がおまえのこと、どんなに好きか、知らないんだろ。おまえ、自分が好き好き言うほうにばっかりかまけててさ。おまえが今言ったぐらいには、好きだっつうの。泣いてすがって帰るなって言いたいほど好きだよ。おまえが俺のこと好きなのと同じぐらい、おまえのこと好きだよ。いや、俺のほうがもっと好きだよ。俺はおまえと一緒に傷つくぐらいの覚悟、とっくにしてる。」  涼矢はぎゅっと目をつむった。そうしないと、和樹の言葉に集中できないし、泣きだしてしまいそうだったからだ。  和樹はそんな涼矢の唇に、自分の唇を重ねた。ほんの一瞬のことだ。触れるだけの、軽いキスだ。それでも涼矢は飛び上がるほど驚いて、一歩後ずさった。 「こ、こんな、道端でっ……。誰かにっ。」 「こんな真昼間の、それも大学の近くの道端でキスしたくなる程度には見境なくなってるけど、誰もいないことを確認する程度には冷静だよ。」  その言葉を聞いて、涼矢も慌てて周囲を見回した。誰もいる気配はなかった。 「なあ、涼矢。おまえの、さっきの。俺も一緒に傷ついてほしいってさ、そんなの、当たり前にそうするつもりだけど、俺としては、もう一個希望がある。」  涼矢は不安そうに和樹を見た。 「一緒にいられさえすれば、傷ついてもいい、どんなにみじめで辛くてもいい、みんなからどう思われようといいなんて、そんな演歌みたいなの、俺は嫌だからね。……傷つくことばっか考えないで、2人で、ちゃんと笑いたい。自分だけ楽しけりゃいいってのは禁止で、楽しいことも一緒。な?」  涼矢は目を見開いて、無言だ。それから、少し気が抜けたように、小さく、笑った。 「帰ろっか。」和樹が言い、涼矢がうなずく。が、和樹は一歩を踏み出そうとして、言った。「……ここ、どこだ?」 「大学の近く。」 「そりゃ分かってるよ。普段、裏門使わないし、この道来たことねえから、方向が分かんなくなった。駅ってどっちだ。」 「あっち。」涼矢が来た道とは反対側を指す。「和樹って、方向音痴?」 「そ、そんなことねえよっ。」和樹は涼矢の指した方向へ歩き出した。 「ふうん。」

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