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第171話 驟雨(1)

 しばらくの後、2人は電車に揺られていた。車内は空いていて、横並びに座れた。 「……このまま、上野まで行こうか。」涼矢が言った。 「上野?」 「パンダ見たいって。」 「ああ、あれ。いいの?」 「小中学生は、夏休み最終日だろ? 少しは空いてるんじゃない?」 「宿題の追い込みだよな。徹夜して絵日記書く日だ。」 「おまえはそうだったんだろうな。」涼矢はクスッと笑う。 「はいはい、きみはさぞかしばっちり計画的にやっていたんでしょうね。」 「家庭教師に褒められたいっていう、下心があったからね。」和樹はハッとして涼矢を見る。涼矢もその視線に気づいて、微笑んだ。「良い思い出だって、あるんだよ。最後はあんな終わり方だったけど。」 「そっか。」できるだけなんでもないことのように、和樹は振る舞った。具体的にどんな思い出だったのか、涼矢が語り出すつもりなら、聞いてやろうと思った。「先生との思い出」を聞いてやれるのは、きっと俺しかいないのだから。  でも、涼矢はそれ以上その話を広げることはせず、「本物のパンダ、見たことある?」と聞いてきた。 「ない。」 「俺も。コアラはあるけど。」 「オーストラリアで?」和樹は冗談のつもりでそう言ったのだが、涼矢は当然のことのように「うん。」と答えた。 「ホームステイしてる彼女って、コアラか?」 「そうそう。今頃ユーカリ食ってるよ。」 「ははっ。」 「あれも夏休みだったな。いつだっけな。4年生ぐらいかな。時差はほとんどないけど、季節は逆だから、寒かったの覚えてる。」 「いいなあ、海外。俺もどっか行きたいなぁ。」 「そのうち一緒に行きましょう。」 「卒業旅行とか?」 「うん。」 「新婚旅行とか?」 「行けるといいね。」 「……楽しみだな。」  涼矢が和樹のほうを見て、にっこり笑う。「卒業旅行行って、新婚旅行行って、その次は?」 「え?」和樹は目をくるりと上に向けて、考える。「その次……って言ったら、別にナントカ旅行っていうんじゃなくて、普通の旅行じゃない?」 「俺は、その、普通の、なんでもない旅行が楽しみ。」 「えっ?」 「たぶんその頃って2人とも働いてて、そこそこ忙しくて、休みもあんまり合わなかったりして。でも、たまたま連休の都合が合った時に、じゃあ行こっかーって、急に思い立って、行くんだ。海外じゃなくてもいい、熱海でも草津でも。」 「温泉かよ。」 「部屋に露天風呂がついてるとこがいいな。」 「……ああ。それは、楽しそう。」 「和樹の浴衣姿、超見たい。」 「超乱したい、の間違いだろ。」 「見たいし、乱したい。」 「おまえらしい。」 「この会話で俺らしいって、なんだよ。」涼矢は笑った。  そんな話をしているうちに上野に着いた。動物園のある方面の改札口から外へ出ると、雲行きが怪しかった。その分、前回よりは幾分暑さが和らいでいる。 「雨降りそう。」和樹が空を見上げた。 「降るかな。まいったな。」 「ビニ傘ぐらい、そこらで売ってるだろ。」 「洗濯物のこと。外に干してきちゃった。天気予報、見てくれば良かった。」 「さっきまで晴れてたのにな。でも、余計、空いてるかも、だ。」  そうこう言っているうちに、雨粒がポツリポツリと肌に当たるのを感じた。 「やべ、ザーッと来るかも。傘買おう。」和樹は近くの売店へと走る。  2人はそれぞれ1本ずつビニール傘を買った。雨脚は強くなってきたが、それでもどちらも予定変更を言い出すことはなく、動物園に入った。  降り出したばかりということもあって、最初は人出が極端に少ない感じはしなかったが、20分、30分と経過するにつれて、明らかに歩いている人は少なくなっていった。特に幼児連れの親子などは早々に退散していくようだ。 「上野に行こうなんて言わないで、まっすぐ帰っていれば……。」涼矢が独り言のように言った。 「え、なんで? 楽しくない? 洗濯物は残念だけど。」 「楽しい?」 「うん。人少なくて見やすいし。結構屋内のところも多いから。」  確かに夜行性の動物や両生類、鳥類などは元から屋内施設だ。ライオンやトラも並ばずに見られた。カバやゾウに至っては雨が好きらしくて活発に動いている。  和樹はそのカバをもう10分ほど眺めている。 「カバ、好きなの?」 「うん。」 「めちゃくちゃ強いらしいね。」 「ああ、最強説もあるぐらいだからな。」 「一見のんびりしてそうなのに。」 「クマとかゾウとかもな。癒し系キャラっぽいけど、ライオンより強い。」  カバから視線を外さずそんなことを語る和樹を見て、涼矢は安心した。涼矢が言い出したから気を使って「楽しい」と言っているのではなく、本当に楽しんでいるようだ。  逆に、猿や小動物は建物の中に入ってしまうものが多く、それらの動物の前は素通りすることになったけれど、それについても、和樹は特に不満は言わない。雨脚が弱くなってきて、和樹は「空いているうちにパンダ見よう。」と言った。どうやら小動物のことよりそれが気がかりだったらしい。  念願のパンダは、少しだけ行列にはなっていたが、スムーズに見ることができた。 「パンダだ。」と和樹が言う。スマホで何枚も写真を撮る。 「パンダだねえ。」 「可愛いなあ。」 「可愛いねえ。」 「あ、動いた。」 「動いたねえ。」  そんな涼矢のおざなりの対応も気にならないほど、パンダに熱中する和樹だった。

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