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第173話 驟雨(3)
涼矢はそのまま和樹の胸に顔を埋めた。和樹はその肩を抱いた。随分長いこと、そうしていた。
「うん。よし。」和樹の胸に抱かれたまま、涼矢はそう一言言うと、ムクッと起き上がった。
「お。なんだ。」
「充電完了。」
真顔でそんなことを言う涼矢を見て、和樹は声に出して笑ってしまう。「死にかけてたんじゃねえのかよ。」
「大丈夫。死にかけていた俺はオーストラリアに行かせた。今はエアーズロックの上にいる。」
「なんなんだよ、それ。」
「ここにいるのは、カッコよくて出来のいい涼矢くん。」
「自分で言ってりゃ世話ない。」
涼矢も笑い、そして黙った。
ひとしきりの沈黙の後。
「和樹。」涼矢は和樹の顔をまっすぐに見た。「ありがと。……で、これからも、よろしくお願いします。」ペコリと頭を下げた。
「あ、はい、こちらこそ。ふつ、ふつつか者ですが。」和樹も同じように頭を下げた。
「噛んだな?」下げた頭を上げながら、涼矢は笑う。
「噛んだ。」和樹も笑った。
そして、涼矢は時計を見て、「……あー、困ったな。」と言った。
「何が?」
「昨日の特製お子様ランチで、力を使い果たした。今日はもっとすごいもん、食わせたかったのに、思いつかない。」
「別にすごいもんじゃなくていいよ。何でも美味いし。」
「でも……。」
「ん?」
「お礼の気持ちを込めて、的な。」
「昨日は謝罪で、今日はお礼かよ。おまえの料理は手紙みてえだな。」
「ああ……そう言われると。……言葉にするよりは、そのほうが俺にとっては楽、で。」
「人には言葉にしろって言う癖になぁ。」
「……その通りだな。言い返せない。」
「おお、俺がおまえを言い負かすとは。……でさ、目的は俺への感謝なんだろ? 感謝の気持ちを伝えるなら、他にもあるだろ?」
「え?」
「別にメシじゃなくても、ベッドで。特製涼矢くんで、俺を喜ばせてくれればいいんじゃないかな?」
「おまえなあ。」涼矢は呆れたように肩をすくめる。それから流し目をするように和樹を見た。「だいたいね、メシを手抜きすることあっても、そっちはいつも特製涼矢くんのつもりなんだけど?」
「じゃあ、今日は特製涼矢くんデラックス大盛りで。」
「意味分かんねえけど。」涼矢は笑った。「じゃ、おまえは特製和樹さんデラックスメガ盛りで頼むわ。」
「おう、つゆだくでサービスしちゃる。」
「おまえがそれ言うとやらしいな。……ていうか、マジでメシの話してんだよ。何食べたい?」
「そうだ、あれ、食っちゃおうよ。冷凍した餃子。」
「え。だってあれは、俺がいなくなってからさ、誰か友達呼ぶ時とか。」
和樹は涼矢の腕をつかんだ。「おまえが帰った後の話なんかすんなよ。俺はおまえと食いたいの。」
涼矢はヤレヤレと言う顔で、吐息をつきながらも笑った。「分かったよ。」涼矢は薄々勘付いていた。和樹が餃子を食べようと言い出した理由。きっと今の自分は、少しばかり疲れているように見えているんだろう。今から食事の準備をするのも、外食に出掛けるのも、俺の負担が大きいと思ったんだろう。……実際、ちょっと疲れた。ただでさえ気乗りしなかった大学散策は、結果的に懸念していた以上に気を使うものになってしまったし、和樹への「二度目の告白」で精神的疲労はピークだ。それに、雨の中、あの広い動物園を何周もしたから、肉体的にもそれなりに。
そして、それを恩着せがましく言わないでいてくれる和樹に、少し甘えたい。
和樹が立ち上がって、率先してホットプレートを準備し始めた。涼矢は皿や箸、調味料を用意し、最後に、前回作った残りの冷凍餃子を……残りといっても100個のそれを、保存袋から直接ホットプレートに並べた。
「いきなりでいいんだ?」冷凍のままを並べたことに、和樹はびっくりしたようだ。
「うん。平気。解凍すると逆に皮がべちゃべちゃになって美味しくない。うまく焼けるか不安だったら、スープとかに入れて煮たらいい。」
「へえ。」
涼矢は和樹を横目で見る。「自分1人じゃ作らないからどうでもいいって顔してんな。」
「バレましたか。」
「市販の冷凍餃子だって同じだよ。スープで煮るなら、適当に残り野菜も入れると野菜不足も補えるし。洗い物少なくて済むし。」
「はいはい。」
「もう。本当に大丈夫なのかなあ。」
和樹はニヤニヤしながら言う。「大丈夫じゃないよ。おまえいなくなったら、野菜なんか食わない。自炊もしない。コンビニ弁当とジャンクフードばっかり食うよ。」
「また、わざとそういうこと言う。」
「そうだよ。わざとだよ。でも本当にそうするよ。俺を一人にしたら。」
涼矢は聞こえているのかいないのか、黙々と餃子を敷き詰める。やがて一面が餃子で埋め尽くされると、水を入れて、蓋をした。ジューッと激しい音がする。
和樹は涼矢の手首をつかむ。「だから、帰るなよ。このままここにいろよ。」
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