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第174話 驟雨(4)

 涼矢はにこりともせず、じっと和樹を見返した。居合のように、無言で、無表情で、見つめ合う2人。  ホットプレートの音の中にパチパチという音が混じってきた。もう少しで、焼き上がるだろう。  やがて涼矢が言う。「泣いてすがれよ。」強気で皮肉めいた言葉とは裏腹に、自分のほうが泣きだしそうな表情だ。  和樹は手首の手を離した。「そんなカッコ悪い真似、できるか。」  拒否されたというのに涼矢は安堵の表情を浮かべる。「和樹だったら、泣いて鼻水垂らして土下座したってカッコいいよ。」 「馬鹿言え。」と言いつつも、決して悪い気分ではない。涼矢からの惜しみない賛辞など、聞き飽きるほど聞いているが。 「……あ、いや、カッコいいって言うか。」涼矢は顎に手を当てて、何か考え込んでいる。もとい、何かを思い出していた。「泣いて鼻水垂らして四つん這いで喘いでるのは、可愛かった。」  崇拝からの辱め。まるで天国から地獄だ、と和樹は思う。「てめ、ふざけんなよ。」真っ赤になって、涼矢を睨んだ。  涼矢が蓋を開けると湯気が立ち上った。煙幕のように立ち上る湯気はお互いの姿を一瞬見えなくした。それが落ち着いた頃に「焼けたよ。」と涼矢が発し、その話題はリセットされた。  2人は餃子を食べ始める。テレビもつけていないし、BGМもない。和樹1人の時には必ずそのどちらかをつけていた。無音の中で1人で食事をするのが嫌だったからだ。またエミリがいた時にもテレビはつけていた。エミリと2人きりで食事する気まずさから逃れたかったからだ。涼矢が来てからは食事の時にそれらをつけることはなかった。意識していたわけではない。会話があったからだが、と言って、絶え間なくしゃべりつづけていたわけでもない。それでも気まずくなかった。涼矢がここに来てから初めて、音楽のひとつも流しておけばよかった……と沈黙を気詰まりに感じる和樹だった。いや、食事中に気まずくなったことはあったな。そうだ、それも、餃子だった。この部屋に友達を呼ぶとか呼ばないとか、友達の優先順位だとか。そんな話でケンカになりかけた。餃子は鬼門なんだろうか。  そんなことを考えている和樹の気持ちをどこまでわかっているのか、涼矢が何事もなかったように話しだした。「これさぁ、プレート取り替えると、たこ焼きもできるんだよね。」 「ああ、あったな、替えプレート。」 「たこ焼きもしたいね。」  いつしか和樹もその話題に乗っかっていく。「うん。キムチとかチーズとか入れたの好き。」 「何それ。」 「うちで作る時は、いろんなもん入れてたぞ。ツナだのウィンナーだのコーンだの。肝心のタコはあんまり入れなかったな。兄貴がタコ苦手でさ。」 「へえ、なるほどねえ。美味しそう。明日はたこ焼きにしようかな。」 「いいよ。」 「和樹は、タコ、平気なの?」 「うん。特別好きってわけでもないけど、別に嫌いじゃない。」 「兄弟でも違うんだね。」 「全然違うよ。見た目も性格も違うし、女の趣味も。」そう言いかけて、和樹は「まずい」という顔をした。 「宏樹さんて彼女いるの?」涼矢は気にしない様子だ。 「前はラグビー部のマネージャーとつきあってたみたい。でも、いつの間にか別れてたな。今はどうなのか知らん。」 「俺が女だったらああいう人がいいと思うけど。」 「ああ? なんだとコラ。」 「優しくて、包容力あって、頼りがいもあって、誠実で、スポーツマンで、頭も良くて、安定した職業に就いている。」 「おまえ、メンクイだろ。兄貴の顔はイマイチだろ?」 「まあ、正直顔は俺の好みじゃないけど、ああいう、大きなクマさんみたいな人が好きって女の子はいっぱいいそう。何より、お姫様だっことか軽々してくれそうな、あのガタイの良さがいいよね。」 「いくら兄貴でも、さすがにおまえはお姫様だっこできないと思うぞ。」 「だから女だったら、って言ってるだろ。このサイズ感のままじゃねえよ。」 「そういや、涼矢、うちで兄貴と会ってるんだよな?」 「都倉家には2度ほどお邪魔した。宏樹さんが夕飯に誘ってくれて。」 「何話すの? まさか俺の話なんかしてないよな?」 「まあ、だいたいスポーツの話とか、宏樹さんの勤務先の学校の話とか?……和樹の話題、出ないな、そう言えば。」 「いないところで噂されるのも嫌だけど、そう言われたら言われたで、ちょっと複雑。」  涼矢はふいに和樹から視線をよけた。「……帰りがけに……こそっと、聞かれたりはする。うまくやってんの、って。」 「へえ。兄貴、そんなこと聞くんだ。で、おまえ、なんて返事すんの。」 「たぶん、うまくやれてますって。」 「それだけ?」 「それだけ。宏樹さんもそれ以上聞かないし。まあね、そもそも、うまく行ってなかったら、俺だって図々しく夕飯ごちそうになったりしないし、分かってるとは思うんだけど。」 「そりゃそうだな。」 「和樹、家の人に、何も知らせてないだろ? バイトの話や、帰省するしないとか。」 「ああ、俺からはあんまり連絡してねえな。何、おまえに聞くの?」 「聞かれないけど、聞きたそうな顔される。特にお母さんに。」 「そっか。気を使わせて悪ぃな。」 「俺は別にいいけど、あんまり心配かけんなよ。俺に毎日連絡してくる暇あったら家にも電話してあげたら? うちも親子のコミュニケーション取らないから、言えた義理じゃないけどさ。」 「ああ、まあ、うん。」曖昧な返事で濁す和樹だった。

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