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第952話 午睡の夢 (7)
話しているうちに、自分はどこか人間的に欠落しているのだろうか、と思えてきた。実のところ、和樹のことは「人一倍の感動屋」なのだと思っていた。もっとましな言い方をするなら、感情が豊かで細やかで、かつ他人への共感性も高いタイプなのだと。自分にはないそういう面が好きになった理由でもある。でも、和樹が「人一倍豊かで細やか」なのではなく、自分のほうが「人一倍乏しくて鈍い」だけだったのかもしれない。いいや、たぶんそうなのだろう。
「そうかなぁ」
和樹は納得がいかない様子で首をかしげる。無理もない。和樹が「普通」なのだ。和樹自身だって出会った頃にはよく「普通」と口にしていたじゃないか。涼矢は出会った頃を振り返る。そして、その「普通」を歪めたのは自分に他ならないのだと、久しぶりに胸を痛めた。「普通」と言われるたびに傷ついた顔を晒して、和樹に「普通であること」への罪悪感を植え付けた。――和樹はひとつも悪くないのに。
ああ、もうこんな風に思うのはよそうと。和樹はちゃんと俺を選んでくれたんだから。和樹のその決意を、俺に向けてくれるその愛情を、俺の薄っぺらい自意識なんかで台無しにしてはいけないのだと、そう覚悟を決めたはずなのに、こんなに些細な会話から簡単に綻びが生じてしまう。
「じゃ、涼矢が幸せだなーっと思うのはどういうときなわけ?」
涼矢の自己卑下をよそに、和樹の質問がまた変わる。
「幸せだなーって? ……今、かな」
「今?」
「和樹と一緒にいるとき」
「ああ、ま、それはそうだろうけど」満更でもない様子で和樹が笑う。そうだ、この笑顔を信じるのだと、そう思ったんだ。「じゃ、ずっとこのままでいい? これから先の何十年も、今と同じで遠距離でも、たまに会えれば幸せ?」
涼矢の答えなんか当然知ってる、そう言いたげな和樹の得意げな顔。そんな表情と予想外の質問の展開に、ふいに涼矢の肩の力が抜ける。
「ずっと遠距離なんか、嫌に決まってるだろ」
「だよな。けど、そうだとしても、今、この瞬間は一緒にいて、幸せなんだよな?」
「そうだけど」
「もうすぐ俺は東京に戻るし、また滅多に会えなくなる。次に会えるのは、きっとゴールデンウィークか、もしかしたら夏休みになっちゃうかもしれない」
「……ああ」
「それでも今は幸せなんだろ? つまりさ、幸せっつってもいろいろあって。宝くじが当たるのも幸せだし、美味いもん食えるのも幸せで……」和樹の手が伸びてきて、涼矢の手を握る。「好きな奴の近くにいられる幸せも当然ある」
「うん」
「そういうもののひとつってだけだよ、赤ん坊だって」
「……うん」
「ちっちゃくて、弱くて、でも、一所懸命生きてる。そういうの、見てるだけでこっちにもエネルギーが伝わってくる」
「それは分かる、気がする」
「だろ? 元気になれるってのも幸せのひとつだろ?」
「まあ、そういう言い方するならそうだけど……そうだとしても、やっぱ赤ん坊より和樹見てるほうが元気になれる」
「だーかーらー、比較してどうこうじゃないんだって」
和樹は笑いながら涼矢の肩を軽く叩いた。
おまえは? 涼矢の心の内には、そう聞きたい気持ちが湧き上がる。おまえはどうなの? 和樹は、俺を見て、俺といて、幸せだと思ってくれてる? 比較じゃないとおまえは言うけど、俺はおまえと誰かと比べたりはしない。できない。だって、おまえは俺の原点だから。すぐにものごとを歪めてしまう俺の。だから聞きたい。俺はおまえを幸せにしてやれてるか?
だが、その問いは口には出さない。確かめなくても答えがイエスであることは、もう、疑わない。――そうだな。今の俺にとって、おまえに好かれてることを疑わなくて済むってことこそが、最大の幸せかもしれない。
その後は特に何をするということもなかった。和樹は漫画を読み、涼矢はイヤホンで音楽を聴き、時折それぞれを交換して感想を言い合い、他愛もない雑談をはさみ、穏やかな時間を過ごし、やがて夕方になった。
「具合、どう?」
思い出したように和樹が尋ねる。
「大丈夫。晩メシも作れる」
「作れる、じゃなくて食えるかどうかだろ」
「それもそうか。まあ、平気」
「佐江子さん、今日も遅い?」
「たぶん」
「俺がなんか作ろうか? つっても、嫌か」
「嫌じゃないけど、なんで?」
「キッチンは妻の聖域とか聞くからさ。勝手に触られるの嫌かなって」
「何を今更」
「妻は否定しないのか」
「似たようなもんだろ」
「おかんだな、どちらかというと。俺のメシの心配ばかりする」
「おまえが俺の顔見るたび何か食いたそうな顔するから」
「そんな顔してねっつの」
「あ、そうか、和樹が食いたいのは」
「食い物じゃなくて涼矢が食いたいとか、そういうことは言うなよ?」
「先に言われた。さては図星か」
「ちげえし」
涼矢はハハッと笑いながらベッドから降りた。そのまま部屋を出て、階段を降りる。和樹もその後を追った。
「メシの話してたら、ほんとに腹減ってきた」
「お、いよいよ全面復活か」
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