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第953話 午睡の夢 (8)

「そうだ、カレー。カレーが食べたいな」 「いきなりそれかよ」 「味にメリハリのあるもんが食いたいんだよ。それにカレーは体にいいはず。スパイスはもともと薬として使われてたし」  そんな御託を並べながら涼矢はキッチンを眺めていた。料理スタジオのように整理整頓されたキッチンには使いかけの食材などはほとんど見当たらない。コーヒー用のポットやペーパーフィルターが置いてあるラックの隣に、おそらくは佐江子の非常食なのだろう、インスタント麺やカップスープがいくつかあるぐらいだ。  それでも涼矢の目には収納棚や冷蔵庫の扉の向こうまで見えているようで、今ある材料で作れそうな献立を思案している様子が見て取れた。 「そりゃカレーも二日酔いにいいとは書いてあったけどさ。でも、吐いたりしてるのに刺激物は」 「吐いてから半日以上経ってるよ。それに、そこまで辛くしない」 「そっか、涼矢、辛いの苦手だもんな」  涼矢は和樹を振り返った。何、と言いたげに和樹が小首をかしげる。 「よく覚えてるな、そんなこと」 「キミのことならなんでも覚えてますって」 「嘘つけ」 「まあね、キミのストーカーっぷりには負けますけど」 「当然」  ニコリともせずにそう言う涼矢とは対照的に、和樹は笑う。それを見て、涼矢もニヤリとした。 「材料あるなら俺が作ってやろっか、カレー」 「いや、いいよ。いろいろ面倒かけたし」 「面倒とか言うなよ」 「でも、一日台無しにしただろ」 「台無し?」  和樹はダイニングテーブルの椅子に普通とは逆向きに座った。背もたれに顎を乗せ、涼矢をじっとりと睨む。 「ずっと俺の部屋でだらっとしてただけで。セックスもそんなに」 「ばーか、別にそれだけが目的じゃねえよ」 「いや、でも」 「俺、結構楽しかったけど? どっか行ったり特別なことしなくたって。たまにはいいだろ、そういうのも」 「せっかく和樹が泊まりで」 「いいっての。毎回毎回スペシャルにする必要もないだろ。そんなルール作ってたら身が持たねえよ。一緒に住むようになったらどうすんだよ、毎日パーティーするわけに行かないだろ」 「……」  そうだった、と涼矢は思う。そんな他愛ない日常を――おはようと言い、ただいまと言い、おかえりと言う、そういう日々を和樹と過ごせるように「今」を頑張るのだと、二人で話したはずだった。 「んじゃ、一緒に作るか?」何事もなかったように和樹は椅子から立ち上がる。「皮剥きぐらいはできるから。涼矢は難しいとこやれよ」 「カレーに難しいとこはないけど」 「肉炒めたりとか」 「それが難しいとこ……?」 「いちいちうるせえな、一緒にやるの? それとも自分が全部やりたい?」 「……一緒にやる」 「おう」  そうして二人でキッチンに立った。和樹の東京のアパートとは違い、充分なスペースがあるから、互いの肘がぶつかったりはしない。 「楽しかったよ」  和樹がじゃがいもの皮を剥いていると、隣で玉ねぎを切っていた涼矢が突然そう呟いた。 「え?」 「今日、俺のせいであんまり相手もしてやれなくて……でも、和樹がそれなりに楽しかったんならよかったなって。音楽聴いたり、漫画読んだり、ネット見たり。そんなの、二人でいるときにわざわざしなくてもいいと思ってたけど、それはそれで楽しいもんだって、俺も思った」 「だろ? あっ、でもおまえ、わざわざ俺のアパートまで来て、俺がいるってのにガン無視でお勉強してたよな?」  涼矢の手が止まる。「……そうだったな。悪い」 「素直」 「ねちねち言い返すのが俺らしいって?」 「そうは言ってない」和樹は笑う。  再び二人の手が動き出す。涼矢は玉ねぎを切り終え、さっき和樹が皮剥きをした人参を切るのに取りかかった。 「なあ、新婚さんみたいじゃね?」  和樹が、軽くではあるが、わざと体をぶつけてきた。 「危ねえな、包丁使ってるんだから」 「悪い悪い」 「和樹の新婚さんのイメージは二人でカレー作ることなんだ?」 「別にカレーじゃなくてもいいけど、なんかこう、二人の共同作業、みたいなことを」 「ケーキ入刀の続きか」 「そうそう。あ、佐江子さんたちもやれば? ケーキ入刀」 「客は俺たちだけなのに?」 「別に観客のためにやるわけじゃないだろ」 「……アリスさんに聞いてみるよ」  自分の両親のケーキ入刀など見たいわけではない。ウェディング業界が企てた商業戦略に過ぎず、そんなものに金をかけるのは馬鹿らしいとすら思っている。両親の性格を考えても積極的にやりたがるとは思えない。だが、和樹に言われた途端にそれは魅力的な提案に思えてくる。佐江子のドレスにしてもそうだ。アリスに言われたのがきっかけではあるが、それに賛同して背中を押したのは和樹だった。その後具体的なアドバイスを頼った千佳、それから佐江子本人の反応を見れば、和樹が正解だったのだ。  だから、和樹の言葉は正しいのだと思う。  幸せにはいろんな形がある、ということも正しいのだと思う。  出来上がったカレーはスープカレーに近い。市販のルゥを使わず、小麦粉を炒めて作る涼矢に和樹は驚いた。

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