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第954話 Something four (1)
食卓につき「いたただきます」と言ってからその理由を聞けば、涼矢は「ルゥ、切らしてて」とだけ答えた。
「カレーってルゥがなくても作れるのか」
「インド人は使わない」
「……そっか」
「まあ、普通にルゥ使ったカレーのほうが好きだけどね、俺も」
「そうなんだ?」
「隠し味も何にもしないで、箱のレシピ通りに作ったのが一番美味い」
和樹が笑い出す。「それって、佐江子さんのトラウマか」
「ああ。隠し味だって言って、インスタントコーヒーだのチョコだのが隠れてないカレーは悲惨だぞ」
「けど、おかげで涼矢が料理上手になったわけだし」
「生き残るためだ」
「サバイバル術かよ」
「そうだよ」
生き残るため。
自分は生まれたときからそうだった。
当時の記憶は当然ないけれど、未熟児として生まれ、NICUの保育器の中でなければ生き延びることが出来なかった。体が弱くて、何度も入院した。入院していなくても家の中で大人しく過ごさねばならない時期も長かった。そんなときに家事代行要員として通ってきてくれていた年配の女性に料理を教わった。最初から料理が好きだったわけじゃない。佐江子の料理下手のせいで美味しい料理に飢えていたわけでもない。飢えていたのは他人との会話で、無理しちゃダメ、何もしなくていい、じっとしていなさい、ではなくて、自分でやってみる? あなたにもできるよ、という言葉だった。そう言ってくれる家政婦に教わって、少しずつ料理を覚えた。今日のお味噌汁、僕が作ったんだよ。そう言うと佐江子はことのほか喜んだ。絵を描いてみせたときもそうだ。自分にも出来ることがある。激しく咳き込む度に、入院沙汰になる度に悲しそうな表情を浮かべる両親を見るのが辛かった。そんな僕にもお母さんやお父さんを喜ばせることが出来る、それは確かに、生きる目的になり得た。
そうして少しずつ出来ることが増えて、体も丈夫になり、柳瀬といった友達とも活発に遊べるようになった頃、再び生き延びることの難しさを思い知らされた。――渉先生の、死。
「美味いな」
和樹がスープカレーを頬張る。
「うん、我ながらなかなか上出来」
「俺にも作れそう。後でもっかいレシピくれ」
「いいよ」
今は、違う。涼矢は思う。生きることは、ずっと優しく、楽しい。今だって「簡単」ではないけれど、一緒に歩んでくれる和樹がいるから。
食事を終えてすぐ、涼矢はアリスにメッセージを送る。ケーキ入刀の件だ。アリスからは、何の問題もない、ケーキも用意するから是非やりましょうと、はしゃいだ返事がすぐに来た。口頭で説明するのが面倒で和樹には画面を見せた。
「アリスさん、そういうの好きそうだもんな」
「だよな」
「涼矢くんは嫌がりそう」
「嫌だよ、俺らのときはやらねえからな?」
「えー、やろうよ」
「嫌だってば。見世物じゃあるまいし」
「でも、結婚式はいいんだ?」
「は?」
「俺らのとき、って言うからには、結婚式そのものをやりたくないわけじゃないんだろ?」
「……」
「ま、先の話だ」
「……ああ」
正直に言えば、やらずに済むならやりたくない。ただ、ケーキ入刀はともかく、義国叔父の見せてくれたゲイカップルのガーデンパーティーの写真。あんな風にやる結婚披露パーティーなら悪くないという気もしている。お互いの家族と、気の置けない何人かの友達の前で、和樹と二人で永遠の愛を誓えるのなら。
「うわ」
「どうした」
「自分の少女趣味に気持ち悪くなった」
「なんだそれ」
「えっと……」
涼矢は立ち上がり、アルバム類の納まる例の和室に向かった。あの写真は叔父が一時帰国した際に見せてくれたものだからここにはないかもしれない、と思いつつ棚を物色する。
几帳面に同じ規格のアルバムが何冊も並ぶ。そのほとんどの背表紙には涼矢の年齢が書いてある。つまりその「シリーズ」は涼矢の姿を収めたアルバムだから除外する。
「何度見てもすごいねえ、この写真の量。つか、まめだよね、今時、印刷してアルバムに整理するってさ」
着いてきた和樹がそんなことを言う。
「あの人は分類整理するのが好きだから」
「お父さん?」
「うん。そっちの引き出し、全部鉱石の標本」
「見ていい?」
「ああ。面白くないと思うけど」
和樹は涼矢が視線で示した引き出しを開けてみる。ずらりと石が並んでいた。ひとつひとつが上面が透明なケースに入れられている。
「すっげ」
「それだけじゃない、書斎にもある。そこにあるのは書斎に収納しきれなかった分」
「コレクターだな。集めたお宝を見てホクホクするわけだ」
「……そういう姿はあまり見ない。きれいに分けて収納したら満足する感じ。だから、集めて、分類する作業が好きなんじゃないかと思う」
「ふうん」
「変な人だよ、我が父親ながら」
「ところで、さっきから何探してんの」
「叔父さんのアルバム。でも、ここにはないのかも……あ、いや、あった。これだ」
涼矢は一冊のアルバムを手にしている。薄くて、涼矢の年齢を書けるほどの背表紙もない。写真店でサービスでくれるような、安っぽい仕様だ。
「この写真」
涼矢が開いたページの写真はどれも、和樹の知らない外国人しか映っていない。
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