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第176話 Whisper(2)

 餃子は既にあと数個を残すばかりになっていた。涼矢がそのひとつに箸をつける。「あと全部、食っていいぞ。」  和樹は無言で餃子を小皿に取った。だがそれを口に入れずに、言った。「……俺、そんな、声、出してる?」  涼矢は口の中の餃子を咀嚼し、嚥下する。「最初は抑えてたと思うんだけど、ここ数日は、ちょっと……うん。」具体的には、ホテルに行った後からだ。涼矢はそう感じている。我慢しないで喘がせたいと思ってホテルに行ったのだが、一度そんなことを経験してしまったら、アパートに戻ってからも、どこかリミッターが外れてしまった感がある。 「確かに……ちょっと気が緩んでたかな、ここんとこ。」和樹は赤くなった。こんな話題なだけに、必要以上に小声になってしまう。餃子は小皿にのったまま、たれが染み込んでいく。 「隣からの音ってほとんど聞こえてこないよな? てことは、こっちの音もそんなに聞こえてないかもだし。ドキマギしてたように見えたのも、俺の思い込みかもしれないし。」和樹につられて、涼矢の声も小さい。2人とも、こそこそ、ヒソヒソ、そんな擬音が似合う声量だ。 「だったらいいけど。」だが、それはあくまでも希望的観測に過ぎない。 「ごめん。」涼矢は、そもそもホテルに誘った自分に責任がある気がしていた。 「なんでおまえが謝るわけ。騒音の原因は主に俺だろ。」和樹は小声ながら半ばヤケになったような言い方をした。「ま、これから気をつければいいっしょ。」 「お隣さんと会うの、気まずくなっちゃうな。」 「だーかーらー、そういうこと、わざわざ言うなよ。しょうがねえだろ、やっちゃったもんは。そんなこと言うぐらいなら、初めから何も言うなよ。言われたところでどうしようもないんだからさ。」 「そうだよな……。ごめん。」 「今まで何も言って来なかったんだから、これからだって何も言わねえだろ。このまま何事もなかったようにだな、すーっと済ませよう。すーっと。」すーっと、と言いながら、和樹は手を横に滑らせるような仕草をした。 「はい。」涼矢は説教されているかのように、うなだれている。 「あ、でもさ。」 「はい?」 「だからって、もうしないってのは、ナシな? 俺、できるだけ我慢するから。」和樹はニヤリとした。  今度は涼矢のほうが赤くなる番だった。赤くなりつつも口をついた返事は「……あまり激しくしないようにする。」だった。 「えー……。」和樹が口をとがらせた。 「だって……なあ? それともまたホテル?」 「金がもったいない。」 「だろ? だったら。」 「あと3日しかないよ?」それは涼矢が帰る日までのカウントダウンだ。 「知ってるよ。」 「ヤリ貯めしておきたい……。」 「んなもん、貯められるか。」 「隣の人、帰省すりゃいいのに。」 「無茶苦茶言うんじゃないよ。」 「涼矢も無茶苦茶言ってるよ。」 「そうか? どこが?」 「お年頃の健康な男の子が恋人と一緒にいて、3日も我慢できるわけない。しかも3日後にはいなくなるくせに。」 「ヤらないとは言ってない、ただちょっと、穏やかに。」 「穏やか、やだ。」 「どういう駄々こねてんだよ。もう、いいから食っちゃえよ、この餃子。いつまでも片付けねえ。」 「やですぅ。」 「食わねえの?」 「違う、それは食いますぅ。穏やかエッチがイヤって言ってるんですぅ。」  涼矢は立ちあがり、ホットプレートに残った2個の餃子を和樹の小皿に押し付けると、それ以外の皿をシンクに持って行き、ホットプレートの油をティッシュで拭い、プレート部分を取り外した。「明日たこ焼きするなら、本体はこのままでいっか。」独り言のように呟く。 「涼矢くんが無視するぅ。」  涼矢は油を拭ったティッシュを丸めて、和樹の口に突っ込んだ。「こんな風にタオルか何か突っ込んどきゃ、声は出ねえよな?」  和樹はペッとそれを吐き出す。「ひでえな、おいっ。うっわ、油くせえっ。」そう叫ぶと、洗面所に走って、うがいをした。 「声、大きいよ。ちゃんと我慢できるとこ見せてくれないと、ホントに口にタオル突っ込むからね。俺は全然構わないけど。」 「構わないどころか、積極的に好きそうだけどな。」洗面所から戻りながら和樹は言い、言い終わると同時に、ベッドに座る。  涼矢はチラリと和樹を見た。「そうだって言ったら、ヤらせてくれんの?」 「……いいよ。」和樹は挑発的でもなく、笑うでもなく、真顔で言った。「口にタオル突っ込んで、縛り上げて、バックでヤって。穏やかなのはやだ。」  涼矢はベッドに片足を乗せる。「本気にするよ?」 「本気にしろよ。こっちは結構勇気ふりしぼって言ってんのに、冗談で流されたらたまんねえわ。」 「どうしたの、急に。もうすぐ俺が帰ると思ったら、おセンチになっちゃった?」涼矢はそう言いながら、和樹のこめかみのあたりにキスをした。 「そう。でも泣いてすがるのも嫌だから、色仕掛けで引き留めようとしてるところ。」和樹も涼矢の首に腕をまわして、首筋にキスをする。 「それは……困るなあ。」 「帰るなよ。」和樹がニヤリと笑う。 「とても困る。」涼矢が和樹の口を塞ぐように、口づけた。

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