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第963話 Something four (10)

「そっか。……それは、おめでとうございました」 「びっくりしたわ、お父さんたらお花くれてね。それも真っ赤な薔薇よ、そんなこと初めてよ。お店で渡されたから恥ずかしかったけど、嬉しかった」 「サプライズ?」 「そう」 「親父が?」  隆志が記念日に食事に誘うのも、サプライズで薔薇を贈るのも想像がつかなかった。クリスマスの約束で綾乃に振られた身としては偉そうなことは言えないが。 「何か悪いことしたんじゃないの。浮気とか」  和樹はそう言って笑った。お父さんがそんなことするわけないでしょう、という返事が来ると思いきや、恵は曖昧に笑うばかりだ。 「……え、まさか、そうなの?」 「違うわよ」  それを聞いてホッとしたが、だったら今の()はなんだったのだろうと思う。 「ちょっとした行き違いがあっただけ」 「どういう意味?」  恵は一瞬ためらってみせた後に、和樹の顔をじっと見る。 「和樹は知ってるからいっか」 「何を」 「お母さんのパート先の人、いるでしょ」 「町内会の人だっけ」 「町内会の人のお友達」 「シングルファーザーの」 「そう、その人」恵はそこで困惑の表情を見せた。「やっぱりそこが印象に残る?」 「シングルマザーよりは珍しいからなあ」 「そうよね。……ほら、私、内緒にしてたじゃない、そのこと」  バツイチ子持ちの男性に紹介されたパート。その男のこどものために縫物も請け負った。そんな話を聞かせればいい気持ちはしないだろうから、お父さんには言わないで。そう言えばそんな口止めをされた気がする。 「バレたの?」 「秘密にしてたわけじゃないけど」  内緒にしていたと言ったかと思えば、秘密にしていたわけではないと言う。恵はよくこんな風にコロコロと言うことが変わるけれど、本人の中では一貫しているようで指摘したところで譲らない。二十年も息子をやっていればそのぐらいのことは把握している。 「でも、それでどうして薔薇?」 「もうそろそろ話してもいいかと思って、パートを始めたきっかけのこと、お父さんに話したのよ。そしたら、お父さんたらお店に乗り込んできたのよ? それもわざわざこっそり有休とって。でも、実はあのシンパパさん、少し前にお店辞めたのよね。私は私でホールで忙しく働いているし、そんな様子見てたら誤解だったと分かったみたい」 「誤解って……。父さんは、母さんがその人とデキてると思ったの?」 「そんな言い方しないで。そこまでは考えてないでしょ」  そんな誤解をされてもなお夫を庇っているのか。それとも、単に下品な言い方が気に食わないのかは分からないが、恵は心底不快そうな表情を浮かべた。 「つまり、疑って悪かった、ってことか。薔薇は」 「そうみたい。それで薔薇なんて誰の入れ知恵なのか、そっちが気になるわよ」 「父さんのことだからどうせ会社の人だろ。……にしても、お詫びの席と銀婚式が一緒なのはいいの? 母さん的には」  恵はふふっと笑った。 「お父さんも和樹ぐらい女心が分かるといいのにね。なんて、これは冗談。それはね、いいの。その人ね、実は再婚したのよ。それも、別れた奥さんと復縁。奥さんは離婚した後、自分でお店を始めてね、それが結構成功したらしくて、奥さんのお店を手伝うからって理由でこっちのお店は辞めたの」 「復縁して再婚か」 「ええ。職場の人たちとその人の送別会したんだけど、おかげさまでもう一度新婚時代が味わえます、なんてノロケ聞かされちゃった。今度こそ銀婚式も金婚式も祝えるよう頑張ります、とかね。その話をお父さんにも話したのよ。そしたら、その流れで、うちも銀婚式じゃない?って話になって」 「ああ、そういう……」  やっと話が繋がった、と思う。恵の話は着地点を探すのが常に難儀だ。 「お子さんが心配だったけど、やっぱり実の母親が戻ってきてくれるならそれに越したことはないわよね」  恵の言葉にはまだ何か含みがあるように聞こえる。訝し気な和樹の視線に気づいたのか、恵は慌てて補足した。 「離婚の原因は奥さんの浮気だったみたいだから。こども二人を置いていくなんて私には考えられないけど……」 「まあ、それぞれ事情ってもんがあるんだろ」  恵はチラリと上目遣いで和樹を見た。「あなたも大人びたこと言うようになったのね」 「なにせ成人ですから」和樹は恵の薬指の指輪に気づく。いつもつけていると思うが、そんな風に改めて見たことはない。シンプルなプラチナのリングだ。「薔薇、嬉しかった?」 「言ったでしょ、恥ずかしかったけど嬉しかったって」 「もし本当に欲しいものがもらえたとしても、薔薇の花束がよかった?」 「うーん、そうねえ、それだったら他のものがいいわ。あ、これお父さんには言わないでよ?」  パート先の秘密はなくなったが、入れ替わりにまたひとつ秘密が増える。 「たとえば、何がいい?」 「あらやだ、くれるの?」 「……ごめん、そうじゃない」 「なーんだ」  恵は明るく笑い飛ばす。はなから本気で買ってもらえるとも思っていなさそうだ。 「田崎の両親も結婚するかもしれないんだ。ほら、あそこの家って、事実婚だったろ? それが、そうじゃなくて」

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