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第964話 Something four (11)

「まあ。正式に入籍? だったら何かお祝いを差し上げないとね。いろいろお世話になってるんだし」 「ちょっと待って。まだ確定じゃないから」 「決まったらちゃんと教えてよ。和樹ってそういうところいい加減なんだから。もう大人だって言うなら、そういうこともきちんとしないと」 「分かってるって」  きちんとするつもりだった。だからこそ、恵ならそういうときに何が欲しいかを尋ねたのだ。でも、会話の雲行きが怪しくなってきた。帰省してからこっちの生活態度についてのお小言が始まりそうな気配を察して、和樹は自室へと逃げた。 ――とは言っても、俺が佐江子さんに薔薇の花束ってのもおかしな話だしなぁ。おふくろだって選べるものなら違うものが欲しかったみたいだし。  考えがまとまらないうちに涼矢に連絡する。折り返しの電話はすぐに来た。 ――プレゼント? 要らないよ、そんなの。俺だって何もしない。  涼矢の答えは明快だった。 「おまえは、だって、銀婚式のセッティング自体がプレゼントだろう?」 ――料理もレンタルドレス代も撮影費用も俺持ちだよ。 「ほら見ろ。俺だけタダで便乗するのはちょっとさ」 ――それを言うなら、俺こそ元は親の金だし。 「あ、そっか」 ――来てくれるだけで充分。社交辞令じゃなく。  涼矢が社交辞令など言わないのは誰よりも知っている、と和樹は思う。 「分かったよ。じゃあ、お言葉に甘えて」 ――うん。 「そうだ、佐江子さんたち、入籍するの?」 ――ああ、するみたいだな。 「おい、そんないいかげんな」  和樹は笑う。 ――まあ、そもそも入籍はしないんだけどね。 「えっ、なに。どういうこと?」 ――世間一般じゃ一緒くただけど法的には入籍と婚姻は別物なんだよ。どっちかの戸籍に入るんじゃなくて、婚姻関係になるだけ。ちなみに親父が深沢姓になることになったんだけど、どうする? 「ど、どうするって?」 ――タサキカズキになるのは嫌だって言ってたから。  漫才コンビみたいで嫌だ。確かに、そう言った覚えはある。 ――個人的には、俺は田崎のままのつもりなんだけど、和樹が嫌だって言うなら変えるのもやぶさかでない。 「親の苗字が変わるんだったら、おまえも自動的に変わるんじゃないの」 ――変わんないんだな、それが。 「そうなんだ。てか、そんなの、適当に決めていいもんじゃないだろ」 ――別に、名前なんて単なる識別記号だし。親だって、親父はもうすぐ定年退職だから姓なんてどうでもいいけど、深沢佐江子さんのキャリアのためには姓は変えないほうがいいだろうってことで深沢姓にするんだ。俺はどっちでもいい。いろんな名義変更の手続きが面倒そうだから田崎のままでいいかと思ってるだけ。 「親はなんて?」 ――深沢支持だな。別にそこは名前にこだわってるんじゃなくて、養子縁組しないと佐江子さんのほうの遺産相続ができないから。 「ほえ?」  涼矢は和樹に説明する。田崎正継が深沢佐江子と婚姻届を提出し深沢正継となっても、田崎涼矢は正継が除籍された籍に残って田崎姓を名乗り続けることはできるし、正継の遺産を受け取ることもできる。が、深沢佐江子と田崎涼矢の間には親子関係を示す記載はないため、深沢佐江子亡き後の相続権はない。深沢佐江子と養子縁組をすることによって相続権は得られるが、その場合、涼矢は深沢姓にならざるを得ない。 「……だったら、深沢にしといたらいいんじゃないの」 ――やっぱりそう思う? 「名義変更面倒くさいったって、社会人になってからとか、ほんとにその、親になんかあったときになってゴタゴタするよりは、今のうちに整理しておいたほうがマシじゃない? それに……なんとなく、佐江子さんもそうしてほしいと思ってる気がする。そんな、相続のことじゃなくて、気持ちの上でさ。だって涼矢んちで、今までずっと一人だけ名前違ってたわけだろ。仲間はずれっていうんでもないけど……ダンナと一緒に暮らしていなくて、息子とは苗字違ってて、それでも涼矢んちがちゃんと家族としてやってこられたのは、佐江子さんのおかげだろ?」 ――俺が深沢を名乗ることで少しは恩返しになる? 「……分かんねえけど。佐江子さんサバサバしてるし、そういうの本当に気にしてないのかもしれないけど。女の子って、好きな奴の苗字に自分の名前をくっつけてキャッキャしたりしたりするじゃん。やっぱり、結婚イコール相手と同じ苗字になるってのは大事なんじゃないの」 ――女の子ってのはそんなことしてんのか。 「してんだよ」 ――さすが詳しい。おまえもキャッキャして結婚したらタサキカズキになっちゃう、って言ってたのか。 「キャッキャはしてねえわ」  そのとき、スマホの向こうから、フッ、というかすかな笑い声が聞こえた気がした。 「なんだよ、笑うなよ」 ――いや、俺もキャッキャしてたかも、と自覚して。 「あ?」 ――もし俺が最初から深沢だったら、俺、和樹とつきあえてなかったと思うから。 「なんで?」  そう聞き返しつつ、和樹は既に答えを分かっていた。

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