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第965話 Something four (12)
タサキとトクラだったから、入学式で隣の席になった。それがすべての始まりだ。俺たちの。手続きが面倒くさいのも本音だろうが、涼矢には「田崎」の姓にこだわりがあるんじゃないのか。
和樹の脳裏には一瞬にして入学式の日の涼矢の姿が浮かぶ。一目惚れだったと涼矢は言う。自分はそうじゃない。でも、確実に特別な存在ではあったのだ。高校に入って初めて言葉を交わした同級生。偶然にも同じ水泳をやっていた。だから水泳部に入った。それからずっと近くにいた。
でも、もう、タ行じゃなくても、俺たちは隣にいていい。誰よりも近くにいていい。
そんなことを思った瞬間、涼矢が言った。
――まあ、もういっぺんちゃんと考えてみるよ。名前のことは。
おそらく同じようなことを考えたのだろうと、和樹は思った。
翌日、涼矢は朝からソワソワと落ち着かないでいた。珍しいことだった。「本番」にはあまり強くない。だから高校受験も大学受験も第一志望は落ちている。水泳の大会でもここぞというときには振るわない。その結果には毎回それなりに落ち込むし、くよくよと引きずりもするのだが、表情に出ないせいで熱血な先輩にはもっと反省しろと説教されることもあった。それでも、それらは自分自身の本番の話で、他人のことでやきもきしたりはしない。なのに、両親の銀婚式でこうも落ち着かない気分になるとは涼矢自身にとっても予想外だった。
「ねえ、何時に出ればいいんだっけ」
佐江子は起き抜けのだらしない格好のままリビングにやってきた。こんな「花嫁」のために何を緊張する必要があるのか、と涼矢は自問自答する。
「昼頃に来てって言ってたよ」
「私もかい?」
正継が口を挟む。
「親父は夕方でいいんじゃない。おふくろは頭とか化粧とかの準備があるから早めにって」
「涼矢は?」
「俺も成人式の写真撮影があるから……って、そっか、車どうするかな」
正継が普段乗っている車は札幌に置いたままだ。今ガレージにあるのはBMWと軽自動車。
「じゃあ、親父がおふくろ乗せて先行ってよ。俺、後から軽で行く」
「和樹くんのところ寄るの?」
「ああ」
「みんなで行けばいいじゃない。涼矢が運転して、途中で和樹くんピックアップして。私の支度なんて大した時間かかりゃしないわよ」
「いや、それは」
自分ですら緊張しているのだから、和樹はもっとだろう。車中で四人になったときの空気を想像するとその気になれない。
「そのほうが合理的だね。招待客がいるわけではないんだし、別に準備段階からいたって構わないだろう?」
「帰りも俺に運転させたいだけなんじゃないの」
「それもある。でも、きみも飲むなら、運転代行でもなんでも頼めばいい話だ」
「そっか、成人のお祝いでもあるんだもんね。今夜は無礼講だ」
「花嫁が言うセリフじゃないだろ、それ」
「花嫁? 銀婚式でも花嫁って言うのかねえ? ま、結婚式やってないんだからそれでもいいのか。でも嫁ってのは気に食わないなあ。田崎さんが花婿? それも変だよね。あっ、そう言えば田崎さんが深沢になったらなんて呼ぼうか?」
佐江子の饒舌さが上機嫌のせいなのか、過度の緊張からくるものなのかは分からない。だが、とりあえず楽しみにはしてくれているのだろう。そう思うと少しだけホッとする。
「呼び方は佐江子さんの好きにしていいよ。田崎さんでもまーくんでも。新しいニックネームを考えてくれてもいい」正継は佐江子に向かってにこやかにそう返すと、涼矢のほうに向きなおった。「さて、では、午後の早い時間に全員で出るとしよう。涼矢、運転お願いしていいかな。ピックアップの時間は都倉くんと話し合って」
正継は一方的にそう指示を出すと、寝室に戻っていった。今日の「花婿の衣装」の準備でも始めるつもりだろう。過保護なくせにこういうときだけ威圧的だ、と涼矢は思う。言い返す隙もない。
自分の支度は大したことはない。着るのは普通のスーツだから、着替えを用意する必要もない。ネクタイを締めながらふと和樹のことを思い出す。約束したネクタイは既にプレゼント済みだ。まったくのお揃いではないが、同じブランドのものだからテイストは似ていると思う。お揃いでないと知ると和樹は少しだけ不満そうだったけれど、両親やアリスの前でペアルックを披露したいのかと意地悪く言ったら納得したようだった。
もっとも、和樹の不満はペアルックができないからではないことは薄々察している。きっと、卒業式のネクタイ交換をなぞりたかったのだろう。
同じ制服。同じネクタイ。違うのはワイシャツの袖丈ぐらい。俺のほうが少しだけ長い。それを間違えて着た和樹。
初めて肌を重ねたときにまで記憶を遡りそうになり、涼矢は慌てて思考を中断した。
ピックアップした和樹も同じくスーツ姿で荷物はほとんどない。
「こんにちは。今日は、えっと、おめでとうございます」
乗り込む前に、和樹は後部座席のほうに近づき、ウィンドウ越しに佐江子と正継にそう挨拶した。二人はニコッと微笑み返すだけで、助手席に座るよう手振りで促した。
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