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第966話 Something four (13)

 和樹がシートベルトを締めると、ようやく佐江子が口を開く。 「もっとゆっくり出るつもりだったでしょ。急かしちゃってごめんね」 「いえ、大丈夫です」 「涼矢がそう言うからおうちの人へのご挨拶は遠慮したけど、よかったかな」 「はい、そのほうがいいです。今日は俺と涼矢が成人式の写真撮ってもらうだけで、親は来ないって話にしてあるので。……あの、すみません、そう言わないと来たがるから。銀婚式の邪魔しちゃ悪いし」 「邪魔だなんて。大歓迎なのに」 「母さん」  涼矢がピシャリと言うが、佐江子が黙ったのはものの一瞬だった。 「でもまあ、そうね、都倉くんのお母さんてモデルさんでいらしたんでしょ。その前でドレスなんて恥ずかしいから、よかったかもね」 「母さん、そういうの気にする人だったっけか」 「アハ、気にしない人だった」 「それ気にしてたら、俺なんか」  そこで涼矢は声を詰まらせる。――俺なんか。その後、なんと言うつもりだ? イケメンの和樹の隣にいると見劣りして恥ずかしいとでも? それってノロケだろ。親に向かってノロケる気か? 「モデルと言えば、涼矢、スカウトされてましたよ。東京で」  和樹が突然話し出す。黙り込んだ涼矢への助け船のつもりかもしれないが、涼矢にとっては、事態はもっと悪化したようにも思われた。 「馬鹿、一回だけだろ。それもおまえに声かけてきたついでだし」 「えー、聞いてないな、そんな話。田崎さん知ってた?」 「いや? でも、涼矢はスタイルいいからねえ」 「顔だって悪くないよ? この子は爺さま似だって嫌がるけど」  そんなことを話し続ける両親に、涼矢はため息をつき、和樹は笑った。  やがて車はアリスの店に到着する。涼矢はトランクから佐江子の一式が入ったスーツケースを出したが、すぐに脇から手が伸びてきた。正継だった。これは自分の役割だと言わんばかりに荷物を引いて、佐江子をエスコートする。和樹と涼矢はそれに連なるように店に入った。  客席の一角を仕切るように見慣れない衝立が置いてある。その向こうから長身の女性が現れた。 「こんにちは、一二三(ひふみ)です。ご無沙汰してます」そう言ってぴょこんとお辞儀をすると、今度は並んでいる面々と順に目を合わせながら言った。「このたびは銀婚式と成人式とのことで、皆さまおめでとうございます。そんな大切な日のヘアメイクと写真撮影のご依頼、ありがとうございます。ブランクがあって上手くできるか自信ないけれど、精一杯頑張りますね」それから佐江子に向かって言う。「今日はこのパーテーションの向こうでお支度をお願いしていいですか? スタッフルームじゃ狭くて」 「ありがと、問題ないよ。それにしても一二三ちゃん、何年ぶりかな。こんなに素敵になって、街なかで会っても分かんないね。もうお母さんなのよね?」 「はい」 「忙しいのにひっぱりだしてごめん」 「いえ、久しぶりによその大人と会えるから楽しみにしてました。家にいるとこどものことに追われて全然リフレッシュできないし」 「ああ、分かる分かる」  そんな会話をしながら、一二三と佐江子は衝立の向こうに消えて行った。 「こっちはもう少しゆっくりしてましょ。まーくん、いつもの?」  残りの男性陣はアリスに案内されるままに、カウンター席に横並びに座った。正継、涼矢、和樹の順だ。 「まだ時間が早いから、薄めで。こちらの二人にも」 「はーい。坊ちゃんたちには超薄めで作るわ」  アリスはキープされたボトルの棚からウィスキーを一本取り出し、間もなくして和樹たちの前には水割りが置かれた。 「平気か?」  和樹は小声で涼矢に問うた。 「ああ。めちゃくちゃ薄く作ってた」  その会話が聞こえたのだろう、アリスが言った。 「めちゃくちゃ薄いわよ。ウィスキーの味が分かんないぐらい。でも、うちのは氷も水も美味しいのを使ってるから、美味しいわよ」そして、ほんの少し間を開けて「たぶん」と付け加えた。  乾杯も言わずに静かに飲み始めた正継だったが、却って気楽だと涼矢は思った。このまま一人で飲むのと同じようにしていてくれたらいい。そう思ったものの、ふいに正継が振りむいた。 「いいネクタイだね」 「そう、かな。このスーツ買った店で見立ててもらったから間違いはないと思うけど」 「え、じゃあこれ、すげえ高いんじゃないの」  反射的に和樹は自分のネクタイをつまんで言った。そして、すぐに後悔したが後の祭りだ。 「やっぱり都倉くんのも同じ店か。雰囲気が似ていると思ったよ」慌てる和樹とは対照的に正継は落ち着いた物言いだ。「でも、そうだな、逆のほうがもっといいと思うよ。涼矢の黒のスーツにその臙脂じゃ落ち着きすぎる。都倉くんの水色のと交換したらどうかな」  涼矢は内心ドキリとした。店で勧められた組み合わせは、まさに正継の言ったものだったからだ。水色のネクタイは白のドット柄で少々可愛らしい気がしてしまい、気後れした。それで和樹にも内緒で交換してプレゼントしたのだ。もちろん店の人には和樹のスーツの画像も見せており、「どちらのスーツにも合う」と太鼓判は押されていたが、「強いて言うならこちらのほうが」と言われたのは、逆の組み合わせだった。

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