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第185話 それでも、朝は来る。(6)
涼矢は痛そうな顔こそしていたが、もう痛いとも言わず、和樹の手をよけようともしなかった。和樹はようやく手を放したが、涼矢の両頬には痛々しい赤みが残った。
「俺と哲、どっちが大事?」和樹は上目遣いで涼矢に尋ねた。
「……おまえに決まってんだろ。」
「俺のこと好き?」
「好きだよ、なんなんだよ、そんなこと聞いて。わざとらしい。」涼矢は無意識だろう、赤みの残る自分の両頬をこすった。
「じゃあ、いいよな? 俺の言うこと聞いてよ。このままずっと帰るなとは言わない。けど、月曜日まではいろよ。」
その言葉は、明らかに哲か和樹のどちらかを選べと言っていた。もっと正確に言うなら、切羽詰まった状況の哲と、わがままを言って引きとめているだけの和樹の、どちらを選ぶのかを涼矢に問うていた。そして、2人ともそれを理解していた。
「うん。いいよ。」それでも涼矢は、あっけないほど簡単に、そう答えた。しかし、その目には暗い翳りが浮かぶ。
和樹のほうが、はあ、と重いため息をついて、後方に倒れ込み、ベッドに上半身を横たわらせた。
涼矢が和樹を見ようとすると、斜め後ろを見る角度になる。そんな風に身をよじって、和樹に問いかけた。「それって、俺から本音を引き出そうとしてるんだよね? ここで俺がキレて、そんなことできるか、哲を見捨てられるかって啖呵切れば、俺が本気だって思うの? そこまで本気ならって心打たれて、おまえは俺を許すの?」
和樹が顔色を変えた。図星だったからだ。和樹も大事だけど、哲も見捨てられない、涼矢にそう言ってほしかった。
「ごめんね。」何も答えない和樹の頬に、涼矢は手を伸ばす。「俺はおまえだけでいいんだ。」
「……ごめんね?」
「和樹はきっと……俺が哲のこと、もっと大事にしてやれる人間でいてほしいんだろ? でも、だめなんだ。ごめん。」涼矢の指先が、和樹の目尻のあたりから頬へと、滑るように触れて行く。
「何それ。」
「友達は大事にしなくちゃって思ってるよ。でも、本当は、和樹だけでいい。」
「おまえ、そんな奴じゃないだろ。」
涼矢はいつでも、1人で判断してきたはずだ。なんでもかんでも1人で背負って、1人で矢面に立って。そういう涼矢を、だから、俺は尊敬した。でも、少し、淋しかった。いつでも涼矢は1人で決めて、俺の入り込む隙のないことが。もっと俺に甘えてもいいのにと思った。涼矢が一緒に傷ついてほしいと言ってくれた時、本当に嬉しかった。やっと涼矢に心から求められている気がした。
でも、それが、こんな風に、俺に依存して、俺の意見に左右されるということなら、それはもう、涼矢じゃない。
「和樹には、俺はどんな奴に見えてるの?」
「もっと……なんでも自分で、ちゃんと考えて、行動するっつうか。俺の言うことに、そんな、いちいち惑わされないっていうか。」
涼矢はハハッと乾いた笑いをした。「こういう時は、変態、って言わないんだな。」
「はぁ? 人がせっかく真面目に答えてやってんのに。」和樹はまた起き上がる。
「ごめん。」
「謝ってばっか。」
「和樹。」
「あんだよ。」和樹はますますぶっきらぼうだ。
「助けてやれって言ってよ。哲のこと。友達なんだから、助けるのが当たり前だろって。」
「はあ?」
「和樹がそう言ってくれれば、がんばるよ。」
「なんでそうなるんだよ、俺、哲のことは嫌だって言ったし、俺に責任転嫁してないで自分で考えろって言ってんだよ!」
涼矢は何も答えない。無言で和樹をじっと見つめた。
和樹のほうが涼矢から目をそらした。ああ、もうだめだ、と、和樹は思う。こんな時にこんな風に涼矢に見つめられるのは、まるでチキンレースだ。そして、目をそらした俺の負けだ。涼矢は俺の本音を見抜いて、俺がそれを黙っていられないことも分かってる。
和樹は、もう氷も溶けて、二層になってしまったアイスコーヒーをガブリと飲んだ。「……哲のこと、どうしようもなくなったら、助けてやれよ。」
涼矢の手が和樹に伸びて、和樹の頭を抱き寄せた。「うん。」
「なんでこうなっちゃうんだよ。」と、和樹は涼矢の胸で呟いた。
「おまえを裏切るようなことは絶対しない。あいつにも妙なことはさせない。」涼矢は和樹の額に口づけた。「俺はお前を不安がらせたり、悲しませたりするようなことは絶対しない。そんで、哲のことも、絶対見捨てない。全力でがんばるから。」
「ずるいよなあ。」和樹はまた呟いた。どうせ涼矢はとっくに結論を出していて、俺は手の平の上で転がされてるだけ。ずっとそうだ。最初から。俺のことが好きだと言って、俺の言うことをなんでも聞くと言って、嫌がることはしないと言って、気がつけば最後は涼矢の思い通りなんだ。……そして、俺は別にそれが不愉快じゃないと来てるから、困る。
和樹は体を起こして、涼矢と正面から向き合った。顔を少し傾けて、涼矢にキスをする。「俺のことも、見捨てるなよ。」
「こっちのセリフ。」額同士をくっつけて、涼矢が笑う。「おまえが思ってたような人間じゃなくて、悪かったな。」
「……別に、思ってた通りだけど。」和樹は立ち上がる。「なあ、買い物し忘れてた。今日はたこ焼きすんだろ?」
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