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第188話 GINGER ALE with KABOSU(1)

 置き土産。その言葉を反芻しながら、和樹はスマホで涼矢の後ろ姿を写真に撮った。シャッター音に振り返った、涼矢の慌てた顔も。 「何撮ってんの。やめろよ。」涼矢は撮られるのを避けるように、すぐにまた後ろ向きになった。 「おまえの写真、ほとんど持ってないなあと思って。」 「要らねえだろ、そんなの。」 「要るよ。」 「せめてもうちょっとまともな格好してる時に。」 「じゃあ、全裸で。」 「お断りします。」 「ハメ撮りすっか。」 「嫌です。」 「じゃあ、普通のツーショット。」 「今、手、離せない。」 「それ終わってからでいいから。」 「はいはい。」  涼矢がキッチンに立っている間、和樹はスマホをいじっていた。哲がいつの間にかSNSを再開していることに気付く。以前と変わらず他愛もない内容で、元"本命"のバーの店長と揉めたことも、その修羅場で怪我したことも、東京に帰ってきていることも書かれていない。まるで何事もなかったかのようだ。ただ、前見た時にはそこかしこで見かけた倉田のレスポンスはない。  哲は、本当に大丈夫なのだろうか。倉田とうまくやっていけるのだろうか。叔父さんや親とは、その後ちゃんと話しあえたのだろうか。大学は続けられるのだろうか。誰とでも寝るような真似はもうしないだろうか。自分を傷つけたりしないだろうか。――もし、万が一、涼矢の家に下宿するようになったらどうしようか。  悶々とする和樹の手元が急激に暗くなった。和樹は窓の外を見る。空は暗雲が垂れこめて灰色だ。反射的に起き上がって、洗濯物を取り込んだ。 「え、雨?」生姜に砂糖をまぶしている涼矢が言った。 「まだ降ってない。けど、今にも降り出しそう。」ポイポイと荒っぽく部屋の中に投げ入れる。 「ホントだ、暗いな。全然気が付かなかった、サンキュ。今日はシーツとかもあったから、濡れたら泣くとこだった。」 「じゃあ、シーツはこのままにしておくかな。おまえの泣き顔見たいし。」そう言いながらも、シーツを取り込もうと腕を伸ばしたその時、隣のベランダには洗濯物がはためいていることに気付いた。和樹はとりいそぎシーツを室内に放ると、再びベランダに出て、隣に向かって「雨、降りそうですよ」と声をかけた。しかし、返事はない。和樹は室内に戻ると、そのまま玄関に直行し、素足にスニーカーを履いた。 「お隣に知らせる?」 「うん。部屋にいるだろ、たぶん。」和樹は隣室に向かった。  ドアホンを鳴らしたが、隣人は出てこなかった。あんな格好のまま、どこへ行ったんだろう。パチンコでもやっているのか。もう一度だけ鳴らしても出て来なかったら戻ろうと思って、再びドアホンに指をかけた時、ドアが開いた。  隣人は寝起きの顔で出てきた。手にはハンコを持っている。宅配業者だと思ったのだろう。それが違うことを知ると「えっ?!」と驚きの声を上げた。 「えーと、雨、降りそうです。洗濯物が見えたんで。それだけ。」 「……あ、はい。すみません。ありがと、ございます、わざわざ。」外国人でもあるまいに、たどたどしく話す。 「じゃ。」和樹はすぐに部屋に戻ろうとした。 「あ、ちょっ、まっ。」 「はい?」 「ちょっと待って、あ、でも洗濯物か、それ入れてから……あ、あの、ちょっとそのまま、すぐ、取り込むんで。待っててくださ……」バタバタと慌ただしく部屋の中に戻ったかと思うと、洗濯物を取り込む物音がした。和樹からは、玄関と、部屋の一部が見える。涼矢が来る前の和樹の部屋よりは片付いている、と言うよりは、殺風景な部屋のようだ。洗濯物は、ベランダを覗いた時の印象では大した量ではないはずで、案の定、隣人はすぐに玄関まで戻ってきた。 「あの、これ、良かったら。」隣人の手にはコンビニの袋。だが、その中にはコンビニの商品ではなく、小さめの青い柑橘系の果物が見えた。「かぼすって、知ってるかな。知らないか。あの、実家から送ってきて、あ、実家は大分なもんでね、特産品なんだけど、それで、段ボールいっぱい。一人暮らしなのに、困るって言ってるんですけど……。えと、食べ方わかりますかね? 基本的にはレモンの代わりにする感じでね、焼き魚にかけたりね、あっ、焼き魚なんてしないか、学生ですよね。迷惑か、こんなの。」 「いただきます。」そんなに欲しいものでもなかったが、たどたどしいながらも必死に話す隣人の好意を無下にすることは出来なかった。隣人はホッとしたように袋を渡した。受け取ると、案外重い。中を覗くと、10個以上入っているようだ。「結構大量なんですけど、いいんですか。」 「うん、あの、まだある。まだいっぱい。もっと要る?」 「いえ、大丈夫です。」  その瞬間、雨が降り出したようで、激しい雨音が響いてきた。 「ああ、良かった、教えてもらって。明日着て行くものがなくなるところだった。ありがとう。」和樹は初めて、隣人が笑うのを見た。笑っても、どこか幸薄そうな人だ。 「いえ、別に。逆にこんな、もらっちゃって。すみません。ありがとうございます。」 「い、いえいえ、その、親はそれ、会社の人に配れとか言うんだけど、そんなの、みんな喜ばないから、いつも、処分に困ってて……。あっ、なんか、そんなのとか言ってるもの、押しつけて、すみません。」  ひとしきり2人でお辞儀をしあったところで、和樹は部屋に戻った。「ただいま。」

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