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第973話 Something four (20)

 撮ってやる、と言っておきながら、和樹はスマホをジャケットのポケットに押し込んだ。プロカメラマンが撮っているのだ。自分の出番ではない。それに、ああ言ったもののほんの少し淋しい。  自分の家族写真はある。宏樹の成人式のときに撮った。宏樹は着慣れないスーツ、自分は制服姿だったはずだ。親の服装は覚えていない。専用のスタジオに足を運んだわけでも、プロのカメラマンに撮ってもらったわけでもなく、マンションのエントランスで、管理人さんに頼んで撮ってもらったスナップ写真だ。それとは別に、宏樹一人できちんとした写真を撮ったかどうかは知らない。とにかく都倉家の写真はある。でも、きっと田崎家の――田崎家と深沢家の、と言うべきか――家族写真は、涼矢がうんと幼かった頃を除いては存在していなさそうだ。涼矢単独なら恐ろしいほどのコレクションがあるが。 ――だから、こうしたほうがいいんだ。  和樹は自分に言い聞かせた。俺が写った写真だけしかなかったら別れたときに後悔する、そんな意味じゃない。ただ、俺がいないバージョンの「家族写真」があってもいい、そう思っただけだ。それはたぶん、あのときの涼矢の言葉と同じ意味を持ってる。 ――俺はこれから先の十年も、それ以上も和樹とつきあっていけるんだから、一日ぐらい、この先もう一緒に暮らすことがないかもしれない家族のために使えよって言いたい。  上京する直前、一秒でも長く涼矢と一緒にいたいと言った俺に、あいつはそんなことを言った。そうだ。今の俺なら分かる。これから先、いくらだって写真は撮れるよ。おまえの両親が俺を受け入れてくれる限りは何枚だって「新しい家族写真」は撮れる。でも、彼らがおまえだけを見て、おまえだけを息子と呼んで育ててきた、この二〇年間の集大成の写真は、今しか撮れないから。  やがてとっぷりと日も暮れたが、上機嫌に酔った佐江子は帰る気配もない。正継が涼矢を呼び寄せ、運転代行を手配するから二人は先に帰りなさい、と言った。それには素直に頷いて、帰途につく。  ドライバーの目のある車中では手を繋ぐこともままならない。会話もほとんどしないまま、涼矢の家の前に着いた。 「先、降りて。俺は車庫入れまでやってもらうから」  涼矢から鍵を渡され、和樹だけが降りる。ということは今日は涼矢の家に泊まっていいということなのだろうか。そんなことをぼんやりと考えながら、和樹はドアに向かう。背後で車が再び走り出す気配がする。涼矢の家の駐車場は、裏道側から入らねばならない。  正直、迷っていた。こんな日に涼矢の家に泊まり込んでいいのだろうか。それこそ家族水入らずで過ごすべき日ではないだろうか。でも、当の両親はいないわけだし、ここで車から下ろされたら自宅に戻る足もない。帰すつもりなら、最初からまずは和樹の家に寄ってくれとドライバーに指示したはずだ。  和樹は手を洗い、うがいをし、ジャケットを脱ぎ、ネクタイを緩めた。  そこで初めて、ひどく疲れていることを自覚した。今更帰ってくれと言われても嫌だな、と思う。言われないだろうけれど。和樹はローソファに横たわった。 「お疲れ」  涼矢が裏口から現れる。 「うん。疲れた」 「俺も」  涼矢の姿が洗面所に消える。バシャバシャする音が聞こえてくる。顔でも洗っているのだろう。案の定、前髪まで濡らして、その毛先から水滴をしたたらせながら戻ってきた。 「そこで寝るなよ。せっかくのスーツが皺になる。今、着替え持ってくるから」 「んー? うん」 「なにその返事」 「俺、今日、泊まっていいの」 「……あ、帰りたかった?」 「いや、そのへんあんまり決めてなかった。佐江子さんたち次第かな、と」 「まあ、そうだな。けど、あの様子じゃ遅くなるだろ。明日も休みだからオールするのかもな。で、結局俺に迎えに来いとか言うんだ、きっと」  涼矢は自分の推理を語りながら、アリスが三連休の中日を勧めてきたのはこうなることを見込んでいたからか、と気づく。 「涼」  ソファに寝転んだまま、和樹が両手を広げた。涼矢はやれやれという顔で近づいて、その腕の中にすっぽりと納まった。ひとしきりの、キスを交わす。 「はい、じゃあ立って。着替えなきゃ」 「無理。動けない」 「嘘つけ、体力オバケのくせに」 「ひでえ言われようだな」  苦笑しながら和樹は上体を起こした。先に立ち上がった涼矢に腕を引っ張られ立ち上がると、そのまま腕を絡めて、手を繋いだ。涼矢がチラリと和樹を見る。 「なに?」 「……なんか、恋人みたいだなって」 「あ、これ?」  和樹は繋いだ手を顔の前まで持ち上げた。 「うん」 「恋人みたいってなんだよ。恋人だろ」  次には両手を涼矢の腕に絡ませ、小首をかしげてみせる。「可愛子ぶった」その仕草に和樹自身が笑ってしまう。 「歩きにくいから離せって」 「え、ひどいな、ひとがせっかく可愛く」 「そんなのしなくても可愛い」 「はあ?」  涼矢は和樹の腕を払うと、改めて和樹の両頬を手で包み込むようにし、じっと見つめた。 「和樹はそのままで可愛いから。余計なことしなくていい」 「真顔で言うなよ」  口調こそ責めている風だが、頬が赤らんでいるのを涼矢は見逃さない。それをからかうこともしないけれど。  涼矢は黙って頬の手を離し、二階へと向かって歩き出す。その後ろを和樹も着いていった。

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