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第191話 GINGER ALE with KABOSU(4)
「今は?」
「何が。」
「なんともないの?」
涼矢は呆れた顔で和樹を見てから、何も言わずにまた背を向けて、パソコンを元のレポート画面に切り替えた。
「傷つくなあ、もう。俺様の色仕掛けでも堕ちないとは。」和樹はベッドに大の字に寝そべった。
「傷つく必要はない。」
「へ?」
「普通なわけないでしょ、そんなことされて。」入力作業の手を止めずに言う。「必死に耐えてるんだから、おまえも耐えろ。」
「なんで耐える必要あるんだよ。」
「理由は3つあります。」
「なんだ、その言い方。」
「1つ、このレポートは今日中に完成させたい。何故かというと、哲は俺のレポートを粗探しするのが大好きで、俺がレポートできたと言えばパソコンのある向こうに戻りたがるから。2つ、ジンジャーシロップも完成させたい。今日を逃すと作業時間がなくなるかもしれないから。3つ、今、お隣さんが確実に在宅している。しかも、おまえと会話したことにより、俺たちの気配や物音にはいつも以上に敏感になっていると思うから。」
「ああ、もう、萎える。」和樹は掛け布団を抱き枕のように抱いてごろんと転がり、壁のほうを向いた。
「萎えさせるように言ったんだ。自分も含め。」
「涼矢くんの理性が恨めしい。」
「俺もだよ。本能の赴くままに動ける人が羨ましいよ。」
「俺のことか?」和樹はまた転がり、涼矢のほうを向いた。「2つめまでは作業完了を待てばいいけどさ、夜になったからって隣に聞こえない保障はないよな? あの人、休みだからって友達と飲みに行ったりする感じもしないし、ずっと部屋にいそう。」
「それは和樹の解決すべき問題だろ?」
「声出すなって?」
「俺に解決しろって言うなら、口ん中にパンツ突っ込むけど。」
「やめろ。」
「タオルならいいのか?」
「……夜までに考えておく。」
涼矢はハッと短く笑った、「考えてどうにかできる問題かねえ。」
「おまえも考えろよ。2人の問題だろ。口になんか突っ込む以外の解決策。」
「それはもう考えてある。」
「何?」
「おまえが諦めればいいだけの話だ。声を聞かれようとなんだろうと。どうせもう手遅れだ。」
「おまえに聞いた俺が馬鹿でした。」和樹は再び壁を向いた。窓の外の雨音は、まだ激しいままで、和樹の予想に反し一向に止む気配はない。「このぐらいの音量で降り続けてくれれば、音の問題は解消できそうなのにな。」
「夜まで降るよう、てるてる坊主を逆さに吊るしておけ。はい、じゃあ勉強するんで、大人しくしてな。」涼矢は一方的に宣言して、パソコン画面を見始めた。
涼矢は淀みなくキーを叩く。資料らしきものはテーブルからはみでて床にまで広がっているが、下書きの類は見当たらない。では、今入力している文章は頭の中だけで構築し終わっているということか。和樹は邪魔にならないように画面を覗き込んだ。入力と同時に見出しも箇条書きもきちんと作られている。最近になってパソコンソフトを使い始めた和樹にとって、簡単そうにそんなことができる涼矢は、信じがたいほど上級者に見えた。
1時間ほどして、涼矢はノートパソコンのフタを閉じた。「ミッションワン、終わりました。」
「お疲れ。涼矢さ、パソコン、いつ覚えたの? パソコンで絵を描いてたのは知ってたけど、そういうやつ。」
「親の手伝いで文章入力作業させられてたから、自然に。」
「へえ、独学なんだ。」
「あと、高校でもパソコンの授業、あったじゃない?」
「あったけど、選択科目だろ。俺はとってない。」
「ああ、そっか。あれでグラフ作ったりしたし、簡単なプログラミングもやったよ。」
「そうなのか。涼矢くんは偉いねえ、ちゃんとそういう勉強もしてて。」
「もともとコンピュータってものが嫌いじゃないし。」
「スマホの入力は俺の方が速いけど、自慢になんねえな。」
「フリック入力、苦手なんだよ。」涼矢は広げた資料を片付けると、立ち上がって、キッチンに向かった。ミッションツーを始めるのだろう。和樹もベッドから降りて、その隣に立つ。
「作り方、教えて。」
鍋の準備をしていた涼矢の手が止まる。「おまえからそんなこと言うの、初めてだな。」
「だって、やることないし。覚えておけば、なくなっても自分で作れるだろ。」
「えらいえらい。」
「お返しにフリック入力のやり方、教えてやろうか?」
「いや、別にいい。」
「だろうな。」言いながら、和樹は手を洗う。
「全然難しくない。生姜はよく洗って、このぐらいに薄く切って、砂糖をまぶして何時間か置いて、煮る。煮る時に入れるスパイスがこれ。これはシナモンスティック、こっちはクローブ、で、カルダモン。辛口にするなら鷹の爪を入れてもいい。スパイスはまだ残ってるから、生姜と砂糖があれば、あと何回かは作れると思うよ。」
「鷹の爪?」
「赤とうがらし。」
「ああ、とうがらし。そういや、たまにすっげえ辛いジンジャーエールってあるよな。あれってとうがらしが入ってるのか。」
「そうだよ。」和樹が興味を持ってくれたことがよほど嬉しいようで、涼矢は上機嫌だ。
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