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第976話 揚雲雀 (3)
涼矢は視界の端に和樹をとらえながら、知らず微笑を浮かべていた。
――そう、和樹は「人」が好きなんだ。バイト先の塾でも、大学でも、小学生の女の子でも還暦近いおじさんでも、和樹は誰とでも仲良くなるし、誰にでも好かれる。
俺とは違って。卑屈な気持ちを伴ってそう付け加えてしまいそうになるのを振り切った。違うから好きになったんだし、和樹はこういう俺を好きだと言ってくれるんだ。「違う」のは悪いことじゃない。
『愛してるよ。おまえだけだ』
ほろ酔いの和樹の、大盤振る舞いのリップサービスだとしても、俺は、その言葉を信じている。
「涼矢は今日、どうすんの」
「親父たちを迎えに行くけど」
「そのあと」
「決めてない。親からも何も言われてない。なんで?」
「当たり前のように家に帰されてるからさ」
「それは……昨日も今日もうちの都合につきあわせちゃ悪いかな、と」
「俺のため?」
「そう。昨日だって疲れただろ」
「ほぉん」
「なんだよ、その返事」
「なんて言うんだっけ、そういうの。……ああ、女房面か」
「はあ?」
「まあ、間違いじゃねえけど。俺の嫁だもんな、おまえ」
「どういう意味だよ」
そうこうしているうちにマンションの前まで来てしまった。涼矢は車を停め、和樹はシートベルトを外す。
「なあ、何か言いたいことがあるなら言えって」
涼矢が苛立った声を出した。
「別に」和樹は車から降りる。「じゃ、今日は親子水入らずでどうぞ」
「え」
ポカンとする涼矢を尻目に、和樹は振り向きもせず、マンションへと消えていった。
追いかけるべきかと逡巡したが、問題点が分からないままにそんなことをしても逆効果だろう。
――和樹の奴、なんなんだよ、急に。
涼矢は記憶をひとつひとつ巻き戻すようにして、和樹の不機嫌のポイントを探った。女房面なんて単語を良い意味で使うわけがないのだから、あのときには既に不機嫌だったということになる。なんでそんなこと言ってきたんだっけ。
――当たり前のように家に帰されてるからさ。
やがて涼矢はそのセリフに行き当たった。言い方からして和樹はこのタイミングで自宅に帰るつもりはなかったのだろう。それなのに帰ることになったから不機嫌になった。そう推測することまではできたが、どうもピンと来ない。和樹だって昨夜の段階では、泊まるのも帰宅するのも佐江子たち次第のつもりでいた、と言っていた。一夜明けた今も佐江子たちの都合で振り回される状況に変わりはないのに、何が違うというのか。
そこまでたどりついて、涼矢はひとつため息をつく。こういう場面は過去にも何度かあったが、自力で答えを見つけられたためしがない。今まではどうしていたかと言ったら、和樹のほうが痺れを切らすか、それか。
――哲にヒントをもらった。
だが、今度ばかりはそうはいかない。それに、あのときほど事態は深刻ではない、はずだ。
「涼矢どの、お迎え、ご苦労である」
ふざけた口調でそんなことを言う佐江子は、昨日着ていた私服に戻っていた。それを見て、銀婚式で身につけたドレスは一両日中にレンタルショップに返却しなければならないこと、そして同時に、さっき別れた和樹が自分が貸したスウェット姿のままだったことを思い出した。汚れたスーツは預かってある。こちらも早めにクリーニングに出さなくてはいけないだろう。
助手席に佐江子、後部座席に正継を乗せ、再び自宅に向けて来た道を戻ろうとすると、佐江子が「和樹くんは?」と問いかけてきた。
「帰ったよ」
「昨日、あのまままっすぐ?」
「……いや、今朝」
「うちに泊まっていったの?」
「うん」
そんなやりとりに少し緊張したが、それ以上聞かれることはなく、佐江子は話題を変えた。
「写真ね、ちゃんとアルバムにしてくれるそうよ。成人式のほうも台紙に入れてくれるって。できあがるのに一週間ぐらいかかるみたいなんだけど、和樹くんの分は涼矢から渡す?」
「一週間か……。あいつがこっちにいるうちに間に合うならそうするけど、どうかな」
「彼、東京にはいつ戻るの?」
「はっきりとは決めてないっぽい」
「そう。まあ、一二三ちゃんからご実家に送ってもらってもいいしね」
「……いや、やっぱり俺が渡すよ」
涼矢は、まずは自分の目で確認したいと思った。それから和樹に見せる。和樹の家族に見せるのはその後だ。理由はうまく言語化できない。ただなんとなく、隆志はともかく、恵や宏樹が「普段の和樹とは違う何か」を写真から感じてしまわないかと不安だった。慣れないスーツで記念撮影するのだから、普段と違っていて当然なのだけれど。
ぼんやりと考えているところへ、再び佐江子が話しかけてきた。
「そう言えば撮影料ってどういう話になってるの?」
「え?」
「一二三ちゃんに払うお金。聞いたけど、あなたから前金で全額もらってるって言うのよ。本当?」
「いや、飲食代はアリスさんが普段の貸切パーティプランの料金でいいって言うからそれで払ったけど、写真のことは特に……正直、忘れてた」
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