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第205話 Prayer(4)
2人はその足で新宿へ向かった。デパートで赤ちゃん用品の店に寄り、店員の勧めるギフトセットを購入した。そこからはタクシーで病院まで移動する。その費用は、すべて涼矢が持った。「タクシーなんて、贅沢な。」車内で和樹はぶつぶつ言う。
「おまえも俺も土地勘ないんだし、このほうが確実だろ。2人分のバス代と大差ないよ。」涼矢が言い返した。
「俺、東京来て初タクシーだ。バスもさ、都内って均一料金なの、知ってた?」
「知ってた。」あっさりと言いのける涼矢に、和樹は「あっそう。」と、つまらなさそうに答えた。
やがてタクシーは病院に着く。面会者用のバッヂをつけて、マスターに教えられた病室のフロアまでエレベーターで上がる。
「女の人ばかりだ。」と和樹が言った。廊下ですれちがう人はことごとく女性だ。
「産婦人科だからな。」
「あそっか。」
目当ての病室番号を見つけた。「磯貝夏鈴」という名前は出ていないが、軽くノックすると「どうぞ。」という女性の声が返ってきた。
「あの……。」和樹はスライド式のドアを少しだけ開け、ひょっこりと顔をのぞかせた。知らない若い男がいきなり現れたらさぞかし驚くだろう。どう自己紹介すればいいのか考えあぐねていると夏鈴のほうが話しかけてきた。
「涼矢くんと和樹くんかしら?」名前の通り、鈴の音のような可憐な声だ。
「はい。」
「どうぞ、中入って。」夏鈴に促され、2人は個室の中に入った。「さっき、主人からメールが来たから、待ってたの。わざわざありがとうございます。」夏鈴はすごい美人とは言えないが、好感の持てる、優しそうな女性だった。ベッドの上に上半身を起こして、赤ん坊を抱いている。赤ん坊は寝ているようだ。
「すみません、突然押しかけちゃって。えと、俺が和樹のほうです。都倉和樹です。」
「田崎、涼矢です。」自分の名前を名乗るのに、こんなに緊張したことはない涼矢だった。今、目の前ですやすやと眠っている赤ん坊と、同じ名前。
「磯貝涼矢です。」夏鈴は腹話術の人形のように赤ん坊の手を後ろから操って、手を挙げる仕草をさせた。それでも赤ん坊は起きない。
「かーわいいなあ。」和樹は腰をかがめて、遠慮なしに赤ん坊に顔を近づけた。「すっげ、可愛いっすね。」夏鈴に向かって言い、また赤ん坊のほうに視線を戻す。「手とかちっちぇえ。うわ、でも爪ある。超ちっちゃい爪。すげえ。」
夏鈴がくすくすと笑った。「すごいよねえ。」
「あ、すみません。てか、俺うるさいですよね。起きちゃう。」和樹は姿勢を戻し、一歩下がった。「ほら、涼矢ジュニアだぞ。」と涼矢に言う。
「あ……。」涼矢は言葉が出ないまま、ただ立ち尽くしていた。
「涼ちゃん、涼矢お兄ちゃんですよ。こんにちは。」夏鈴がまた赤ん坊の腕をそっと取って、手を振る仕草をさせる。その時、赤ん坊の口がふわっと開き、あくびのような小さな呼吸をした。まるで本当に挨拶しているかのようだ。
「うわあ。」涼矢は無意識に口元をおさえた。
「可愛いだろ。」と和樹が言った。涼矢は口元を押さえたまま、うんうんとうなずく。
「この子ね、とても頑張り屋さんなの。ちっちゃく生まれたのに、ミルクもちゃんとたくさん飲んでくれて。もう、とても元気。」
「ああ、それは名前のおかげかな。こっちの涼矢、すげえ大食いなんで。」和樹が言い、夏鈴が笑った。笑ったせいで体が揺れて、抱かれている赤ん坊が「ば。」と声を出した。でも、起きたわけではないようだ。「やべ、怒られた、俺? 失礼なこと言うなって。」それを聞いて夏鈴はまた笑う。
「あ、これ。」思い出したように、涼矢はデパートの紙袋を出す。「お祝いです。」
「あら、そんなの、気を使わなくてよかったのに。」
「大したものじゃないです。ここに置いておきますね。」夏鈴は赤ん坊を抱っこして身動きが取れないので、涼矢は紙袋ごと近くの椅子の上に置いた。中身はベビー用のミトンと靴下のセットだ。
「ああ、そう言えば2人とも立たせっぱなしでごめんなさいね。そこの椅子、どうぞかけて。」
「いえ、すぐ、帰りますから。」と涼矢が言った。
「まあ。」と夏鈴は驚いた顔をした。「若いのに、しっかりしてるのね。私のほうは大丈夫だから、時間があるならゆっくりしていって。そこにお菓子あるから、良かったら食べて。」サイドテーブルの上にはマドレーヌとクッキーの箱が中身が見える状態で置かれていた。こうして見舞にやってきた客にふるまうためだろう。
そんなにお腹が減っていたわけではないが、食べないと逆に気を使わせてしまう気がして、涼矢はマドレーヌに手を伸ばし、それから椅子にも座った。和樹も同じように座る。
「お店のケーキ、作ってらっしゃるんですよね?」と涼矢が話しかけた。
「ええそう、元々お菓子作りが好きで。最近はこの子のことで、作れなかったけど。早く作りたいわ。」
「紫芋で、緑のケーキを作ったことは?」と和樹が横から言った。涼矢がそれを睨む。
夏鈴は一瞬きょとんとした後、笑った。「ああ、ベーキングパウダーや卵白で青くなるのよね、紫芋。」
「やっぱり知ってるんですね。」和樹が言った。
「あなたもお菓子作るの?」
「俺じゃなくて、涼矢が。」
「あらそう。」意外そうに夏鈴が涼矢を見た。涼矢は恥ずかしそうにうつむく。
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