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第207話 Prayer(6)

 和樹がそっと、夏鈴に小さな涼矢を返した。夏鈴は愛しそうに赤ん坊を見る。「主人のその言葉にすごくホッとして……ごめんね、私、あんまり勉強してこなかったから、うまく言えないんだけど、ああ、このままでいいんだって肩の荷が下りた。涼矢くんは、少し、主人に似てるわ。」夏鈴はゆっくりと涼矢を見た。「主人があなたの名前をこの子につけたいって言い出した理由も、なんとなく分かった。今の話、主人以外には話す気にならなかったけど、あなたには聞いてもらいたいって思ったもの。私なんかが、初対面の、しかもこんな若い人に言うのも失礼だけどね、頼りになるというか信用できるというか……涼矢くんは、とても強くて、優しい子って感じがする。この子もそうなってほしいわ。」  どんな顔をしていいのか分からず戸惑っている涼矢より、和樹のほうがにこにこしてその言葉を聞いている。和樹は赤ん坊を覗き込んだ。「ん? 口むにゃむにゃしてる。」 「お腹空いたのかな。」と夏鈴が言った。それと前後して赤ん坊が「ふぃぃ」というか細い泣き声を上げた。  それが合図のように、涼矢が立ち上がった。「じゃ、和樹、そろそろ。」 「え? あ、うん。」和樹は名残惜しそうに夏鈴の腕の中の赤ん坊に手を振った。タイミングよく赤ん坊は泣きやんだ。「じゃあね、涼矢くん。また遊ぼうね。」 「こちらの涼矢くんも、和樹くんのことが大好きみたいね。」夏鈴のそんな一言に、2人はドキリとした。「今日はありがとう。私ばかりべらべらしゃべっちゃって、ごめんなさい。何しろ大人との会話に飢えてるのよ。」そう言って夏鈴は笑った。「お店のほうにも是非また来てね。主人も楽しみにしているから。」 「はい。」2人の返事が偶然重なる。 「涼矢くんはもうすぐ地元に帰るのよね? 気を付けて。また東京来た時には、声かけてね。」 「はい。」これは涼矢一人が答えた。さっきのセリフと言い、地元に帰ることまで知っていることと言い、やはり夏鈴は俺たちの事情も知っているのだろうと思う。知ってた上でこんな風に話してくれたのだと思うと、ようやく胸が熱くなった。もっとうまく返事できれば良かった、と後悔した。しかし、かといって、今になっても夏鈴の話にどう答えれば良かったのかは分からないままだ。  2人は病院を後にして、帰りはバスで新宿駅まで行くことにした。バスを待ちながら、和樹が言った。 「涼矢ジュニア、超可愛かったな。」 「うん。」 「もう少し見ていたかったな。なのに、おまえが急に帰るとか言い出すから。」 「でも、お腹空いてるって。」 「そうだけど。もう少しぐらいは。」 「……赤ちゃんの食事だよ?」 「うん。ミルクだろ。」 「いや、それもあるかもしれないけど。その、夏鈴さんが、授乳するわけだろ。」 「ああ、母乳か。」 「俺らがいちゃ、ダメだろ。個室だし、あそこで授乳するんだろうから。」 「あ。」和樹はようやく意味が分かったようだ。「おまえ、すごいね。」 「従妹の時に、そのことでも散々振り回されたよ。突然部屋から締め出されたり。」  和樹は笑った。「おまえは良いパパになれそうだな。」  涼矢はじっとりとした視線を和樹に送る。「それって、どういうメンタルで言ってるわけ?」 「自分の遺伝子じゃなくてもいいだろ。もし、いつか、俺たち2人ともがこども欲しいって本気で思う時がきたらさ、そういう施設から、親が必要な子を引き取ればいいよ。愛せるよ、俺も、おまえも。」 「簡単に言うなよ。」 「難しく考えんなよ。今すぐの話じゃない。ずっと先の、いつか来るかもしれない日のことを言ってる。俺だって今は別にこども欲しいとか思ってないし。いなくても全然いい。だから、もしかしたらっていう、想像をしてるだけ。想像なんだから、楽しいほうがいいじゃない?」  和樹の能天気とすら言えそうな楽観的な言葉。涼矢は、それを否定したい気持ちと、共感したい気持ちが入り混じって口ごもった。そのうちに、バスが来た。 「せっかく新宿まで来たんだから、どこか寄る?」バスの中で和樹が言った。バスは空いていて、2人がけの椅子に並んで座った。 「金ねえくせに何言ってんの。」 「ひどいなあ。その通りだけど。」言いながら、和樹はスマホで何やら検索した。「あ、ねえ、都庁。都庁の展望台なら、無料。」 「いいよ。このバス、通る?」 「通らない。新宿駅に出て、歩いて行こう。」  展望台か。和樹が好きそうだ、と涼矢は思う。ビルの上から見た夕日。山から見た海。公園から見た住宅街。あといくつの景色を、2人で見ることができるのか。2人で見たいと、和樹は思っていてくれるのか。そう思った瞬間に、和樹が言った。 「涼矢が来てくれると、いろんな景色が見られるから、いいな。」 「え?」 「1人じゃ都庁の展望台なんて行こうとは思わないし。そのためだけに友達誘って行くところでもないしさ。でも、おまえは公園から町を見るだけでも、喜んでくれるから。」 「俺、ちゃんと喜んでるように見えてた?」

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