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第208話 Prayer(7)
「うん。喜んでなかった?」
「喜んでたよ。でも俺、自分では楽しんでたつもりでも、人からはつまんなそうってよく言われるから。」
「ああ。」和樹は顎に手を当てて思い出す。確かに派手に歓声を上げるわけでもないし、分かりやすい笑顔を見た記憶もない。「他人 には分かんないかも。でも、俺には分かるから、いいんじゃない?」
「そうか。」和樹には分かるのか。それならいい。何の問題もない。
「今も、顔は笑ってないけど、笑ってるだろ?」
涼矢は複雑な表情を浮かべた。「自分がどんな顔したからいいのか、分かんなくなってきた。」
和樹のほうが小さく吹き出した。「別に、いつも通りでいいよ。あれだよ、ムカデだよ。考えすぎるとロクなことにならない、だろ?」
その言葉を聞いて、涼矢も小さく笑った。
都庁の展望室は行列することもなく、専用エレベーターですんなり行けた。展望室は45階、土産物売り場とレストランがあった。ガラガラではないが、混雑もしておらず落ち着いて見て回れそうだ。天気が良ければ富士山まで見えると案内にあったので、まずは富士山を探した。この日も快晴だったから、そうと思って探せば、あれがそうかと分かる程度には見えた。冬の空気が澄んでいる時なら、もっとくっきりと見えるらしい。他の大きなガラス窓をざっと見渡す。東京タワーも、スカイツリーも見えるそうだ。多少混雑している窓は、おそらくそういったものが見えるのだろう。
「ここ、夜11時までやってるんだってさ。」と和樹が言った。「夜だったら、夜景がすごそうだな。」
「へえ。この次は夜に来ようか?」窓の外を向いたまま、涼矢が言う。
「うん。」和樹もまた、まっすぐ外を見て、答える。視線を絡ませることなく、隣の窓へと移動して、新しい景色を眼下に眺める。
「あの、木がいっぱいのところは、なんだろう。」涼矢が緑に覆われた一帯を指した。
「明治神宮らしいよ。」
「あれがそうか。こうして見ると広いな。」
「うん。」
とりとめのない会話。こんな話がしたいんじゃない、と涼矢は心の片隅で思う。でも、だったらどんな話をしたいというのだろう。
一通りの景色を見て、再び1階に降りた。更にどこかに行こうとも、何がしたいとも言わずに、和樹が歩き出す。そのまま2人は新宿駅の人混みに混じり、やがて電車に揺られた。
「昼メシ、食い損ねたな。」と涼矢が言った。「もう3時近い。」
「チョコとアイス買って帰るんだろ。」
「もう、そんな気分じゃねえよ。」
「甘やかし損ねた。」和樹が笑う。
涼矢は横目で和樹を見た。「今から挽回しろ。」
「何すればいい?」
「ここで言っていいの?」電車は適度に混雑している。2人はドアの近くに立っていたが、すぐ背後の座席にも、1メートルと離れていない吊革のところにも乗客はいる。
「何考えてんだ、馬鹿。」和樹は苦笑いをした。
「ま、とりあえずは昼メシ作ってよ。チャーハンでもなんでもいいからさ。ごはん、冷凍したのがあるはず。」
「そんなんでいいの?」
「とりあえず、な。」
アパートに戻ると、いつもなら、帰宅するなり、エアコンを強にしてベッドに寝転がるのが常の和樹にしては珍しく、すぐにいそいそとキッチンに立って作業を開始した。冷凍ごはんを電子レンジに入れて、冷蔵庫から玉子とネギを出したところで、動きが止まる。「チャーシューとかハムとかないけど。」
「たこ焼きの時のウィンナー、残ってるはず。3本ぐらい。」
和樹はウィンナーの袋を取り出す。確かに使い掛けで、輪ゴムでぐるぐる巻いてある。「ホントに3本だ。これ切って入れりゃいいか。」
「うん。」
「つか、おまえ、冷蔵庫見なくても、何が残ってるのか覚えてるんだな。」
「自分が買ってきて料理して残したもんだろ、そりゃ覚えてるよ。人が買ってきたものだと忘れることもあるけど。」
「俺は忘れる。」
「だろうね。ジャムまで腐らせて。」
「ジンジャーシロップは忘れないよ。」
「そう願ってるよ。」
和樹はウィンナーをまな板にのせた。包丁に手を伸ばした瞬間に、涼矢が「和樹。」と言いながら背後に立った。和樹は顔だけで振り向いた。
「何?」
「キスさせて。」
「え? あ、はい、どうぞ。」和樹は目をつぶる。涼矢が軽いキスを数回した。「どうした、急に。」
「別に。せっかくだからメガネかけてるうちにしておこうと思って。外すよ。」
「ええー。」
「だってもう疲れた。」涼矢はメガネを外して、ケースにしまう。
「前髪も崩れたな。」
「ビル風すごかったから、前髪ハラリどころじゃない。」
和樹は急にシンクの蛇口で手を洗い出した。涼矢が何事かと思っていると、濡れた手のまま、涼矢の頭をワシャワシャと掻き毟った。
「な、なんだよっ。」涼矢が驚いて後ずさった。
「どうせ壊れるなら俺の手で最後の一撃を。」そう言いながら、また頭に手を伸ばす。
「やだよ、やめろよ。」涼矢はその場から逃げるが、所詮8畳のワンルーム、あっという間に窓際に追い詰められた。出かける時に遮光カーテンを閉めて、そのままの掃き出し窓。
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