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第209話 夢で逢えたら(1)
「壁ドン。」と言いながら、和樹は涼矢を両手で囲む。
「髪はとっくにグシャグシャだろ?」
「ああ。」
「トドメを刺す必要ないだろ?」
「髪はね。」和樹はそのまま涼矢に顔を寄せて、キス寸前まで近づいた。「なあ、チャーハンが優先?」媚びるような目で涼矢を見る。
「腹は減ってる。」
「もう、色気ねえな。」和樹は諦めて、涼矢から離れた。その腕を涼矢がつかむ。
「腹減ってるって言っただけだけど?」
「どっちだよ。」
「俺が決めていいの?」
「いいよ、甘やかしデーだしな。」
「こっち。」涼矢は和樹の顔を両手で包んで、キスをした。
そのまま、なし崩しでベッドに倒れ込んだ。
涼矢が和樹のTシャツの中に手を滑り込ませる。和樹はされるがままだが、ふと、視界にシンク周辺が入ってきた。「あ、ごはんレンチンしちゃったし、ウィンナー冷蔵庫から出してそのまんまだ。」
「色気ねえの、おまえだろ。」涼矢がため息をついて、和樹から離れた。
「別に出しっぱなしでも平気だろ。何時間もするわけじゃあるまいし。」
「気になるからやだ。先に作ってきて。」
「ええー。」
「おまえが悪い。そんで、チャーハンできたら、ここまで持ってこい。俺はもうトイレ以外ベッドから出ない。」
「マジかよ。」和樹は渋々ベッドから降りる。「余計なこと言わなきゃよかった。」
「そうだよ、余計なこと言わないで俺を甘やかせ。」
「はいはい、涼ちゃん。」
「いや、別にちゃんづけしなくていいけど。」
「夏鈴さんがそう呼んでただろ。涼矢ジュニアを。佐江子さんはそんな風に呼ばなかった?」ウィンナーを切りながら和樹が言った。
「呼ばなかった、と思う。普通に涼矢。たまに涼って呼ぶかな。」ベッドにだらりと横たわったまま返事する。いつもとは立場が逆だ。
「……まあ、佐江子さんはいいか。」涼と呼んでいいのは自分だけ、と思いたいところだが。
「和樹は、和ちゃんとか呼ばれてたわけ?」
「いや、俺も普通に和樹。兄貴はカズって呼ぶ。あ、おふくろはさ、結構な頻度で宏樹と間違えて呼ぶよね。"宏樹、じゃなかった、和樹"までがワンセットで俺の名前って感じ。」
「お兄さんのほうが長年呼んでるわけだし、仕方ないんじゃない。」
「でも、兄貴のことも間違えるよ。"和樹、じゃなかった、宏樹"って。あれ、なんなんだろうな。おばさんならではなのかな。引っ越す前の隣のおばちゃんも、自分のこどもと飼い犬の名前をよくひっくり返して呼んでた。娘はジュンコで、犬はリザで、全然違うのに、犬に向かってジュンコって。」
「そういや、おふくろも俺のこと田崎さんって呼ぶことあるな。俺も田崎さんだから、間違いではないけど。」
「佐江子さん、お父さんのこと田崎さんって呼ぶの?」
「うん。基本的には、俺に向かって親父のこと話す時は"お父さんが"って言うけど、本人に向かって呼びかける時は田崎さん。」
「田崎さんと佐江子さん。」
「そう。」
「ちなみにお父さんの下の名前は?」
「正継。正しい、に、生中継の継と書いてマサツグ。」
「ああ、なんか、ぽい。」
「ぽい?」
「正継とか、正義と書いてマサヨシとかって名前、警察官や弁護士、あ、お父さんは検事か。とにかく、そういう系にぴったりじゃない?」
「和樹んちは?」
「隆志と恵。とても普通。」
「恵さんかぁ。美人だよね。優しいし。」
「なんでおふくろだけピックアップするんだよ。熟女好きめ。」
「熟してようが、この俺が女性に興味を持つなんてめったにないことだぞ。」
「自分で言うなよ。」和樹は吹き出した。
「でも、結局は和樹に似てるからだけどな。」
和樹は、いよいよフライパンで炒める段階まで来ていた。フライパンをあおりながら、涼矢を見る。「もうすぐできるよ。」
「うん。」
「皿ぐらい出してよ。」
「やだ。」
「ホントにベッドから出ないつもりか。」和樹は苦笑しながらも、それ以上強いることはしなかった。結局は自分で皿を出し、チャーハンを盛り付け、スプーンを添えて、涼矢のもとへ行く。「お待たせ、できたよ。」
涼矢はかろうじて上体を起こすが、差し出された皿を受け取ることすらしない。和樹が訝しがっていると、パカッと口を開けた。「あん。」
「食わせろってか。」ただうなずく涼矢。和樹はスプーンに一口分を載せると、ご丁寧にふぅふぅと吹いて、冷ましてやることさえした。「はい、どうぞ、召し上がれ。」
涼矢は満足気にそれを咀嚼する。ゴクンと飲み込むと、また口を開けた。和樹は黙って次の一口をその口に入れてやる。そんなことが何回か繰り返されたところで、涼矢が言った。
「水が欲しい。」
「はいはい。」和樹は皿をベッドの空いた所に置くと、コップに水を注いで、戻ってきた。「これはこぼしそうだから、自分でコップ持って飲め。」
「やだ。」
「ふざけんな。」
「ストロー、あった。あの引き出しに。」涼矢は視線で、キッチンの例の引き出しを示した。和樹は無言で言われた通りにストローを取ってきて、コップに挿した。コップを涼矢の口元に近付けて、ストローの先端を涼矢の口に入れると、ようやく涼矢はそれを飲んだ。「水はもういい。チャーハンの続き。」
「おまえなあ。」和樹はそれだけ言って、諦める。ひとまずコップをテーブルに置いて、再びチャーハンの皿を手にした。あとは、さっきと同じことの繰り返しだ。やがて皿は空になった。
「ごちそうさま。美味しかったよ。」涼矢はにっこりとほほ笑んだ。
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