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第212話 夢で逢えたら(4)

 やがて2人は全裸になって、抱き合った。和樹は再び涼矢に囁いた。「好きだよ。」 「ん。」うなずきながら、涼矢が和樹の頬に、顎に、キスをする。 「俺のこと好き?」と、今度は和樹が問うた。  涼矢の動きが、ふと止まった。「それ、おまえが俺に聞く?」 「聞きたいね。」 「だから、好きだよ。」 「だから、とか、でも、とか、つけないで言えよ。」 「好き。」 「もっと言って。」  涼矢は和樹の背中に回していた手に更に力を入れて自分に引き寄せると、さっき和樹が涼矢にしたように耳元で囁く。「好き。大好き。愛してる。」それからひとつためいきをついた。「……帰りたくないなあ。」  和樹も涼矢に抱きついている。その手に力を込める。「帰るなよ。」  涼矢はその言葉には直接答えなかった。「なあ、さっきの、俺にもやって。」 「うん?」  涼矢は仰向けになった。「体重かけて。」 「俺は本格的に重いぞ。」和樹は涼矢よりいくらか身長は低いが、筋肉量は多そうだ。 「大丈夫だから。」  和樹は涼矢を覆うようにその上に体を載せた。 「重いな。」と涼矢が言う。 「だろ。」体をよけようとするのを涼矢が制した。 「いいから、しばらく、このまま。」それでも和樹は多少は涼矢が楽なようにと思ったのか、少しだけ体の位置をずらして、涼矢の胸に顔を埋めるような位置関係で落ち着いた。涼矢は和樹の後頭部を抱くようにした。 「苦しくなったら言って。」涼矢の腕の中で和樹が言う。 「苦しいよ。」涼矢は言う。「ずっと苦しい。でも、いい。」 「それは……今の、この状態の話をしてんの? それとも。」 「いいんだ、ずっとこうしたいと思って来たんだから。」微妙に噛み合わない会話をしながら、涼矢は和樹の頭に顔を寄せる。和樹の毛先がツンツンと肌に当たる。部活の頃の、坊主刈りに近い短髪よりは随分と伸びたが、自分よりはずっと短い。「普通の男の子」の髪だ。普通の男の子、を、自分のせいでこんなことに巻き込んでしまった、そんな罪悪感は常にある。それでも好きで、だから苦しい。その想いに和樹が応えてくれた。だから苦しい。和樹の頭は、少し汗臭い。体臭はほとんどしない。でも「和樹の匂い」は確実にある。そんな匂いも、声も、こんな風に抱きしめられたらいいのに、と涼矢は思う。それができないから苦しい。今支えているこの重みを、もうすぐ手離さなくてはならないから、苦しい。でも、この苦しさの別の名前を、もう自分は知っている。「幸せ」だ。 「和樹、好きだよ。」もう一度涼矢は言った。和樹に口づける。  和樹は涼矢の意志を確認することなく、体勢を変えて涼矢に体重がかからないようにした。それからゆっくり涼矢の肩や胸や脇腹を撫でた。時折撫でたところにキスをした。そのキスは優しくて、勝利したアスリートが大地に感謝のキスをしている様に似ていた。  涼矢は和樹にされるがままに、身を委ねている。ふいに、「あ、甘やかされてる」と思った。和樹が自分に触れてくる指先に、唇に、優しさが込められているのを感じる。  愛しい、と思っていた。和樹は涼矢のことを。涼矢は和樹のことを。  その時だった。  涼矢のスマホが鳴った。電話の着信だ。涼矢は眉間に皺を寄せて不快感を露わにする。 「出ないの?」和樹が言った。 「オフにしときゃよかった。」と涼矢が吐き捨てるように言う。その上で「あ、でも無理。ベッドから出られないから。」などと続ける。スマホは涼矢のバッグの中にあった。  和樹が苦笑してベッドから降り、「バッグ開けるよ。」と言うと同時にそこからスマホを出し、涼矢に渡した。その間に一度切れたが、すぐにまた鳴りだした。 「電話って、あのおっさんだろ、どうせ。」それ以外なら、大半の人はSNSで連絡をしてくる。発信者を見れば予想通りの結果が表示されていた。「はい。」涼矢はのっけから不機嫌な声で出る。  和樹は嫌でも思い出し、思い知らされる。涼矢が明日帰ること。明日にこだわる理由。哲のこと。哲が涼矢の家に身を寄せる可能性が、低いとはいえ、あること。  涼矢は裏切らない。そこは信じてる。信じられる。でも、哲のことはそこまで信用できているわけじゃない。哲がもし、自暴自棄になったり、淋しくなったりした時に、涼矢を誘惑しないとは言いきれないんじゃないのか。エミリが涼矢への想いを振りきるためにせがんだキス。現場を見たわけじゃないけど、涼矢はそれに応えてやったはずだった。そんな風に、相手が全力だったり、捨て身だったりしたら、涼矢はそれを断れないんじゃないのか。エミリのことは俺も良く知ってる女の子だし、俺もその立場だったら、同じようにしたと思うから、許せた。……けど、哲は。  涼矢が、自分以外に対しては、時に非情なまでに切り捨てることができるのは知ってる。でも、その分、一度受け容れた相手に対しては無防備だ。涼矢は、人間関係において「適度な距離感」を保つことが苦手だ。  涼矢の電話が終わった。暗い顔で、言う。「明日、7時にはここ出なきゃ。8時前のに乗る。」と言った。「おっさんが指定取ってくれた。こんな時期に良く取れたなって思ったけど、なんか、会社でおさえてるのがあったみたいで。」 「そっか。でも指定取れたなら良かったな。」良かったなんて思っちゃいないけれど。 「うん。」涼矢も同じ気持ちだ。それでもお互い、口に出さずに、明日のことを受け容れる努力をした。それが結局は2人の未来のためになっていくのだと、自分に言い聞かせて。

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