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第982話 nick of time (1)
その後もいくつかの他愛もない近況報告を聞かされたが、文句も言わずにうんうんと聞いているうちに、恵のほうから「疲れたでしょ、部屋で休んだら」と切り出された。そう言いながら冷蔵庫を開けたので、夕食の準備にとりかかろうとしているのだと推測できた。手伝おうかと喉元まで出かかったが、やめた。疲れているのも本当だが、それを言うなら仕事帰りの恵のほうが疲れているはずだった。かと言って、これ以上「いい子」になって恵の期待値を上げ過ぎるのはよくない気がする。和樹は頃合いを見計らって自室に戻った。
することもなく、スマホを眺めた。恵と話していた短時間のうちにメッセージがたまっている。誰から聞いたのか和樹の帰省を知った何人かの旧友たちからだ。画面を遡り、柳瀬がことの発端だと知る。柳瀬家の誰かが正継を見かけて彼の帰省を知り、それがめぐりめぐって和樹の帰省にも結びついたらしい。部活だったりクラスだったりのグループからの「せっかくだから、みんなで会おうよ」と誘い文句が連なっていた。
――面倒だな。
まずはそう思った。会いたくないわけではない。会えばきっと楽しい。幹事は誰かがやってくれるだろう。それでも億劫だ。涼矢との関係が話題にのぼることも含めて、煩わしさが先に立つ。
――そんなヒマがあるなら、涼矢と二人で過ごしたい。
それが本心だ。だが、地元の成人式にも顔を出さなかった不義理をつつかれると弱い。何しろ中学でも高校でも友達と遊ぶなら一人より二人、二人よりグループのほうが楽しいと信じてきたし、そういう場には率先して参加するほうだった。誘ってもいまひとつ乗り気な様子を見せない――たとえば高校時代の「田崎涼矢」――などを見れは、そのノリの悪さが理解できずに不満に思ったものだ。
そういう態度に綾乃が文句を言うこともあった。デートより友達との先約を優先するとそれはそれはご立腹だった。だって先に約束したのだからといくら説明しても伝わらなかった。綾乃はそうとは口にしなかったが、要は「ほかの何を差し置いても恋人を優先すべき」と思っていたのだろう。そして、それを和樹の「自発的な」意見であってほしいとも願っていたのだろう。だから別れのその瞬間まで言わなかった。そんな「元カノ」を重く、果ては「つまらないことを言う女だ」とさえ思っていたはずの自分が、いつの間にか似たような価値観になっていることに気づく。
その執着や束縛といったものが愛情の深さだと言うなら、俺は確かに綾乃が俺を好きでいてくれるほどには、彼女のことを愛してなかったかもしれない。でも、一方では愛情なんてそんな風に測れるものでもないだろうとも思う。今なら綾乃の気持ちも分かると言っても、今の俺が涼矢を何よりも最優先してるかと言ったら違うわけで。最優先事項なんて、そのときの状況でいくらでも変わる。そんなもので愛情を測られても。
こんな考えは言い訳だろうか、と和樹は自問自答する。答えは出ない。
呼び出し音が鳴り響く。和樹は思わず手にしたスマホを取り落としそうになるが、画面に表示された発信者の名前は確認した。
「はいはい」
――よ、久しぶり。
電話の相手は柳瀬だ。さっき見たメッセージ群の中には柳瀬からのそれもあった。
「元気?」
――元気元気。そっちはどうよ。
「おかげさんで」
それから二言三言、互いの近況報告を交わしたのちに、本題に入る。和樹の予想通り、遊びの誘いだ。しかも明日の話だと言う。
「急だな。涼矢はなんて言ってた?」
当たり前のようにそう口にした。柳瀬相手に今更取り繕う必要はあるまい。
――急じゃねえよ、元々予定してたんだよ。おまえが前もって帰省の連絡してこないから、こっちも連絡しなかっただけで。あと、涼矢には聞いてない。つか、聞かなくても分かる。おまえがいいならいいって言うよ、あいつは。
「あっそ。俺もあいつがいいならいいけど」
――いいかげんにしろっての。それじゃ決まらねえよ。OKってことでいいよな。
柳瀬は半笑いで言う。
「で、何時にどこ」
和樹は柳瀬から集合時間と場所を聞き出すと、涼矢には俺から伝えておくと言い、電話を切った。画面の通知で、タイミング悪く今の電話の最中に涼矢からの着信があったことを知り、即座にかけ直す。涼矢の用件は、なんのことはない、結局正継の引っ越しは特に出番はないようだという話だった。和樹はそれならちょうどよかったと柳瀬からの誘いの話をする。
――ああ、そう言えばメッセージ来てたな。
涼矢は興味なさげに答えた。
「行くって言っちゃったよ、俺」
――和樹がいいならいいよ。
柳瀬が言った通りの答えに、和樹は笑いを押し殺す。
「誰が来るんだか分かんねえけど」
――前もそうだったよな。遊園地のとき。
「だな」
高校三年のときのクラスメイトとの同窓会と思いきや、蓋を開ければ友達の友達的に参加者が増えていた。そうだ、そこには奏多もいた、と和樹は思い出す。カオリ先生とはまだ続いているのだろうか。
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