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第984話 nick of time (3)
「都会のモヤシは随分でかいんだな」そう言いながらスルリと和樹の隣に座った顔に、ギョッとする。英司だ。水泳部仲間で高校時代はそれなりに親しくしていたが、去年のPランドのときの思い出はあまりいいものではない。「いつ帰ってきたんだ?」
英司の問いかけには上の空で答えながら、和樹は無意識に奏多の姿を探した。英司がいるなら奏多も来ている気がしたのだ。
「来てないみたいだな」
答えたのは涼矢だった。涼矢、和樹、英司の順に座っている。エミリたちはその対面だ。
「来てないって、誰が」
英司が尋ね、涼矢が「奏多」と答えた。
「あー、あいつね。なんか用事あるって言ってたな。どうせあれだろ、例の彼女」
「例の、って」和樹が聞く。「……カオリ先生?」
「そうそう、よく名前覚えてんな」
「まだ続いてるんだ」
「だよね。まあ、奏多はああ見えて結構マメだしな。でも、それ言ったらおまえらこそ」英司が和樹のピアスを指先でつつく。「こんな輪っかまでつけちゃって」
「かっこいいっしょ」
「ペアルックするような奴じゃないと思ってたのによ」
「俺が? 涼矢が?」
「二人共だよ」
「あっはは」
和樹は笑った。英司の指摘がおもしろかったというよりも、予想よりずっと話しやすい英司や、奏多がこの場にいないことに安堵して気が抜けたせいだ。
「もう、やっぱ席替え」
背後から柳瀬が近づいてきていた。あぐらをかいていた和樹の両肩に手をかけると、立て、と促した。
「水泳部で固まってると圧がすげえんだよ。せっかくだからほかの奴ともしゃべれよ」
柳瀬はそんなことを言いながら別のテーブルへと和樹を誘導した。涼矢はそんな二人を視界の端にとらえつつ、和樹がいなくなった瞬間、場の空気がスッと冷めていくのを感じていた。
――昔からそうだ。あいつのいるところに人が集まるし、場が温まる。
空気が読めない奴と言われることには慣れっこだったが、これがその「空気」というものかと、和樹と出会って初めて理解したのだ。和樹の周囲だけ、確かに空気が違うように感じる。もっとも、それは単なる「恋」というものかもしれなかった。今は幸せに響くそのワードが、あの頃は辛くて仕方なかったけれど。
「頭はちょっと元に戻ったな」
英司が和樹のいなくなった空間の向こうから、話しかけてきた。
「え?」
「髪型。部活引退してから長くしてただろ、去年会ったときも」
「ああ……」
「あのままずっと伸ばすのかと思ってた」
今でも「空気」は読めないほうだという自覚はあるが、ある種の「本音」を見透かすのは上手くなったと思う。たとえば同性愛に対する偏見から来る、戸惑い、不安、または侮蔑といった感情。
「ほら、文化祭のときのメイドのコスプレも評判よかったし」
高校二年のクラスの出し物がメイド喫茶で、男女逆転の衣装を着せられた。ロングヘアのウィッグを被り、メイドの衣装を身につけ、メイクまで施された。悪夢のようでもあり、一方ではかけがえのない思い出だ。和樹がきれいだと褒めてくれたから。ただ、意にそぐわない仮装には違いなかった。
「あんなの二度とやらねえよ」英司がしているかもしれない勘違いを正すべく、涼矢は断言した。――男が好きだからって、女装がしたいわけでも、女性になりたいわけでもない。「つか、おまえ同じクラスだったっけ」
「そこから覚えてないの? ひどっ。クラスは違ったけど、F組のメイド喫茶がおもしろいって聞いたから遊びに行ったんだよ。マジで覚えてない?」
「覚えてない。むしろあれは忘れたい。おまえも忘れろ」
「でも、涼矢だってうちのクラス見に来てただろ」
「は?」
「……ん? あっ、そうか。あれって和樹を見に来てたのか。うっわ、今更気が付いたわ。え、あの当時からつきあってたんだっけか?」
「何の話……」
言いかけて、ハッとする。あの文化祭のとき、わざわざ自分から見に行ったのは、あるクラスのある出し物だけだ。和樹が王子役を演じるという、D組の『美女と野獣』。
「後ろのほうにでっかいメイドがいるんだから、舞台からでも丸わかりだった」
舞台と言っても普通の教室で、段差があるわけでもない。演目も後半になってから駆けつけたので鑑賞スペースもなく、教室と廊下の境目近くからしか鑑賞できなかったが、それでも周りの観客より頭ひとつ大きいメイドは、英司の言うとおり目立ったことだろう。
「おまえもあれに出てたのか」
「うん。蝋燭の役」
「ろ……」
涼矢はつい笑った。蝋燭の役、というのは、こどもの頃に見たアニメ映画版の「美女と野獣」にも出てきた燭台のことに違いない。魔法で姿を変えられる前は給仕長。女性に優しく、サービス精神旺盛で、英司にふさわしい役と言えなくもない。
「和樹は王子様らしい王子様だったよなあ。あれは確かに涼矢じゃなくても惚れちゃうよね、乙女心きゅんきゅんしちゃった?」
「乙女心なんか持ち合わせてねえよ。あと、その頃はまだつきあってない」
「そうなんだ?」
「そうだよ」
「でも、好きだったんだ?」
「……」
黙り込む涼矢を庇うように、エミリが英司にグラスを取れと話しかけ、ビールを注いだ。
「はい、じゃ、あたしにも」
英司にビールを注がせているエミリに、涼矢は心の中で感謝した。
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