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第985話  nick of time (4)

 カノンはウーロン茶に口をつけ、戻ってきた柳瀬に「まだ乾杯してないのに」と責められる。その柳瀬が、和樹が移動した空の座布団に座った。おまえもウーロン茶でいいよな、と涼矢に尋ね、返事の前に涼矢の前にウーロン茶のグラスを置くと、続けざまに自分のグラスをビールで満たした。泡ばかりだ。涼矢は、本来は俺が注いでやるのが礼儀なのだろうとぼんやり思う。だが柳瀬相手にそんな気遣いは不要だと思う。柳瀬もまた期待している様子はない。注ぎ終わると泡だらけのグラスを手にして立ち上がり、乾杯の音頭を取った。  和樹が涼矢と離されて座った席は、矢島や宮野、それからミナミといった面々のテーブルだ。ミナミと言えば、マキとよくくっついていた記憶がある。そのマキは少し離れたテーブルにいて、甲高い笑い声がこちらまで響いてくる。大した話題でもなかろうに、その声を聞くだけで和樹は苛立った。隣に座るミナミにしても、失言を重ねるマキをたしなめもするが、助長もさせるタイプで、あまりいい印象はない。宮野は言うに及ばず、この席にいてまともに話せそうなのは矢島ぐらいだ、と思う。とは言え、矢島とてそう親しかったわけでもなく、共通の話題は特に思い浮かばず、当たり障りのない質問を投げかけた。 「みんなは時々会ってんの」 「いや、こんな風に集まるのは成人式以来じゃないか? 二、三人で会う奴はいるかもだけど」 「俺、成人式行かなかった」  そう言ったのは宮野だった。「俺もだよ」と和樹が言う。 「あちらさんは?」  宮野が顎をしゃくって涼矢を示す。 「涼矢? あいつも出てない」 「なんで?」  ミナミが横から口を出した。 「その頃、バイトが忙しくて」 「何のバイトしてるの?」 「塾講師」 「へえ、すっごーい」 「この前、辞めたけど」 「なんで」  食い下がって来るミナミを若干煩わしく感じつつ、和樹は尋問に回答していく。 「三年になると就活もあるし」 「だよね」 「ミナミちゃん、留学するって言ってなかったっけ」 「したよ。カナダ」 「どうだった?」 「すっごく楽しかった。永住してもいいぐらい」 「へえ。日本よりいい?」 「そうだね。私には合ってるって感じ。また行きたいなあ」 「カナダ人の彼氏がいたりして」  冷やかしの言葉を挟んできたのは、例の如く宮野だ。ミナミはあっけらかんと「いるよ」と答えた。 「カナダにいるカナダ人?」 「どういう意味よ、それ」 「日本に住んでるカナダ人じゃなくて、現地で知り合った相手かってこと」 「現地で知り合った、カナダで生まれ育って今もカナダに住んでるカナダ人」 「じゃあ都倉以上に遠距離じゃないっすか」  ミナミがハッとしたように和樹を見た。 「ああ、言われてみたらそうね。でも、今はビデオチャットもあるし、あんまり離れてる感じしない、よね?」  最後は同意を求めてくるミナミに、和樹は少々困惑した。涼矢と離れている間は、淋しいと思う。画面越しに見ることができても触れられない肌は、余計淋しさを募らせる。だから、ビデオチャットはほとんどしない。通常は音声通話止まりだ。 「俺はあんまりしないかな。面倒で」  和樹が適当に答えると、宮野がニヒヒと下卑た笑い方をした。 「たまにしか会えないと、逆に燃え上がっちゃったりするんだろ?」  その手のことを言い出すマキがいなくてホッとしていたのに、と和樹は宮野を呆れた顔で見る。相変わらずの腑抜けた顔に、まともにとりあっても無駄だろうと開き直った。 「そりゃそうだよ。だから今日も来るの迷った。俺らの貴重な時間がさ」 「そいつぁすみませんねえ。恨むなら柳瀬を恨めよ。あいつが言い出しっぺなんだから」 「ま、でもみんなの顔が見たかったのもホントだし。……宮野はどうなんだよ、最近は」 「イタタタ」宮野は胸を押さえておおげさに痛がる振りをする。「残酷な質問するなよ、どうせイコール年齢だよ」  イコール年齢とは、生まれてこの方彼女がいた試しがない、引いては童貞だということが言いたいのだろう。 「別に恋愛事情のことだけじゃなくてさ。学校とか、あと、年の離れた弟だか妹だか生まれたのはどうした」 「あー、それ。俺の生きがいは今やそれだけっすわ。弟、めちゃくちゃ可愛いのなんのって。俺の後ばっかついてきて」  あながち嘘でもないようで、宮野の表情は見たこともないほど柔和で、生きいきとしている。 「恋人作る前に親バカ気分か」 「兄バカか、この場合」  和樹は矢島とそんなことを言い合う。 「ただのバカで結構ですよ」宮野が自虐しつつ、笑う。「大学も浪人したくせに結局どうでもいいとこしか受かんなくて。いいとこナシっすよ、都倉先生」 「……どうでもいいってことは、ないだろ」 「あるよ。あーあ、柳瀬と差ぁついたなあ」  宮野は笑った口元のままボソリと言うが、笑っていないのは明白だった。宮野と同じく一浪はしたものの、柳瀬が入ったのは地元では「いい大学」と称賛される国立大学だ。宏樹の出身大学でもあるし、現役時代の涼矢が受けて落ちた大学でもある。

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