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第217話 夢で逢えたら(9)
「じゃあ、着ない。もう俺、ベッドから出ない。」和樹は上目遣いで涼矢を見て、その頬に手を添えて、キスをした。
涼矢はため息をついた。「いいよ。そうやって、明日も明後日も俺のこと、引きとめてくれるんなら。」
和樹は、まだ涼矢の頬にあった手をひっこめた。今度は和樹の方がため息をつく番だった。無言で涼矢を押しのけるようにしてベッドから降りて、服を出す。
涼矢も何も言わずに洗面所に行く。棚に置いた私物を眺めた。ほとんど髭は生えない涼矢だが、昔ながらのT字剃刀だけは持ってきていた。ヘアブラシは初日こそ和樹のを借りたが、すぐに安物を買った。それらと歯ブラシの処分について、しばし思案した。次に来るのはいつだ。秋って言ってたか。そうだ、10月の末という話をした。来月だけれども、まだ9月に入ったばかりだから、実質約2ヶ月空くことになる。2ヶ月か。涼矢は歯ブラシは明朝使ったら捨てて行こうと思う。ブラシは次回に備えてこのまま置かせてもらおう。剃刀は使い捨てタイプではない、ちょっと高級なもので、自宅でもごくたまに使うから置いてはおけないし、捨てても行けない。鏡を覗き込んで、ほとんど髭らしい髭のないことを確認すると、明日の朝も使う必要はないと判断して、それを手に携えたまま室内に戻り、キャリーケースの中の小物を入れた袋にしまった。
「充電器。」と和樹が言った。
「え?」
「スマホの充電器、忘れんなよ。」
「ああ。」充電器は共用できるタイプだったが、涼矢は自分の分を持参していて、それを使っていた。「明日の朝、しまう。」夜の間にも充電しておきたかった涼矢はそう答え、しかし、確かに今は部屋の隅の床に近いコンセントを利用していて、明日の朝のバタバタした時だと見落として忘れてしまいそうだと思った。「和樹のと取り替えていい? ここだと、忘れそう。」和樹の充電器はベッドの枕元にある。和樹が了承したので、それと取り替えた。ついでにアラームをセットする。ここ2週間は和樹のスマホのアラームで起きていた。「6時起きでも平気?」
「平気。朝メシ食っていくんだろ?」
「うん、そのつもり。」涼矢はスマホから視線を離さずに言う。「和樹との食事のチャンスをね、1回でも減らしたくない。ああ、あとさ、ヘアブラシ、置いといて。」
「ああ。自分ちで使わないものは置いてっていいよ。歯ブラシとか。」
「それも考えたけど、次来るのは早くて2カ月後だから。その時また買うよ。」
「そっか。」2本並んだ歯ブラシって、ちょっと、良かったんだけどな……と和樹は思った。でも、本人がいなくなるのに歯ブラシだけあるなんて余計淋しいか、と思い直す。
「ピザ取ろうか。」涼矢がとつぜん言い出した。「夕飯。作りたくないし、今から外に出るの面倒だし。」
「いいけど。」
「取ったことある?」
「ないよ、1人で食いきれないし。」
涼矢はスマホでピザ店を探し始めた。「すげ、配達地域内に4店舗出てきた。さっすが東京。この店のがいいとかって、ある?」
「どれでもいい。」
「あと、ピザは普通の奴だよね。パイナップルのってない。」初めて涼矢の家に泊まった時、ピザを取った。その時の和樹のオーダーを涼矢は覚えているようだ。
「そう、普通の。」
「ポテトは要る?」
「要る。」
「チキンナゲット。」
「焼いてるチキンある?」
「ある。骨付きチキンってやつ。」
「それ。」
「サラダは?」
「おまえが作るんじゃないの。」
「サラダにするような野菜がないから。」
「じゃあ、シーザーサラダ。コールスローでもいいや。」
「シーザーサラダにする。アイスもあるって。あ、エッグタルトもある。」
「高くなるだろ。」
「いいよ、最後の晩メシぐらい、ゴージャスに行こう。」
「おまえがゴージャスって言うなら、高級フレンチぐらい連れてってもらわないとなぁ。」
「次はね、ちゃんと。夜景の見える、素敵なホテルのレストランにお連れしますよ。」
「で、部屋が取ってあるんだろ?」
「そうそう。」
「やーらし。」
「バスタブにはバラの花びらでも浮かべておくよ。」
「ローション風呂じゃねえの?」
「お望みとあらば。……よし、と。」そんな会話をしつつも、涼矢はスマホでオーダーまで完了させたようだ。
和樹は窓際に寄るとカーテンの端をめくり、外を見た。もう暗い。暗いはずだが、街灯が眩しい。すぐにまた閉めた。何故そんなことをしたのか自分でも分からない。手持無沙汰で落ち着かない。涼矢がひとつずつ作業を終えて行くのを見るたびに、胸がキュッと痛くなる。
閉めたカーテンをただぼんやりと、見るでもなく見る。視界に涼矢を入れないようにするには、こんな風にするしかない。カーテンは無地だと思っていたが、よく見ると植物の葉と蔦のような織り柄が入っていることに気付く。S字の蔦から右に左に葉が出ている。右に2枚、左に1枚、また右に1枚、左に2枚。これがひとつのパターンで、あとはそれが繰り返されていて……。そんなことを思っていると、肩に涼矢の手が載せられた。そのまま背後から抱きすくめられる。
「すぐだよ。2か月。すぐだ。」呟くようなその声は、和樹に言っているのか、自分に言い聞かせているのか。
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