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第225話 ことのは(2)
「倉田さんと奥さんの関係は俺には理解できないけど、それでいいって2人が思うならそれでいいと思ってて。ただ……。」和樹はなるべく感情的にならないように努めた。「哲が、倉田さんに、父親代わりみたいな、そういうの求めてきたとしたら、倉田さんは、ゾッとするの? 触りたくもないって思うんですか?」
倉田は、和樹の質問の意図が分からないとでも言いたげに、きょとんとした表情をした。
「倉田さんは、哲の、何が好きなんですか。」和樹が質問を重ねた。
「別れた相手の好きなところを言えって言うの?」
「はい。聞きたいから。」
倉田は苦笑して、顔を斜め横に向け、頬杖をついた。和樹とは視線を合わせないで、話し出す。「まあ、可愛いよね。生意気なところも含めてね。彼氏に振られたっちゃあ俺のとこ来て、ヨウちゃん聞いてよーって愚痴って。なし崩しでセックスして、翌朝には元気になって出て行って、しばらくすると、また俺のとこ来て、昨夜の男はひどかった、殴られたって泣いて。俺が手当てしてやるとありがとうって言って、そのまままたセックスして、朝には元気になって。一緒にいる時は全部俺に奢らせて平気な顔してるけど、なんでもない時に突然なんか寄越してくる。栄養ドリンクだったり、5本指ソックスだったり、脈絡のない安物だけど、どうしてだか、その時の俺にぴったりなもんばっかりで。栄養ドリンクは、俺が仕事で徹夜続きの時でさ、その頃全然連絡取りあってなかったのに、そんなもんを、急に持ってきて。」倉田はそこまで一気に語ると、ふいに黙った。黙ったまま、かなりの時間が経過した。「俺、あいつのこと、結構好きだったんだね。」倉田が呟いた。
「何を今更言ってるんですか。それに、過去形じゃなくて、今でも好きなんでしょ?」
倉田は頬杖をついたまま、和樹を見た。「過去にしないといかんのよ。もう、別れたんだから。」
「一時的なことですよね? 離婚して、哲もちゃんと卒業して、そしたら、また。」
「それまで待っててくれとは言えなかった。待ってるとも言われなかった。だから、仕方ない。」
「……言ってやればよかったのに。」
「だから、それが無理なんだって。責任取れねえもの。あの子、ああ見えて優秀なんだろう? 幸せにするとか、守ってやるとか、こんな高卒の、中小企業の安月給のおじさんには言えないよ。」
「そんな、責任とかじゃなくて……好きだから一緒にいたいって。他の奴じゃダメで、哲が好きで、だから哲も他の奴のこと見ないで、俺だけ見てほしいって言えばいいって話です。」こんなことを言える立場ではないことは、和樹も分かっていた。経済的なことも含めて、自分より何でもできる涼矢に感じてしまう劣等感のようなもの。その裏返しで意地になって"対等"を主張した和樹に、自分がもっと大人なら和樹は素直に甘えてくれるのだろう、という意味のことを、涼矢は言っていた。でも今、10歳も年上の倉田の様子を見るに、大人になったからといって、好きな相手に余裕が持てるものでもないらしい。それともこれは倉田固有の問題か。
「そんなことは言わんでも分かるだろ。なんのかんのつきあい長いし。」
和樹はピクリと反応する。「言って欲しいんだと思います。哲は。守ってやるなんて約束をしてほしいんじゃなくて、好きだから一緒にいてくれって、そういう言葉が欲しいんだと思う。」
「意味ある? それって。」
「嘘だとしても、言葉が欲しいって、涼矢は言ってた。」
倉田は和樹を凝視した。「嘘でも?」
「うん。言わなくても分かるっていうのは、通用しないみたい。前に女の子にも似たようこと言われたことあるけど、不安なんだって、言葉にしないと。哲もそういうタイプかもしれません。」
「なるほどねえ。」倉田は皮肉っぽい笑みを浮かべる。「でも、いちいち言葉にするなんてのは、苦手だなあ。そういうのが煩わしくて、特定の相手を作らないようにしてきたし。」
「だったら、何も言わないで、今まで通りで良かったんじゃないですか? その、セフレ的な関係のままで。」
「そうなんだよね。でも、そういうわけにも行かなくなって……。きみらのせいだぞ。」倉田はまたくしゃりと笑った。
「なんで俺たちのせいなんですか。」
「だって、哲が、きみらに当てられて、いいないいなって騒いで。最初は哲のほうがさ、熱心に言ってきたんだ。焼肉の後。ちゃんとした恋人同士になろうって。」
「そこでウンと言えば終わりだったんじゃないですか? お互い、浮気しなきゃいいだけの話でしょ。」
「うん、そうなんだよね。」倉田はさっきと同じ言葉を返してきた。額に手を当てる。「都倉くんの言う通りだよ、まったく。」
「倉田さんがどうしたいんだか、全然分かりません。」
「俺にも分からん。」倉田は皿に最後に残ったピクルスを口に放り込むと、酸っぱそうに顔を歪めた。それを見て和樹はピクルスは残そうと決意する。「ずっと場当たり的に生きてきちゃったから、いざ将来のこととか考えようとしても、どこから手をつけていいんだか分かんないんだよ。」
「離婚もして、哲が卒業して、また倉田さんのところに戻ってきたら、よりを戻すんですか? 一緒に暮らすことも、考えてる?」
「うん……そうだね。そうできたらいいなとは思ってる。でも、そのための努力って言うのかな、そういうのをする気にはなれないんだ。このまま、何も努力もせずに哲が戻ってきて、一生俺以外とセックスしないでくれりゃいいなって話。」
「都合よすぎる。」
「だろう? だから、引きとめられなかった。」
和樹はハア、とため息をついた。涼矢が過剰なほど倉田を目の敵にするから、せめて自分は味方になってやろうと思ったけれど、なんだかその甲斐がない。
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