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第227話 ことのは(4)
部屋に入ると、ベッドに直進して、ダイブするようにうつぶせで寝た。枕は涼矢の匂いがするような気がした。でも、分からない。涼矢が来る前がどんな匂いだったか思い出せない。
[帰宅した] 和樹はスマホでメッセージを送った。
[今? 寄り道した?]
[うん 倉田さんに会って、朝飯ゴチになった 変な誤解するなよ]
[俺も結局腹減って車内販売の弁当食べた][倉田さんから、聞いた?]
[別れたって話なら]
[俺も聞いた 哲から]
[隣、いるんだろ]
[いるよ]
[大丈夫そう?]
[うん 大丈夫]
涼矢が断言するのを目にして、和樹は安堵した。何がどうして大丈夫と思ったか分からないけれど、それは追々聞けばいい。今は涼矢を信じて、「大丈夫なのだ」と思うしかない。
その後は適当なスタンプを送りあって、会話を終了した。
「都倉くんから?」窓際の席の哲は逆光で表情は良く見えない。
「ああ。」涼矢はスマホを元のようにテーブルに置いた。
「俺のこと、なんか言ってた?」
「心配してた。」
「大丈夫なのに。」
「そう言っておいた。」
「そう。」哲は再び窓の外に目をやる。
乗車して2時間近く経過しているが、大した話はしていない。持って回った言い方などできない涼矢が「倉田さんと何かあったのか?」と単刀直入に哲に尋ねたのは、今から1時間半前、乗車して間もなくのことだ。哲は「ヨウちゃんに振られた。」とあっさり答えた。
「振られた?」
「うん。」
「倉田さん、離婚するんだろ?」
「それはそれで、する。でも、俺とはつきあえないって。」
「どうして?」
「奥さん、こどもが欲しくなったみたい。けど、あの2人、無理だろ? セックスすんの。だから人工授精するんだって。」
「でも離婚?」
「それが奥さんからの離婚の条件なんだってさ。こどもさえできればヨウちゃんは用無しで、そしたら離婚するんだって。それまではね、夫婦ってことになってないと不妊治療も難しいから。」
「もともと偽装なんだから、おまえとだって、そのままつきあえばいいんじゃないの。」
「そう思うよ、俺も。そう言ったし。でも、ダメなんだって。自分は子作りしてんのに俺を束縛できないんだってさ。俺はいいって言ってるのに、何を気にしてるんだかな、あのオヤジは。」
「で、セフレに戻るわけか。」
「いや。」哲は目を伏せた。「もう会うのも、連絡取るのもやめようって。俺のわがままに振り回されるの、嫌んなったのかな。」
「……そうか。」
それきり、2人とも黙ってしまった。次に涼矢が口を開いたのは車内販売の時で、2人の間ではもう倉田の話は出て来なかったし、それ以外の会話もしなかった。お互い好き勝手にただぼんやりしたり、外の風景を眺めたり、スマホでネットニュースを見たりして時間が過ぎていた。そこへ和樹からのメッセージが届いたというわけだった。
窓の外に流れる景色が見慣れたものになってきたところで、哲が「涼矢。」と言った。涼矢は田崎と呼べ、とは言わなかった。
「もう、絶対、二度とこんなこと言わないし、しないから、いっこだけ、お願いしていい?」
「何?」
「肩、貸して。」
「え。……ああ。」
哲は涼矢に寄り掛かり、肩に頭を載せた。うつむきがちにそうしたので、涼矢からは顔は見えないが、おそらく泣いているんだろう、と涼矢は思った。哲の、小刻みな震えがそれを物語っていた。
もうすぐ2人の降車駅に着く。そのアナウンスが流れると、哲は、ずび、とかすかに洟をすする音をさせながら体を起こし、涼矢から離れた。手を鼻先に持っていこうとした寸前に、涼矢がポケットティッシュを哲に渡した。
「サンキュ。」哲はそれで洟を拭った。「肩も。ありがとう。」
「いや。」涼矢は立ち上がって棚から荷物を下ろす。哲はタウン用の小ぶりのリュックひとつで、荷物らしい荷物はない。「そういやおまえ、荷物、それだけ?」
「うん。……ヨウちゃんがね、送っちゃった。ヨウちゃんちにずっと置いてあった、洗面用具とか細々したものも、全部。」
「そっか。」
そこから2人は別々のローカル線に乗り換える。分岐するところまで並んで歩いた。
「叔父さんとは、うまくやっていけそう?」涼矢が聞いた。
「うん。なんとかね。肩身は狭いけど、自業自得だし。お義父 さんもいろいろ、かばってくれたりなんかして。」
「会ったの?」
「うん、そう。迷惑かけたくないとか、二度と戻らないとか言ってたくせにさ、カッコワリ。」
「……大丈夫、だったの?」
哲は少しだけ表情を硬くする。「まあね。最後に会ったの、たかが半年前なのにさ、すげえ老け込んじゃってて。それって俺が心配かけ過ぎてるんだろうな。」それから無理して大袈裟に笑ってみせた。「とにかくもう、オヤジくさいの通り越して、ジジイだよジジイ。頭もちょっと薄くなった感じでさあ。」
涼矢の脳裏に、スマホの義父が蘇った。倉田に似ている、とあの時思った。もしかしたら、哲の義父が老けたのではなく、面差しの似た、でもずっと若い倉田を見てたから、そう感じるのではないのか。涼矢はそんな風にも思ったが、口には出さなかった。
「じゃ、俺、こっちだから。」哲が自分の乗る路線のほうを指差した。
「ああ。」
「……ありがとね。」と哲は言った。元々上がっている口角を更にキュッと上げて。
「別に、俺は何も。」
「都倉くんにはナイショな。」ニヤリと笑って、涼矢の肩を指先でトントンと叩いた。「おまえがあんな優しいって、知らなかったよ。」
涼矢は、フン、と鼻で笑った。
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