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第230話 I'm proud of you (3)
「同じこと?」佐江子の目が興味深そうに輝いた。
「今はこども欲しいとか全然思わないけど、もし、将来、欲しいと思う日が来るようなことがあったら、親が必要な子を育てればいいって。」
「都倉くんがそう言ったの?」
「うん。……自分の遺伝子を引き継いでなくたって、俺たちは、その子をきっと愛せるよって。」佐江子にまじまじと凝視されて、涼矢は慌てて補足した。「そんな、具体的な話として言ってたんじゃないよ。もし、いつか、万一、そういうことを考える日が来たら、って話。和樹も、現実的なことじゃないからこそ、今は楽天的に、良いほうに考えたらいいって。」
佐江子はコーヒーを飲み、薄く笑った。涼矢も時々そんな風に笑う。見慣れない人が見ても笑顔には見えないかもしれない、笑顔。「あなたは良い相手を選んだね。」
「え。」
「私の育て方が良かったんだ、きっと。」佐江子はわざとらしくふんぞりかえってみせた。
涼矢は苦笑いした。「俺、あなたに育ててもらった記憶、あんまりないです。」
佐江子は、今度ははっきりそれと分かるように目尻に皺を作って、笑った。「そう言えばそうだった。私も育てた記憶、ないや。」
涼矢は立ち上がり、自分と佐江子のカップを回収し、シンクへ運んだ。
「いいよ、疲れてんでしょ。やっておくから。」佐江子がシンク前に立つ涼矢の背中に言う。
「そっちこそ貴重な休日なんだろ。」
「そうだけど。」
「カップだけだから。これ済んだら、昼寝してくる。昨日あんまり寝てないんだ、朝も早かったし。」言い終わってからしまったと思った。これこそ、親に言うべきことではなかった。
それでも佐江子は特段に気にする様子もなく、涼矢がホッとしていると、洗濯機から完了を知らせるブザーの音が聞こえた。ああ、そうだった。洗濯してたんだった。涼矢は洗濯機からTシャツとパンツと靴下を出し、干した。それについては佐江子が「やっておく」と言い出さないことは、却ってありがたかった。
カップを洗い、洗濯物を干すと、涼矢は「じゃ、俺、上にいるから。」と佐江子に声をかけ、リビングダイニングを出ようとした。上、というのは2階の自分の部屋のことだ。
部屋のドアを開けた涼矢を、佐江子が呼び止めた。涼矢はレバーハンドル式のドアノブに手をかけたまま、立ち止まる。
「何かあったら言うのよ。私に言いづらいならお父さんでも、誰か別の人でもいい。信頼できる人に。」
「あ、うん。」たぶんそういうことはないだろうと思いながらも、佐江子の心情を慮って、そう答えた。涼矢は思う。最も辛い時期は過ぎてしまった。この先、偏見にさらされても、差別の憂き目にあっても、和樹がいてくれさえすればなんとでもなる。もしどうにもならない「何か」があるとしたら、それは和樹がいなくなることだけだ。そして、そうなった時には、誰に頼ることもない。他の誰かなんて、何の意味もない。だからといって、初恋のあの人みたいなこともしない。そのせいで誰かが自分を責めるようなことはあってほしくないから。そうなったら俺は、ただ、力なく、虚ろに残りの人生を消費していくんだ。
涼矢は一歩部屋を出て、足を止めた。何かひっかかるものがある。その正体に気付くと、振り返り、ドアから顔だけ出して、佐江子に問うた。
「父さん?」佐江子の顔を窺う。「父さんって言った? 今。」
「ええ、私に言いづらいなら、お父さんに、って。」
「親父、知ってるの?」父さんを親父と言い替えて、涼矢は詰め寄った。
「知ってるよ。」そんなことは当たり前だという含みのある言い方だった。
「いつから?」
「いつって……。」眼球をくるくると回しながら、佐江子は記憶をたぐりよせた。「お父さん、都倉くんとあなたと一緒に、Zホテルに行ったじゃない? あれの2、3日前。」市内、いや県下でも最高級のZホテルのフレンチレストラン。和樹が上京する数日前のことだ、父親の希望で3人で食事をした。息子に「良い友人」ができたと聞いて、会ってみたくなったのだと、その時は言っていた。
「えっ、ちょっと待ってよ。」涼矢は再びダイニングテーブルのほうまで戻った。「あの時にはもう、知ってたわけ?」
「うん。あれの少し前に、私が電話で話して。だから急にこっちに帰ってきたんだから。」
「母さんが言ったの?」
「そんな怖い顔しないでよ、単身赴任してるお父さんにあなたの近況を知らせるのは、当然でしょう? まして彼、あなたのこと可愛くって仕方ないんだから。逐一報告しなきゃすぐ向こうから電話かかってくるし、そういうの、あなただって知ってるでしょ?」
「なんて説明したの?」
「そのままよ、涼矢に恋人ができたみたいよって。同級生の男の子で、すっごくイケメンの、きちんと躾の行き届いた良い子で、涼矢のことはとても大切にしてくれてるみたいって。そしたら気になっちゃったのね、すぐに飛んで帰ってきた。ま、ちょうどこっちのほうでの仕事もあって、そのついでもあったみたいだけど。」
「それから?」
「あとは、こっちに来てあなたを直接見て、あなたの雰囲気が変わったね、ってお父さんのほうが言い出して。あ、良い風に変わったっていう意味よ? それもその子のおかげかって聞くから、そうだと思うよって言ったわ。」
おおむね涼矢の把握していたことと一致した内容ではあった。だが、一番重要な和樹のポジションについては、「親しい友人」として父親に認識されていると思っていたし、レストランの時にもそういう前提で会話していたと思う。父親も「息子の友達」に対する態度で和樹に接していた記憶がある。
「なんで親父に言うんだよ。信じらんねえ。」涼矢は気色ばみ、語気荒く言った。母親の前でしか見せない部分だ。
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