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第232話 I'm proud of you (5)
ベッドにごろりと横になって、考える。和樹に、なんて言おう。夜には言えるようにしておかないと。俺たちのことが父親に知られていた――まあ、要はそれだけのことなのだけれど。
涼矢が父親に言えずにいたのは、同性とのつきあいを反対されると思ったからではなかった。涼矢を溺愛する父親に言えば、「過剰に」「涼矢に味方するような」反応が予想できたからだ。熱心に同性愛について勉強したり、その結果、ああだこうだと先回りして忠告をしたり、果ては、和樹に直接コンタクトを取って親密になろうとしたり。当然だが、どれだけ善意であろうとも、自分の恋愛関係にまで父親にしゃしゃり出てこられるのは耐え難い。
佐江子もそんな父親の……彼女からしてみれば夫の……性格は知り尽くしているのだから、言うはずがないと思っていた。だから改めて口止めもしていなかった。
だが、結果的にはそうではなかった。それどころか、佐江子の話から逆算すると、佐江子は自分が知ったのとほぼ同時に父親にも知らせていたことになる。
父さん、知ってたのか。でも、知ってたからといって、何もしてこなかった。母さんの言っていた通りだ。そう、全部、母さんの言う通り。勝手なことを言っているのは俺のほうというのも。母さんが父さんに、折りに触れこちらの近況、主に俺にまつわることを知らせているのは知ってたんだし、「この件」だけは別物だなんて、単なる俺の思い込みに過ぎなかったんだから。そして、現実を見れば、母さんの判断のほうが「正しかった」のだ。俺が心配していたようなことを、父さんは何もしていない。つまりは母さんのほうが父さんのことをよく理解していたというわけだ。
和樹にこのことを伝えたら、あいつは、なんて返事するのかな。「両親に認められているのは良いことだよ」と言うだろうか。「いつどうやって言おうと頭を悩ませる必要がなくなって良かったな」と言うだろうか。どちらも言いそうだ。いつだって和樹は、物事を良いほうにとらえる。
和樹のレスポンスを想像しているうちに、涼矢の心は軽くなっていった。そうだ。これで良かったんだ。
だとしたら、次にすべきことは。
そう考えた時、涼矢の部屋のドアがノックされた。
「寝てる?」
「起きてる。」
佐江子はそうっとドアを開けた。ドアの隙間から言う。「これから寝るの?」
「いや。」ベッドに寝そべったまま返事をする。
「ラーメンでも作ろうと思うんだけど、涼矢も食べる? お昼、まだでしょ?」
「ああ、うん。食う。」
「言っておくけど、私が作るラーメンだからね? 具なしよ。玉子落とすぐらいよ?」
涼矢はムクリと起き上がり、後頭部を掻きながら言った。「分かったよ、俺が作るよ。」
涼矢は佐江子より先に階下に降り、キッチンに立った。
5袋入りのインスタントラーメンがキッチンの片隅にあった。そのうち2つは既にない。2週間前にはなかったから、佐江子が自分用に買って来て食べたのだろう。自分のいない間の佐江子の食生活を想像すると、涼矢は暗澹たる気持ちになる。かつては自分もそれを強いられていたわけだが。いくらなんでも成長期のこどもにそれはないだろうと両親が話しあった末、涼矢が小学生の頃には、田崎家には涼矢の食事作りをメインとした家政婦が、週に何回か通うこととなった。涼矢はその年配の家政婦には比較的なついて、料理に興味を持ち、調理法を教わった。彼女は見た目の「田舎のおばあちゃん」的な印象と違い、大匙1とは15ccである、塩ひとつまみと書いてあったら、親指と中指と人差し指の3本の指でつまめるくらいの量である、かぶるくらいの水とは、鍋に材料を平らに入れた時に、材料が水面から出ない程度の水加減のことである……と実に客観的な表現で教えてくれたので、涼矢の性に合っていた。つまり、涼矢が料理を好きになったのは、彼女と過ごした時間によるところが大きい。
インスタント食品は好きではないが、佐江子にインスタントでもこのぐらいの工夫をしろと言いたい気持ちを込めて、涼矢は野菜を切り始めた。冷蔵庫を開けると牛乳がある。インスタントラーメンの隣にはシリアルの箱があったから、これも佐江子がシリアル用に買ったのだろう。1人にした場合、和樹と佐江子、どちらがマシな食事をするのかと想像する。まだ和樹のほうがマシかもしれない。少なくともカレーは和樹のほうが美味しい。
涼矢は塩味のラーメンスープを牛乳で作る。いつの間にか後ろから様子を見ていた佐江子が「えっ。」と驚きの声を上げた。
「塩ベースのスープと牛乳は合うから。」涼矢は佐江子に背を向けたまま解説した。野菜は炒めずスープに入れて煮る。最後に、缶詰のあさりの水煮を投入した。
「クラムチャウダーみたい。」
「まあ、似たようなもの。」麺だけ別に茹で、湯切りして丼に入れた。そこにスープを鍋から直接注ぎこむ。
2人でいただきますを言い、食べ始めた。
「美味しい。」と佐江子は笑う。
「野菜摂れるし、牛乳でカルシウムも。あと、あさりも何かにいいはず。」
「鉄分ね。貧血予防。」佐江子は答える。「でも鉄とカルシウムを一緒に摂ると吸収が悪くなるんじゃなかったっけ。」
「だとしても、あんたが作る具なしラーメンよりは栄養価は高いよ。知ってるならまともなもの作れよ。」
「親に向かって"あんた"はなし。」
「じゃあ、クソババア。」顔色を変えずに涼矢は言う。
「いい加減にしろ、バカ息子。」同じ表情で佐江子も言う。
涼矢はまた黙りこんで、ひたすら麺を口に運んだ。佐江子もだ。佐江子は最後に丼を傾けてスープまで全部飲み干した。涼矢は残すようだ。
「塩分でも気にしてるわけ?」佐江子が涼矢の丼を見る。
「うん。」
「そう言えば涼、少し太った? いや、太ってはないけど、痩せたのがちょっと戻った?」
「かもね。3食しっかり食ってたから。」
「もっと太ってもいいわよ。痩せ過ぎよ。」
また和樹と同じことを言う。だが、それはさすがに言わないでおこうと思う。
佐江子が「せっかくの栄養たっぷりスープ、捨てちゃうわよ。」と言いながら、2人分の食器を下げ、洗いはじめた。
「父さん、なんか言ってた?」佐江子の背中に向かって言った。
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