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第992話  nick of time (11)

「カノン、高校のときも同じこと言ってなかった?」 「言った言った。部活終わりにね、更衣室で。女子部で盛り上がった」 「くだらないことばっか話してたよねえ。……あ、でも、違う。そのときは三〇歳になったら、だったよ、たしか」 「高校の頃は三〇なんて遠い先だと思ってたんだよ。でも、ハタチになってみたら意外とすぐって感じしない? それに三〇ならまだ恋愛も頑張れるっしょ」  カノンはその言葉の裏付けのように三〇代の芸能人の名前を並べ立て、誰が熱愛だ、誰が破局だとゴシップネタを言う。エミリはあまり芸能人に詳しくないらしくキョトンとしているが、三〇代はまだまだ恋愛現役、という部分には共感したようで「そっかあ、そうだね」と相槌を打つ。 「だから十年延長した」 「よし、約束だ」  三〇歳になっても独り身だったら、一緒に暮らそう。――女子高生だったエミリとカノンが交わしたのであろう、約束。当時の彼女らにとって、三〇歳ははるか遠い未来で、その頃には結婚ぐらいしているだろう。こどもだっているかもしれないと想像し、それが「普通」だと無邪気に信じて疑わなかったのだ。その手の「普通」がどれほど涼矢を傷つけてきたのか、二人は知らないのだろう。俺だって涼矢がいなければ知らないままだっただろうけど。三〇歳ならまだまだ恋愛ができるとはしゃぐ彼女たちは、今だって分かっちゃいないのだ。だから平気で俺たちの前でそんな話ができるのだ。いくら二人が自分たちの「よき理解者」だと言っても、やっぱり、壁はある。  ぼんやりとそんなことを考える和樹に、カノンがぽつりと呟いた言葉が聞こえてきた。 「恋愛なんかに振り回されるより、エミリといるほうがよっぽど楽しそう」  少し淋し気なカノンの横顔に、和樹は少しだけ反省した。ゲイかもしれない相手だから。大学教授だから。理由はどうであれ、相手の立場を慮って恋心の封印を決めた彼女の気持ちを、自分だってちゃんとは理解できていないのかもしれない。 「でも、この方、掃除しないよ?」  その場の雰囲気を変えたくなって、和樹はエミリをネタにした。エミリが気色ばむ。 「ちょっ、なんでそういうこと言うの」 「本当のことだろ?」 「和樹の部屋にいたのなんて二週間やそこらでしょ。そんなんで判断されたら溜まったもんじゃないっての。あのときはね、遠慮してたんだよ。勝手に物の位置変えたりしたら悪いなあって」 「女子寮はもっとひどいって言ってなかったか?」 「それは……そういう人もいるけど」 「エミリは違うんだ?」  和樹に追い詰められて、エミリは観念したようだ。 「はいはい、そういう人でーす。片付け嫌いなんだよね」 「あー、それじゃ私、同居無理かも」 「なんでよ」 「私、散らかってるのダメなのよ。散らかす人に限って気が付いた人がやればいいって言うけど、それじゃ結局私ばっかり掃除する羽目になるし」 「経験者は語る?」 「まあ、そんなところ」 「同棲してたことなんてあった?」 「ないけど、週末だけ通っていた人はいたんだよ。一人暮らしの人でね、これがもう、汚部屋の一歩手前で。行くたびに掃除よ。少しは掃除してってお願いしても聞いてくれないし、自分が不潔なんじゃなくて、私が潔癖なんだって言い出すし。そのうち週一で通うハウスキーパーにでもなった気分になったから別れた」  カノンの話を聞いていると胸がチクチクと痛む和樹だった。ちらっと涼矢を見ると目が合う。さっきまでの無愛想な表情が消え、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。おおかた「和樹だって人のこと言えないよな?」とでも思っているに違いなかった。  柳瀬のおかげで時間制限なしの宴会ではあったが、店の営業時間の制限はあるし、それより前に終電の都合もあった。柳瀬がそのタイミングで声をかけると、自然と閉会ムードになった。柳瀬と同じく飲食店でアルバイトをしているという矢島が、なにげなく空いた皿を種類別に分け、ゴミをまとめはじめた。それを見た周りも真似して、片付けをする。 「いいって、そんなの」 「飲み放題までつけてもらったし、このぐらいは」  そんな会話をしている矢島と柳瀬の背後を、マキが通り抜ける。 「私、電車だから、お先に」 「マキ」ミナミが引き留める。「マキも手伝いなよ。いちばん迷惑かけたんだから」 「えー、でも、終電」 「私も電車組だよ。まだ間に合うから大丈夫」  和樹はミナミがマキに強い口調で話をするのを初めて見た。周りの様子を見る限りでは、みんなも同様のようだ。ミナミに加勢をする者はいないが、かといってマキを庇う者もいない。マキは「渋々」を絵にかいたように不貞腐れた顔で矢島たちの手伝いをする。と言っても、グラスを二つ三つ寄せた程度だったが。 「そのぐらいでいいよ。あとは店のほうでやるから。みんなサンキュー、助かったわ」  結局全員が参加する形で片づけをしたので、あっと言う間に使った食器類はテーブルの端に寄せられ、空き瓶やゴミもひとまとめにされていた。座布団も座卓も宴会が始まったときの状態と同様に整然としている。「来たときよりも美しく」、和樹の脳内では奏多の声でそんな言葉が再生された。合宿のときに言っていたセリフだ。再生された声は無意識のうちに涼矢による「奏多の物真似」にすり替わり、笑い出しそうになる。

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