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第238話 Alice in Wonderland (2)
佐江子は勝手知ったる様子で、さっさと店内で一番広いテーブル席に陣取った。客はまばらだったから、3人で6人掛けの席を選んでも特に支障はなさそうだ。縦横共に大きな宏樹が片側の真ん中の席に座る。佐江子と涼矢は、もう片側の、3つ並んだ椅子のそれぞれの端に座り、ちょうど3人で3角形を描くような配置になった。
「お料理も結構美味しいのよ、ここ。おつまみだけじゃなくて、ちゃんとしたお食事もできるし。」佐江子はメニューを宏樹向きに置いた。「あ、宏樹くんは飲めるよね?」そう言って、ドリンクメニューのページを開く。
「とりあえずビールで。」
「ビールでいいの? ウィスキーもあるし、焼酎でも、日本酒でも、カクテルでも。」
「一杯目は、ビールなんで、いつも。」おしぼりで手を拭きつつ、宏樹が言う。
「ビールか。私さっき飲んじゃったから、違うのにしようかな。……うん、よし、決めた。」何に決めたのかは言わずに、今度は食べ物のページを広げ、宏樹に見せた。
一通りの注文を済ませ、飲み物が揃ったところで、3人で乾杯をした。佐江子は芋焼酎のロックだった。
「何の乾杯?」と涼矢が言う。
「私と宏樹くんとの出会いに。」
「ふうん。」
「あなたにとっては、小姑ってことか。」佐江子のその一言に、涼矢と宏樹は、飲み物を同時に吹き出しそうになった。
「えっと、あの。」宏樹が佐江子の顔を見ながら、おずおずと切り出した。「親子水入らずのところに、のこのこ来てしまって、非常に申し訳ないんですけど、ひとつ、あの、確認と言いますか……。」
「一応、一通りのことは、知ってます。」涼矢が言った。今日になってようやくきちんと話したわけだけれど。
「はあ。」宏樹も、和樹から聞いてはいた。2人の関係は涼矢の母親にはバレていると。確かコンドームを使えとまで言われたとか何とか。これがその母親か。なるほど、と思う。
「涼矢は無愛想だし、しゃべらないし、面倒くさいと思いますけど、和樹くんには本当によくしてもらってるみたいで。」
「母さん。」涼矢は横目で佐江子を見た。「余計なこと、言わないで。」
「余計なことじゃないでしょう。お世話になってるんだから。今回だって2週間も。」
「母さん!!」涼矢は佐江子を睨んだ。
「……え、知らないの?」
「知らないかどうか知らないけど。」涼矢はチラリと宏樹を見た。
宏樹のほうが気まずそうに2人を見た。「俺のことは、大丈夫だよ、涼矢くん。」と苦笑しながら言う。宏樹は今では「涼矢」と呼び捨てにしているのだが、今日は佐江子の手前、くん付けらしい。「俺が何を知らないのか、知らないけど。」
「あー……。」涼矢はうつむいて、テーブルの下でもじもじと両手の指先を合わせた。「和樹んとこ、行ってきました。今日帰ってきたばかり。」
「あ、そうなんだ。」
「すいません。」
「いや。カズの奴、なんも言わないからさ。元気にしてた?」
「はい。」
もう帰りたいと心の中で叫んでいたところに、若い女性店員が、涼矢の頼んだパスタをはじめとした料理を運んできた。店の奥は厨房のようで、コック服が見え隠れしている。料理の提供スピードからすると、厨房にはもう1人2人いるかもしれない。アリスはカウンターの客と談笑している。その隣にはバーテンダー専任らしき男もいて、他の客が注文したカクテルを作っている。これがこの店のスタッフ全員だろうか。外見は場末感を醸し出していた割に、数人のスタッフを抱えているところを見ると、そこそこ繁盛している店のようだ。そうこうしているうちに、1人2人と客が入店してきて、にわかに店内が活気づいてきた。焼き鳥屋でも満席手前だったし、今日は店に入るタイミングに恵まれているらしい。
「この店って、親父と来てたの?」涼矢は佐江子を見た。和樹の話題以外なら何でも良かった。
「うん。さっきのママさん、アリスね、私の同級生なのよ、中学の頃の。」
「へえ。」
「同じ学校通ってた頃は、凛々しい男の子だったんだけどねえ。」
涼矢と宏樹は、再び同時に飲み物を吹き出しそうになる。思った通りの反応だったのか、佐江子は愉快そうに笑った。そして、カウンターのアリスを手招きした。アリスが涼矢たちのテーブルまでやってくる。
「私の古くからの友人、有栖川 くんです。」
「やっだー、ちょっと、やめてよぅ。」アリスはくねくねと体をうねらせる。
「有栖川……? 有栖川さんって、もしかして、ラグビーの……?」宏樹が突然言い出した。
「えっ、えっ、何、なんでぇ。」アリスは手足をばたばたさせた。ようやく落ち着いたかと思うと、しみじみと体格の良い宏樹を見た。そして、「きみ、ラグビーやってるの?」と言った。
「はい。あ、今は高校でラグビー部の顧問やってるだけで、現役ではないですけど、大学でやってました。」
「ああ、だからかあ。」
「伝説のスクラムハーフ……ですよね? ビデオで拝見しました。」
「いやいや、もう、そんなの、30年も前の話で。」アリスは急に落ち着いた男性声になる。ロングのウィッグをつけ、派手な化粧をし、演歌歌手のようなラメのちりばめられたドレスという姿だが、さっきまでのくねくねした動作より、今のほうがよほどしっくりする。
「伝説のスクラムハーフが、悪夢のニューハーフになった、っていうのが、同級生の中じゃ鉄板のネタなの。」佐江子が茶々を入れた。涼矢はつい笑ってしまい、負けた気がした。
「でもね、ホントはニューハーフではないのよ、趣味で女装してるだけ。でも、そう言ってたほうがネタとしてオイシイから。」
「奥さんもこどももいるしね。」
「一番下の子、今そこにいるよ。調理見習いさせてるの。」アリスは厨房に視線を送った。
「そうなんだ。いいね。」佐江子はニコニコしている。
「さっちゃんこそ、いいじゃない、こんなイケメンの息子いてさあ。」
「なかなか良い男に育ったでしょ。でもね、この子より、この子の彼氏のほうがもっとイケメンなのよ。」
「母さんっ。」涼矢は佐江子の腕をつかむ。
「まあまあ。」涼矢をなだめたのはアリスだ。「私もこんなナリだからね、何も気にすることないよ。」
「俺の弟なんです。彼の、彼氏。」宏樹が言った。
「家族ぐるみで仲良いなんて、素敵じゃない? なんにも心配することない。ね。」アリスは小首をかしげて微笑む。可愛くはない。
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