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第241話 Alice in Wonderland (5)
「ちゃんとやれてんのかね、カズは。勉強もそうだけど、暮らしそのもの。あいつ、自分の部屋の掃除もろくにしなかったから。」
「予想してたよりは、まともでした。ちゃんと座るところはありました。」
「メシとか。」
「カレーやチャーハン程度のものは作るみたいで、俺も食べさせてもらいました。普通に、美味かった、です。」和樹の部屋にいた2週間、和樹が作ってくれたのは、黄身の潰れた目玉焼き、そして、そのカレーとチャーハンだけだ。それだって率先して振る舞ったわけではない。だが、やはり「自分の彼氏」を悪く思われたくない気持ちが働いて、実態よりも良いように言ってしまう。
「涼矢くんは料理得意なんだっけ。」
「作るのは嫌いじゃないです。」
「上手よ、この子。我が家自慢のシェフ。」佐江子が口を挟んだ。「料理作ってあげたのよね? 愛しの彼に。」
「だから、そういうの……。」涼矢は頭を抱えて、黙りこんだ。
「あなたでも照れたりするのね。そんな顔、初めて見る。」佐江子は嬉しそうに笑った。
「……やっぱ無理。帰る。」
涼矢が腰を浮かせた時だ。
「やだぁ、帰らないでぇ。」アリスの声がした。大皿に大盛りのあんかけ焼きそば。それを太い両手で持っている。確かにそれを、さっきの若い女性店員に持たせるのは酷だ、と思わされるボリュームだった。「大サービスよ。取り分けてね。」トングと取り皿も置いていく。
「すごい量。さすがに俺もこんなには。取り分けますね。」宏樹がトングに手を伸ばした。
「俺、やりますから。」席を立つタイミングを完全に逸して、涼矢は取り分けはじめた。
「私、要らないわよ。」
「少しにしておいてやるから、責任持って食え。」取り皿に3口分ほどの麺を乗せて、佐江子の前に置いた。
「りょ、涼矢くん、俺が頼んだんだから。それにお母さんにそんな口の利き方はちょっと……。」宏樹が慌ててフォローした。
「母親らしいことしてもらったら考えますよ。」
「ほう。」宏樹は笑った。「涼矢くんでも、そんなこと言うんだな。」
「あら、お宅ではこうじゃないの?」
「全然。礼儀正しくて、好青年って感じで……。」
「宏樹さんも、いい加減にして下さい。」涼矢はまた新しい取り皿に焼きそばを取り分けると自分の前に置いた。そして、まだ半分以上の焼きそばが盛られている大皿を、大皿ごと宏樹のほうに押しやった。「あと全部どうぞ。」そう言うと立ち上がった。
「まさか帰る気?」佐江子が咎める口調で言った。
「トイレ。」涼矢は店内を見渡して、トイレのマークを見つけるとそちらへ向かった。
トイレは二重になっており、最初のドアを開けると洗面スペース、その先にもうひとつのドアがあり、用を足す個室になっているようだ。涼矢はひとつめのドアに鍵をかける。それからスマホを出して、和樹に電話をかけた。
――もしもし。
「俺。」
――うん。
「今、おふくろと外食してて、店のトイレなんだけど。」
――帰ってきてからでいいのに。遅くても平気だよ。
「宏樹さんと偶然会って。」
――えっ。
「どうしてだか、3人でメシ食ってる。」
――へえ……。
「おまえ、俺がそっち行ったこと、宏樹さんにも言ってなかっただろ。」
――言ってない。
「マジで耐えられないんだけど。」
――どうしたの。
「だいたい想像つくだろ。佐江子さんと宏樹さんとスナックみたいな店で顔つき合わせて、おまえの話とか振られてんだよ。」
――地獄だな。
「おまえ、すぐこっち来い。」
――行ってやりたいのはやまやまだけど。
「そんなだから、帰ってからまた電話する元気、ねえかも。」
――えー。
「えー、じゃねえよ、今の状況、分かっただろ。」
――でも、ちゃんと帰ってからも電話して。店のトイレからの電話じゃ何もできねえし。
「何する気なんだよ。」
――おまえのプレゼントが役に立つだろ。両手が使える素敵なヘッドセット。
「そんな元気ねえよ、馬鹿。」
――でも今、俺の声聞いたら、ちょっと元気出たんじゃない?
「……。」
――何故黙る。
「……。本当に、そうだったから。」
――涼矢くん、可愛いねえ。
「バーカ。」涼矢は電話を切った。
和樹の声を聞いて、多少は気持ちを立て直せたのは本当だった。
席に戻ると、宏樹が大皿から直接焼きそばを食べているところだった。あんなに大量の焼きそばが残りもわずかになっている。アリスが運んできた時には、こんな大盛りで来ると分かっていればパスタなど頼まなかったのに、と思っていたのだが、宏樹1人でこれだけ食べられるのなら杞憂だった。
「見ていて気持ちがいい食べっぷりね。涼矢も見た目に似合わず相当な大食いだけど。」
「若いからね。」涼矢も自分用に取り分けた麺に箸を伸ばした。
「ま。可愛くないこと言う。」
「友達にもいるよ、俺と同じぐらい食う奴。」哲のことだが。あいつも見た目によらず、良く食う。ただ、食の趣味は悪い。
「大学の?」
「うん。」
「それも初めて聞いたわ、大学の友達、ってフレーズ。聞いちゃ悪いかと思って聞かなかったんだけど、友達できたのね。よかった。」
「カズもできたかな、友達。」と宏樹が言った。なんのかんの言いつつも、やはり弟のことは気になる様子だ。
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