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第245話 リスタート(1)

「宏樹くんとも親しいのね。」と佐江子が言った。 「親しいというか……もともと兄弟仲が良いし、和樹のことが心配なんだと思う。だから俺にも構ってくれるんだと。」 「和樹くん抜きで会ったりもしてたの?」 「うん、まあ。手巻き寿司をやる日に……。」 「手巻き寿司?」 「和樹ん家で手巻き寿司ごちそうになったことがあって、俺が家でやったことないって言ったら、すごく驚かれて。それからは、手巻き寿司するからおいでって呼ばれる。」 「ははは。そう言えば、やったことないね。」 「手巻き寿司に限らないけど。」 「そうだね。そういう家庭的なものはないねえ。」 「今更やるって言うなよ。」 「言わないよ。そういうのは都倉くんちで済ませてよ。」 「ひでえな。」 「適材適所って言うのよ。」 「そういうのを詭弁って言うんじゃないの。」  佐江子は、はは、と笑う。「宏樹くんの話とか、その手巻き寿司の話を聞いたら、涼矢が和樹くんを好きになった理由が、分かる気がするなあ。」 「はあ?」涼矢は一瞬佐江子を見る。「運転中にやめろよ、そういうこと言うの。」 「動揺しちゃって。」 「うるせえよ。」 「可愛いとこもあるのね。」 「やめろって。」  佐江子は愉快そうにふふっと笑った。「手離しちゃダメよ。」 「え?」 「嫌いになっちゃったり、振られちゃったらしょうがないけどね。好きあってるなら、あなたのほうから手を離しちゃダメ。ましてや、親に孫の顔が見せられないとか、そんな理由で別れるような真似はしないでよ。」  涼矢は黙り込んだ。 「彼がそう言い出してもよ。」  ちょうど信号が赤になり、車を止めた涼矢は、佐江子の顔を見た。佐江子は前を向いたままだったので、横顔を見ることになった。 「どういう意味?」 「そのままよ。あなたはそういうこと、ずっと考えてきたのでしょ? でも、彼はきっと、これから考えることになる。」 「だから、それは、ちゃんと考えてるって言ったろ。」 「そうね。養子縁組のことまで話してるって言ってたわね。でも、それはまだ現実的なものじゃない、でしょ?」  信号が青になった。いささか荒く走り出す。 「あなたも分かってるはずよ。だからね、その物分かりの良さを、彼に関しては捨てなさいって言ってるのよ。何があっても、自分から身を引いたらダメ。」  涼矢は何も答えなかった。佐江子の言っていることは半分図星で半分的外れのような気がする。和樹と一緒に生きていくこと。和樹もそれを望んでいてくれているのは、今では、疑っていない。でも、確かに和樹が語る未来はあまりに楽天的で夢物語みたいで、現実的なものではない。今はそれでいいのだとも思う。しかし。  この先のいつか、それも何十年と先の話ではなく、おそらく数年後という近さのいつか。その時もまだ仲良くできていられるなら願ってもないことだが、そうであればこそ、和樹の親にも2人の関係を話さねばならない時が来るだろう。秘密にしたままつきあうこともできるだろうが、おそらく和樹はそれを望まない。和樹が望まないことは、俺も望まない。だが、和樹の親が、その時にすんなりと受け入れてくれるとは限らない。というか、普通に考えて受け入れてもらえないと思う。いくら今の自分が都倉家の人々に好かれていると言って、それとこれとは話が違う。その時に和樹は、初めてつきつけられるのだ。俺を選ぶということが、どれだけ彼の親にとって衝撃的なものなのか。  ああ、そうだな。それで親に泣かれでもして。板挟みになって苦しむ和樹を見たら俺は。  その時、身を引くなと言ってるのか、この人は。 「相変わらず、母親とは思えないことばっかり言う。」涼矢は呟いた。 「ん?」佐江子は聞き取れなかったようだ。 「何でもない。」 「母親だから言うのよ。」と佐江子が言った。 「聞こえてるんじゃねえかよ。」 「え?」今度は本当に聞こえなかったようだ。だが、涼矢はそれきり黙った。  家に帰ると早々に風呂に入った。なんだかいろいろあった一日だった。振り返れば哲と宏樹、ふたつの別れ話を聞いた日でもあった。何より佐江子に初めて自分のことをきちんと語った。和樹の部屋を後にした淋しさを味わう暇もなかった。それが良かったのか悪かったのか、今は判断つかない。  髪を乾かして、自室に戻ろうとすると、佐江子に呼び止められ、明日からは職場への送迎はしなくていいと言われた。 「え、大学始まるまでは別にいいよ。」 「東京でも運転できたんなら、練習はもういらないでしょ。」 「いいなら、いいけど。」  そんな会話をして、2階に上がった。  ベッドに入ってから、スマホを手に取り、寝そべったまま和樹に電話を掛けた。和樹はすぐに出た。 ――お疲れさま。 「本当に疲れた。」 ――兄貴元気だった? 「自分で確かめろ。電話ぐらいできんだろ。」 ――だよね。 「俺、結構頑張ったよ。」 ――だろうね。 「ほめてよ。」  電話の向こうから、ははっ、と笑う声が聞こえる。 ――偉かったね。 「今こそ甘やかされてえよ。」 ――来てくれたら甘やかすよ。 「行こうかな。今から車で向かえば……。」 ――あたし、何時まででも待ってるわ。 「本気にするよ。」 ――馬鹿、来るな。

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