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第994話 nick of time (13)
「最低だと思いながら付き合ってるの?」
矢島はまだ不機嫌だ。
「うん。でも、どうせ期間限定だから」そのとき、ミナミのスマホが鳴った。ミナミは躊躇なく電話口に出る。「着いた? うん、そう、そのお店。分かった、今、外出るね」
「彼?」
「うん」ミナミは立ち上がる。いつの間にかアイスは二皿しっかり食べたようだ。「こういうときには付き合ってると便利な人でしょ。だからいいの」
「俺はあんまりそういうの、良くないと思うけどなあ」
矢島はなんとか言葉を荒げずに言おうとしている様子だ。
「そうだね。私もそう思う。……柳瀬くん、今日は幹事ありがとう。じゃあ、またね」
ミナミを店の外まで出て見送る者はいなかった。高校時代は、控えめでおとなしい……悪く言えばこれといった印象のない地味なミナミだったが、二年も経てば変わるものだと和樹は思う。不倫。不倫か。そんなことを同級生の女の子がするのはどうも信じられなかった。向こうにしてみればかつての同級生が同性同士で付き合うほうが信じられないだろうが。
変わったのはミナミだけではないかもしれない。以前の柳瀬なら冷やかし半分に「クソ男」の顔をひと目見てやろうなどと言いだしただろう。さすがに高校時代を共に過ごした同級生の不倫現場は見たくないのだろうか。それとも、見られたくないミナミの心情を推し量ったのか。あるいは矢島の不機嫌さに野次馬根性も消え失せたのか。和樹はそんなことを思いつつ、これもまた、涼矢が俺と付き合うことを考えたら、ミナミの不倫なんて大したことじゃないと思っているのかもしれない、と思った。
つらつらとそんなことを思っては、人のやることにいちいち自分と涼矢の関係を引っ張り出しては勝手に傷つく自分をバカみたいだ、と思う。
そして、こんな風に考えてしまう自分こそ、誰よりも自分たちの関係を「特殊」で「信じられない」と思っているのだと思い、涼矢に申し訳なくなる。
誰も和樹と涼矢の関係のことなど気に留めていない。その証拠のように、柳瀬が言った。
「矢島って彼女いるんだっけ」
「うん」
「長いの?」
矢島はすぐには答えず、二皿目のアイスの最後の一口を飲み込んでから言った。
「長い」
「どんぐらい」
「高一から」
「マジで長いな。うちの高校? 同級生?」
「いや、同い年だけど別の学校。高校入ってすぐバイト始めて、そこで」
和樹はふと思い出した。
「ああ、観覧車で聞いた子か」
「観覧車?」
矢島と涼矢が声を揃えた。
「矢島 が自分で言ってたの、覚えてない? 卒業式のあと、みんなでPランド行ったとき、観覧車でさ、涼矢と矢島と……あ、ミナミも一緒じゃなかったっけ。で、矢島が前から付き合ってる子がいるって言って、そうだ、宮野。宮野もいて悔しがってた」
「なんで宮野が悔しがんの」
口を挟んだのは柳瀬だ。
「観覧車でキスしたことあるか?って話で」
「あっ」矢島が思い出したようだ。「あったな、そんなこと。まったくくだらねえなあ、あいつは」
あいつ、とは宮野のことだろう。
「あのときの子と、今も付き合ってるんだ?」
和樹が矢島に確かめる。
「うん」
「すげ。一途じゃん」
「まあね」矢島は照れるでもなくそう言う。「だからさっきのミナミちゃんみたいなの、信じらんねえの」
「不倫?」
「それもだし。便利だからとか期間限定だからとか、そういうの」
「あと、あれ、マキに相当恨み持ってるんじゃないか?」
柳瀬が下品な笑みを浮かべた。
「恨み?」
「高校の頃から、マキがなんかやらかすたびに尻拭いさせられてるとこあっただろ、ミナミちゃんは。そういうのが積もり積もって、マキから男を奪 ってやる、みたいなのがあると思うよ」
「そう言えば今日は、そんなに仲良さそうにはしてなかったよな」
「儚いねえ、女の友情なんて」
矢島と柳瀬の会話を聞きながら、そうでもないぞ、と涼矢は思う。カノンとエミリ。千佳と響子。彼女たちの、相手の領域にずかずかと踏み込み過ぎずに、それでいて互いに相手に敬意を持って接する関係は美しいと思うし、ときに羨ましい。自分は男友達より女友達に恵まれているかもしれないとも思う。そんなことを言ったら、目の前の柳瀬が真っ先に「俺がいるだろう。家族も同然の俺が」と怒るのだろうけれど、その図々しさこそ柳瀬を手放しで親友などと呼べない要因だ。家族も同然と言えば聞こえはいいが、実の家族である佐江子も正継もその手の図々しさは持ち合わせていない。その点ではポン太のほうがまだ弁えている。
「そんなことないだろ、エミリとカノンだって、ずっと親友だし」
声に出していないはずの言葉が隣から聞こえて、涼矢はハッとする。しかも言ったのが和樹で、涼矢はそんな些細なシンクロにこっそり嬉しくなる。
「ああ、あの二人ね。確かに」柳瀬はチラリと涼矢を見た。「おまえのことで結束が固まったんじゃないの」
「は?」
せっかくのいい気分を壊された気がして、涼矢が眉をひそめた。
「堀田ちゃんがおまえに惚れて、振られて、それを支えてたんだろ、桐生ちゃんは」
それについては、柳瀬の言う通りだった。涼矢は何も言えなくなる。
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