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第1004話 春嵐 (9)
「どれもピンとこない?」
「はい」
久家と小嶋が再び顔を見合わせ、更に久家は小嶋から和樹へと視線を移動させた。
「それならもう、きみの中で答えは出てるんじゃないですか?」
久家がにっこりと笑みを浮かべる。
「教員一本で行く……」
和樹が独り言のように呟いた。
「ええ。少なくとも都倉くん自身はそうしたい。そう思っているように見えますよ」
「そうなんですかね。なんか、自分は何がしたいのか、よく分からないんです。自分のことなのに」
「そんなものですよ。医者や板前といった職業ならともかく、会社員の仕事は外からは分かりにくいですからねえ。世の中の人がどういう仕事をしているのか知らないのに、どんな仕事がしたいかと言われても困っちゃいますよね」
久家も昔そういう思いをしたことがあるのか。そんなことを言っては苦笑いをする。
「塾にいた頃は、生徒に向かって偉そうに、進路のこと考えよう、なんて言ってたくせに情けないです」
「まあ、僕は向いてると思いますよ。今だってそうやって自然に生徒のことに思いを馳せるぐらいなんですから」
「俺もそこは同感だけど」小嶋が割って入る。「ただ、俺も久家も教員免許は持ってないし、中学・高校で教えた経験もない。教師がどんな仕事なのかについては、むしろ身内に本物の教師がいる都倉くんのほうが詳しいかもしれない。その分は割り引いて聞いてもらったほうがいいと思うよ」
「そうだね。それからもう一つ、就職なんて回り道したっていいってことを忘れずに。教師を経験してから別の職業に転職して大成する人なんていくらでもいるし、逆も然り。僕の知り合いにも、一度企業勤めをしてから一念発起して教師になった人がいるよ。彼曰く、会社員を経験したことは無駄じゃなかったって」
「あ、それ」和樹が顔を上げる。「兄が言ってました。兄は大学を出てすぐ教師になったんで、学校しか知らないんですよね。学校ってやっぱり特殊な世界なんで、それしか知らないことに不安になるときもある、と」
「不安がる人は大丈夫ですよ。それだけ自分を客観視できている証拠ですから」
和樹は曖昧な笑みを返した。久家に兄が褒められるのは嬉しいが、宏樹に客観性があるかと言われると、ハイとは即答できない。特に涼矢がらみの件。受け持ちにゲイかもしれない生徒がいると思えば、勝手に涼矢と重ねて意見を聞こうとする思慮のなさと来たらどうだ。
そんなことを考えていると、和樹の思考を読み取ったかのように久家が言った。
「教師だって人間で、感情があり、不安もある。それを理解させるのも教育だと思いますね。ほら、子供って家族や先生に対してはちょっと残酷なところ、あるでしょ。何言っても許される相手、感情のサンドバッグにしていい相手だと思ってる。それは一種の甘えで、小さいうちはそうやって無条件に自分をぜんぶ受け容れてくれる存在が必要でもある。でも、いつまでもそれじゃ困るわけです。大人になるというのは、親や教師も自分と同じ人間なんだと、冷静に考えられるようになることでもあると思うんです」
「やっぱり責任重大ですね、教師って」
自信なさげにうなだれる和樹を見て、久家が笑った。
「大丈夫ですって。都倉くんならできます。でも、どうしても違うな、と思ったときには塾にまた来てください。学校はダメでも塾ならうまく行く、というのは生徒ばかりじゃありませんし」
「出戻っていいんですか」
「ええ、もちろん。……入社試験はしっかり受けてもらいますけどね」
「厳しいなあ」
和樹はすっかりぬるくなったお茶をすすった。
「ところで、目指しているのは高校の先生ですか」
「はい」
「お兄さんは地元の高校と言ってたけど、都倉くんも?」
「いえ、俺は東京で。都で採用されるのが理想ですけど、私立も視野に入れてます」
「じゃあ、これからもずっと東京 にいるつもりなんだ?」
「そうですね。地元は就職口が限られるし、それに」和樹はしばし口籠もったあと、意を決したように告げた。「就職したら彼氏と一緒に暮らしたくて」
「ああ、なるほど」
それが何故「東京に」暮らすことにつながるのかとは問われず、自分のほうから「彼も東京で就職する予定なんで」と補足した。
「もしかして彼氏さんも教師志望?」
そう聞いたのは小嶋だった。
「あ、いえ、そこは全然違ってて。彼は、その、弁護士志望なんです」
「ほう、すごいね」
「だから卒業してすぐ就職とは行かない可能性が高くて。法科大学院っていうんですか、そういうとこ行くとか言ってます」
「だったら、彼が司法試験通るまで都倉くんが稼いで食わせるの?」
「いえ、それは拒否されてます。それどころか弁護士になれるまでは別々に暮らす、なんて言ってて。せっかく同じ東京にいるなら、そんなのもったいないと思うんですけど」
「ヒモのようにはなりたくないってことなんじゃないですか。田崎くんにもプライドはあるでしょう」
久家が「田崎」の名前をしっかり記憶していたことに、和樹は少し驚いた。
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