256 / 1020
第256話 リスタート(12)
帰る道すがら、涼矢が持参したノートパソコンですらすらとレポートを作っていたことが思い出された。涼矢だったら、同じ作業をもっと早くこなせるに違いない。高校の時、自分は任意だからと選択しなかったパソコン授業を、涼矢は受けていたと言っていた。親の仕事の手伝いで、パソコンの入力作業をやっていたとも。そういった小さな努力と経験の積み重ねが、自分と涼矢の差を作っている。
自分は今まで、いつも楽なほうばかり選んできた気がする。やってもやらなくてもいいと言われると、やらないほうを。簡単なものと難しいものがあれば、簡単なほうを。責任が重いことと、軽いことがあれば、軽いほうを。きっと涼矢は違うのだろう、と思う。あいつは、「目先の楽さ」なんかで選ばない。
「みんな、すげえな。」と小さく呟いた。涼矢も、塾の他の講師たちも。こんな夜は、自分がちっぽけでつまらない人間に思えてならない。
自分の部屋に着くと、疲れがどっと押し寄せてきた。シャワーだけは済ませたが、どうも食欲が湧かない。結局菊池にもらったチョコバー1本が、この日の和樹の夕食になった。
寝る直前に、ようやく涼矢にメッセージを送った。
[起きてる?]
[うん]
[バイト終わった]
[お疲れさまでした]
[楽しかったけど、疲れた]
[明日も?]
[次は水曜日][とりあえず週2だけ][慣れたら増やしてもらえるかも]
[増やしたいの?]
[金稼ぎたいからねー]
[無理するな]
[うん]
[電話していい?]
[いーよ]
すぐに涼矢からかかってきた。
――お疲れ。
「ん。」
――今更だけどさ、俺、かけ放題プランにしたから。
「は?」
――ケータイ、無制限の電話かけ放題オプションつけた。だから、電話する時は、電話くれって言ってくれれば、俺からかけるから。
「へえ、涼矢、電話嫌いっつってなかったっけ。」
――そうだな。おまえとしかしゃべる予定ない。
「俺のためにかけ放題プランかよ。すげえ愛されてるな、俺。」
――知らなかった?
「知ってた。」
――入力するほうがめんどいし。
「おまえ打つのめっちゃ速いだろ。」
――パソコンのキーボードならね。
「あそっか、フリックできねって言ってたもんな。俺、今日逆にパソコンで苦戦したわ。」
――そういう仕事もあるんだ。
「あるある。日報みたいの入力するの。授業するよりそっちのほうが大変。」
――授業か……。先生って呼ばれるんだ。
「呼ばれるねえ。水泳教室の時も呼ばれてたよ。」
――和樹先生。
「都倉先生な。」
――都倉先生。
「そう。おまえが言うと、やらしい感じがするけど。」
――そういうのも、いいよね。
「何がだよ。」
――先生と生徒。
「えーと、涼矢くん?」
――はい、都倉先生。
「ちげえよ、プレイ開始の意味で名前を呼んだんじゃねえよ。」
――なんだ。
「なんだじゃねっつの。どうしてきみはそうなのかな。」
――そうって?
「変態チックなことをしたがる。」
――そうかなあ。
「そうだろ。普通でいいじゃんか、普通で。そういうのはさ、もっとこう、マンネリになっちゃって刺激に飢えた時までとっておいて。」
涼矢が笑った。
――嫌なわけじゃないんだ?
「え?……あ、ああ、まあ。別に、そのぐらいなら。」
――分かったよ、刺激に飢えるまで我慢するよ。
「そうしてください。」
――ねえ、ということはさ。
「ん?」
――今はマンネリでもないし、刺激に飢えてないんだ?
「そりゃ……。うん。」
――飽きられてないんだ、俺?
何を言い出すのかと思えば、と、和樹は吹き出す。「飽きるかよ。急にそういう、ワケ分かんねえこと言い出すし。そもそもさ、俺ら、つきあってまだ半年も経ってないんだけど。しかも、ほとんど離れてて。飽きようがないじゃない?」
――でも、知り合ってからは3年半近いだろ。
「それを言うなら、そっちこそ3年半も俺のストーカーやってて、飽きない?」
――飽きないよ。
「何がそんなに良いんだかねえ。」
――顔。
「はいはい。」早坂の顔がよぎった。
――それと、体。
「エッチ。」
――声。
「新しいね。デスボイスか?」再びよぎる、神経質そうな早坂の顔。
――違うよ。今しゃべってる、そういう、いつもの声。だからかけ放題にしたし。
「あとオナ声だろ。やんねえけど。」
――やんないんだ。
「やりません。」
――じゃあ、昨日の、チューの音やってよ。
「録音すんなよ?」
――しないよ。
和樹は素直にキス音を響かせた。「聞こえた?」
――うん。
「どうよ? 感想は。」
――ちょっと待って、今脳内に書きこみ中だから。
「器用なことするなあ。」
――完了しました。
「それで好きな時に呼び出せるわけ?」
――覚えている限りはね。
「変な奴。」
ともだちにシェアしよう!