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第256話 リスタート(12)

 帰る道すがら、涼矢が持参したノートパソコンですらすらとレポートを作っていたことが思い出された。涼矢だったら、同じ作業をもっと早くこなせるに違いない。高校の時、自分は任意だからと選択しなかったパソコン授業を、涼矢は受けていたと言っていた。親の仕事の手伝いで、パソコンの入力作業をやっていたとも。そういった小さな努力と経験の積み重ねが、自分と涼矢の差を作っている。  自分は今まで、いつも楽なほうばかり選んできた気がする。やってもやらなくてもいいと言われると、やらないほうを。簡単なものと難しいものがあれば、簡単なほうを。責任が重いことと、軽いことがあれば、軽いほうを。きっと涼矢は違うのだろう、と思う。あいつは、「目先の楽さ」なんかで選ばない。 「みんな、すげえな。」と小さく呟いた。涼矢も、塾の他の講師たちも。こんな夜は、自分がちっぽけでつまらない人間に思えてならない。  自分の部屋に着くと、疲れがどっと押し寄せてきた。シャワーだけは済ませたが、どうも食欲が湧かない。結局菊池にもらったチョコバー1本が、この日の和樹の夕食になった。  寝る直前に、ようやく涼矢にメッセージを送った。 [起きてる?] [うん] [バイト終わった] [お疲れさまでした] [楽しかったけど、疲れた] [明日も?] [次は水曜日][とりあえず週2だけ][慣れたら増やしてもらえるかも] [増やしたいの?] [金稼ぎたいからねー] [無理するな] [うん] [電話していい?] [いーよ]  すぐに涼矢からかかってきた。 ――お疲れ。 「ん。」 ――今更だけどさ、俺、かけ放題プランにしたから。 「は?」 ――ケータイ、無制限の電話かけ放題オプションつけた。だから、電話する時は、電話くれって言ってくれれば、俺からかけるから。 「へえ、涼矢、電話嫌いっつってなかったっけ。」 ――そうだな。おまえとしかしゃべる予定ない。 「俺のためにかけ放題プランかよ。すげえ愛されてるな、俺。」 ――知らなかった? 「知ってた。」 ――入力するほうがめんどいし。 「おまえ打つのめっちゃ速いだろ。」 ――パソコンのキーボードならね。 「あそっか、フリックできねって言ってたもんな。俺、今日逆にパソコンで苦戦したわ。」 ――そういう仕事もあるんだ。 「あるある。日報みたいの入力するの。授業するよりそっちのほうが大変。」 ――授業か……。先生って呼ばれるんだ。 「呼ばれるねえ。水泳教室の時も呼ばれてたよ。」 ――和樹先生。 「都倉先生な。」 ――都倉先生。 「そう。おまえが言うと、やらしい感じがするけど。」 ――そういうのも、いいよね。 「何がだよ。」 ――先生と生徒。 「えーと、涼矢くん?」 ――はい、都倉先生。 「ちげえよ、プレイ開始の意味で名前を呼んだんじゃねえよ。」 ――なんだ。 「なんだじゃねっつの。どうしてきみはそうなのかな。」 ――そうって? 「変態チックなことをしたがる。」 ――そうかなあ。 「そうだろ。普通でいいじゃんか、普通で。そういうのはさ、もっとこう、マンネリになっちゃって刺激に飢えた時までとっておいて。」  涼矢が笑った。 ――嫌なわけじゃないんだ? 「え?……あ、ああ、まあ。別に、そのぐらいなら。」 ――分かったよ、刺激に飢えるまで我慢するよ。 「そうしてください。」 ――ねえ、ということはさ。 「ん?」 ――今はマンネリでもないし、刺激に飢えてないんだ? 「そりゃ……。うん。」 ――飽きられてないんだ、俺?  何を言い出すのかと思えば、と、和樹は吹き出す。「飽きるかよ。急にそういう、ワケ分かんねえこと言い出すし。そもそもさ、俺ら、つきあってまだ半年も経ってないんだけど。しかも、ほとんど離れてて。飽きようがないじゃない?」 ――でも、知り合ってからは3年半近いだろ。 「それを言うなら、そっちこそ3年半も俺のストーカーやってて、飽きない?」 ――飽きないよ。 「何がそんなに良いんだかねえ。」 ――顔。 「はいはい。」早坂の顔がよぎった。 ――それと、体。 「エッチ。」 ――声。 「新しいね。デスボイスか?」再びよぎる、神経質そうな早坂の顔。 ――違うよ。今しゃべってる、そういう、いつもの声。だからかけ放題にしたし。 「あとオナ声だろ。やんねえけど。」 ――やんないんだ。 「やりません。」 ――じゃあ、昨日の、チューの音やってよ。 「録音すんなよ?」 ――しないよ。  和樹は素直にキス音を響かせた。「聞こえた?」 ――うん。 「どうよ? 感想は。」 ――ちょっと待って、今脳内に書きこみ中だから。 「器用なことするなあ。」 ――完了しました。 「それで好きな時に呼び出せるわけ?」 ――覚えている限りはね。 「変な奴。」

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