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第259話 リスタート(15)

「そんなにいろいろやることあって、小嶋先生は介護も……。」 「ああ、聞いた? そうなんだよ。親父はもうとっくに死んでて、おふくろがね。兄弟はいるんだけど、僕だけ独身だし、身軽だから。今日はヘルパーさんが来てくれて。」そう言って、小嶋は自分の分の栄養ドリンクの蓋をキュッとひねった。和樹もつられるように同じことをした。「年寄り笑うな行く道だもの、か。」 「え?」 「知らない? 『子ども叱るな、来た道だもの。年寄り笑うな、行く道だもの』って。」 「知らないです。でも、意味は分かります。」 「僕は、前半はともかく、後半は介護始めて、しみじみと噛みしめてるよ。おふくろ、とんちんかんなことばっかり言うようになってね。昔は言葉遣いにも箸のあげおろしにもうるさい、厳しい人だったんだけど。……老いたことを笑うって言うより、ちょっと切ない感じかなあ。」小嶋は自分のデスクに向かいながらも話し続け、途中で和樹のほうを振り返った。「都倉先生もね、親は大事にしておいたほうがいいよ。息子の顔も分かんなくなっちゃってから孝行しても、虚しいもんだよ。それとさ、これから就職すると思うけど、お金はあるに越したことはない。給料たくさんもらえるとこに入って、いっぱい貯めておきなよ。大概のことはね、お金で解決するから。間違っても塾の講師を本業にしようなんて思っちゃいけないよ。」小嶋はそう言って笑い、和樹の斜め向かいの席に座った。久家が座っていたデスクの隣だ。最後の言葉を聞いて、その場にいた他の講師たちがクスリと笑う気配がした。だが、和樹たちの会話に入ることはしない。  和樹は和樹で、小嶋の言葉に対して「本当にそうだ」と心の中で深くうなずいた。特にお金の件。涼矢が来ていた間も、お金の配分で揉めた。俺がもっと稼げるようになれば、変な劣等感も持たなくて済むし、あいつに心配かけることもないんだ。 「金、欲しいっすね。」と和樹が呟くように言うと、小嶋は声を立てて笑った。 「いっぱしに惚れた女でもいそうな口ぶりだなあ。」 「似たようなもんです。」 「じゃあ、頑張って、稼げる男にならないと。」 「はい。」和樹も笑って答えた。2人は栄養ドリンクを一気飲みし、仕事を再開した。  この日は3コマ目が中学生のクラスだったこともあって、帰宅は23時近くになってしまった。初日に受けた菊池のアドバイスに従い、塾に行く前に軽い食事は済ませてはみたものの、やはり小腹が空いてきた。途中のコンビニでグラタンを買って温めてもらって家に帰る。冷めないうちにと、部屋に着いてまっさきに食べた。プラスチックの容器と、それについてきたフォークが味気ない。飲み物だけは辛うじてジンジャーエールを作った。涼矢がいくつか置いて行ってくれたかぼすがあったのは覚えていたけれど、絞るのが面倒で、ただ炭酸水で割るだけにとどめた。  グラタンを食べ終わり、ジンジャーエールのグラス片手に、涼矢にメッセージを送った。 [電話くれ] ――電報かよ。  メッセージを送信した瞬間にかかってきた涼矢からの電話の第一声は、それだった。 「ちょい前に帰ってきた。」 ――バイト? 遅くない? 「今日は中学生だから、終わり時間が遅いの。あと、3コマ全部あるからさ。月曜日は2コマ目が空いてるから、その間に入力作業が進められんだけど、今日は授業全部終わってからの入力作業で。まあ、でも2回目だから、結構慣れたよ。」小嶋に言ったこととは正反対のことを伝える。 ――夜道に気をつけろよ。 「バーカ、平気だよ。女じゃあるまいし。」 ――親父狩りに遭うかも。 「そこまで老けてねえわ。」 ――こんなに遅いと、夕飯はどうするの。 「行く前に軽く食って、でも、やっぱ腹減ったから、帰りがけにコンビニでグラタン買って食った。」 ――そっか。 「おまえは?」 ――今日は作って食べたよ。珍しく夕飯時に佐江子さんいたから。 「いいなあ、佐江子さん。おまえのメシ食えて。何作ったの。」 ――肉じゃがと、竹輪の磯辺揚げと、いんげんの胡麻和えと、しじみの味噌汁。 「メインがない。」 ――肉じゃが。 「肉じゃがはサブだろ。」 ――肉入ってるだろ。 「俺の時にはドーンとした肉料理を出してくれ。」 ――和樹さん、メタボになりますよ。 「ならねえよ。ちゃんと運動……しなきゃな、そろそろ。おまえいないと運動不足になりそ。」 ――だろ? 「いたらいたで、寝不足にもなるけどね。」  涼矢が笑った。 ――センセイ失格な発言だな。 「そうそ、中1のクラスに、カップルいるの。野球部と吹奏楽部。なんか、よくない? セイシュンって感じ。」 ――彼氏の甲子園の応援に彼女が……って、中学じゃ甲子園じゃないか。 「あ、そうか。」 ――和樹も充分セイシュンしてただろ。 「そうかな。」 ――ミスS高とつきあってて、何言ってんの。 「振られたし。」 ――振られてなきゃ、今もつきあってた? 「……さあ、どうかな。」 ――そこは否定しろよ。

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