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第1013話 After a storms(5)

 本音が見えにくいという意味なら、涼矢だってそうだ。高校の頃は今よりもっとそうだった。表情に乏しく、言葉数が少なく、何を考えているか分からない奴。それが当時の印象だ。自分だけじゃない。あの頃の部活仲間もクラスメイトも、涼矢に関してはみんな似たような印象を持っていただろう。ただ、「本心がない」などと思ったことはない。あいつはただ寡黙なだけだ。真面目で誠実な性格だということは行動から伝わっていたし、俺にライバル心を燃やしているのも分かっていた。――恋心については分からなかったけれど、それはそういう感情を同性にぶつけられる想定を「俺が」していなかったからであって。  ふと和樹は思う。海は自分の側の問題だと言うが、やっぱり琴音の側の問題ではないのか。琴音は「海に想われている」ということを本当には理解していないんじゃないか。涼矢の告白が俺にとっては青天の霹靂だったように。部活中に涼矢とやたらと目が合ったのも、歌いもしないカラオケについてくるのも、今は全部俺への好意ゆえだと知っているが、「あの頃」の俺には全く分からなかった。  好きだと言われたあとも半信半疑だったけど、それでも俺はあいつを分かりたいと思った。あいつの気持ちをなかったことにはしたくないと思った。三年もひとりで抱えていたその思いに応えてやることはできなくても、好きになったことを後悔させたくないと思った。まあ、そんなことしてる間に、こっちも好きになっちゃったわけだけれど。――琴音は、海を分かりたいとは思ってないんじゃないか。来る者拒まず、去る者追わず。ただそれだけで。俺もそうだった。学校一の美人の綾乃が俺に気のある素振りをしてきた。だから付き合った。俺の元を去ったときは引き留めなかった。綾乃を大事に思っていたつもりではある。でも、理解したいとは思ってなかった。あの頃、綾乃に俺はどんな言葉を伝えていただろう。表面的な、上っ面の言葉だけではなかったか。彼女がそんな俺の本心を知りたいと思い、探ったとき、「なんだ、本心なんてないのね」と思わずにいられただろうか。  琴音はたぶん、海のことが好きではないのだ。嫌いでもないのだろうけれど。ただ、「彼氏」ってのが欲しかっただけ。大学に入って、ああいうサークルに入って、恋愛について考えるようになって、身の回りのカップルたちを見て、なんとなく「恋人同士」ってのに興味を持った。そういうタイミングで海に声を掛けられて、その提案に乗ってみた。それだけ。海とどうなりたい。海にどんな彼氏でいてほしい。そんなものはそもそもない。彼氏彼女と名乗っていい今の状態さえキープされていれば、彼女にとっては何の問題もないのだ。だったら海がどんなに気持ちを探ろうとしたところで、本心なんか見えなくて当たり前だ。  ただ、琴音にまつわるこの想像を海に伝えるのは気が引けた。  そうこうしているうちに涼矢を「好きになっちゃった」俺という前例だってある。琴音だって、今は「恋人ごっこ」に過ぎなくても、この先本当に海を「好きになっちゃう」可能性がないとは言えない。 「琴音ちゃんは誰かと付き合うの、おまえが初めてなんだろ? あんまり急かしてもしょうがないよ。ゆっくりお互いのこと知っていけばいいんじゃないの」  その場しのぎの慰めに過ぎなかった。海にもそう伝わったかもしれない。でも、今はこれ以上言いようがない。 「だよな」海はそう言って歩き出すと、数メートル先の喫煙スペースに行き、煙草をくわえた。そこまで来て「悪い、一本だけつきあって」と和樹に言う。煙草を吸わない和樹にとっては、わざわざ不快な匂いが充満する場所に突っ立っているだけというのは居心地が悪いが、仕方がない。その様子に海はもう一本取り出して、和樹に勧めた。  要らねえよ、と断るつもりが、何故か素直にそれを取った。海に火をつけてもらう。慣れない煙草は最初だけ少しむせた。 「美味い?」 「いいや」と和樹は言い、「タイムが落ちる」と呟く。 「は?」 「高校時代にね。ほんとかどうか知らんけど、顧問が言ってた。煙草吸うと肺の機能が落ちて、タイムが落ちるんだぞーって」 「先生的にはそりゃ吸わせたくないだろうしな」 「それから、セックスもすんなって」 「あ?」 「それは男だけのときに言ってたんだけどさ。セックスに精力を使うとタイムが」 「煙草で肺がなんとかはともかく、それは関係なくないか」 「関係ないと思う。現に俺、セックスばっかしてたときがいちばん調子よかったし」 「聞きたくねえわ」  海が笑う。 「でも、刷り込みって怖いよな。今、突然思い出しちゃったもん。煙草はダメだ、タイム遅くなるって。泳ぐわけでもないのに」 「セックスのときは思い出してねえんだろ?」 「まあな」 「都合がいい刷り込み」 「そうだな」和樹は笑う。「まあ、都合がよくてちょうどいいんじゃないの。これは体にいい、これは悪いなんてさ、世の中の情報全部鵜呑みにしてたら食うもんなくなっちゃうわけだし」 「そうだな」  そのあとは沈黙が続く。二人の口から吐き出される煙を、和樹は見つめた。

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