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第262話 Boy meets boy(2)
「うん、9月からだから、まだ1ヶ月ぐらいだけどね。月曜日と水曜日の国語は俺だよ。時々他の教科もやるかもしれないけど、よろしくな。」
和樹がそう言うと、明生の顔が少し翳った。「僕が塾に来るのは水曜日と金曜日だから、先生の授業が受けられるのは水曜日だけかぁ。」
「何、俺にもっと会いたかった?」
明生は一瞬戸惑いの表情を見せた後、「うん。」と答えた。
明生の頬が赤みを帯びているのを、和樹は微笑ましく思う。水泳教室の時から、引っ込み思案な子だった。きっと、誰も知っている人がいなくて緊張していたところに俺の姿を見つけて、ホッとしたのだろう。菜月でもいればまた別だったのだろうが。……ああ、もしかして、菜月の紹介でこの塾に来たのかな。和樹はそんなことを考えながら、「ありがとう、いやぁ俺、モテモテだなあ。菜月も俺目当てって言ってくれてるしな。」などと言い、明生の緊張を和らげてやろうとした。
「菜月、ここ、来てるんですか?」和樹の想像に反し、どうやら明生は菜月の件は知らなかったようだ。
「来てるよ。バッチリ俺に合わせて、月水クラスでね。でも、今日は来てないな。」和樹は改めて入退室の履歴をチェックする。「ああ、今日は欠席の連絡が来てるね。学校は来てた? 同じクラスなんだよな?」
「いなかったかも。今日、風邪で何人か休んでた。」
「そうか。お大事にって伝えておいて。」
「休んでるから、言えないよ。」
不貞腐れたような明生の表情。なんでそんな顔になるのか。和樹は自分が明生の年頃だった時のことを思い返してみる。そうだな、小学校も高学年になるとちょっとばかり「異性」ってものを意識するようになったかもしれない。それで明生も、菜月のことを言われるのは恥ずかしいのかな。この年頃と言えば、男の子は好きな子を意識しすぎるあまり、逆にちょっと素っ気なくしてしまったりもする。そっか、明生は菜月のことが気になっているのかも。あの子、可愛いしな。だとしたら、あまりからかってもかわいそうだ。
「あはは、それもそうか。」和樹はこの話題は早めに切り上げてやろうと思う。
すると、明生のほうが違う話題を振ってきた。
「先生、ピアスしてるんですね。」
明生の視線が自分の耳にある。和樹が塾でそれを指摘されたのは面接の時だけで、それも自分のほうからピアスを外したほうがいいかと早坂に尋ね、「あまり派手なものでなければ構わない」という返事をもらって、終了した。それ以降意識することもなかったので、改めて生徒から言われると、若干恥ずかしい。
「あ、うん。この塾、そういうの割と緩いから。」それでも平静を装って答えた。
「プールの時は、してなかった。」
「プールは、アクセサリーは基本禁止だからね。」
「なんかチャラい。」プールの時にはほとんど会話もなく、あまりしゃべらないと思っていた明生だが、案外はっきりとものを言う。
「よく言われる。」和樹はそう答えたけれど、実際はピアスのことでチャラいなどと言われたことはない。だが、明生の「男たるもの、ピアスなど」という潔癖な気概が可愛く思えて、つい肯定してしまった。
休憩時間は5分と短いので、あっという間に終わってしまう。和樹は明生に教室に戻るように促した。
帰宅してから、涼矢に塾に水泳教室の教え子が入ってきたことを簡単に話したが、涼矢はあまり興味がなさそうだ。
「でさ、ピアスがチャラいって言われちゃった。涼矢もそんなん、言われることある?」
――ない。今時、そんなに珍しくないし。
「だよな。」
――哲も一度しようとしたらしいよ。でも、金属アレルギーだってことが分かって、断念したって。
「チタンとかなら大丈夫なんじゃないの。」
――そこまでしたいわけでもなかったんだろ。
「元気なの、あいつ。」
2人の間で哲の話題が出たのは、あの日以来のことだった。
――うん、大学には普通に出てるよ。前みたいなご乱行もしてないみたい。
「へえ。新しい相手でもできたのかな。」
――いや、違うと思う。バーの店長に殴られただろ。あの一件で、叔父さんが、そういう系の水商売バイトは禁止したらしくてさ。コンビニ店員とかカラオケボックスの受付とか、そういうのやってるみたい。その分時給が下がって、労働時間は増えて、遊ぶ暇もないってところだ。
「哲こそ、塾講師や家庭教師やればいいのに。」
――東京ほどないんだよ、その手の働き口。
「佐江子さんの伝手はないの。事務所の手伝い要員とかさ。弁護士志望なら勉強兼ねていいんじゃないの。」
――考えたこともなかった。
「けど、それなら哲よりおまえを雇ったほうが楽か。」
――いや、別に佐江子さんの事務所じゃないからね。雇われてる立場だから、実の息子より哲のほうが紹介しやすいと思う。俺だって、おふくろと顔つき合わせてバイトなんかしたくないし。……そうだな、ちょっと聞いてみるよ。
「うん。」
――和樹は、他人のことまでよく気が回るな。
「他人のことだから気が回るんだよ。自分のことは棚に上げてる。」
――ところで、今の提案、哲が佐江子さんと仲良くなっちゃうかもしれないことは、気にならない?
「あ。」
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