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第1015話 After a storms(7)

 煙草が似合うだの似合わないだの、大きなお世話だと思う。煙草なんか大人の嗜好品に過ぎない。それでも、思ってしまう。涼矢がかつて憧れた人は、「恋人が嫌がる煙草を吸って部屋を追い出されるような男」であってほしくない、と。恋人の「昔の男」は「いい男」であってほしいのだ。それが「いい男」であればあるほど、そんなハイスペックの男より俺を選んでくれたのだと思える。くだらない男に勝てたところで何も嬉しくない。 ――勝ち負けじゃないことは分かってるけどさ。  和樹はギリギリで教室に滑り込む。空席に腰を下ろすと同時に教授が入ってきた。この時間に正確な老教授の講義を、何故キャンパスのいちばん端にあるエレベーターもない古い棟の教室にあてがうのか、和樹は納得が行かない。年寄りなんだからもっと便利な校舎にしてやればいいのに。 「では先週の続きから」  教授は惑うことなく講義を始める。先端医療の情報を交えて行われるその内容は、同じレジュメを何年も使いまわして誤魔化せる類ではない。電車で出会えば間違いなく席を譲りたくなる「おじいさん」の風貌の老教授は、自分よりよほど時代の先を見ているのだ。もしかしたら年寄り扱いするほうが失礼なのかもしれない、などと和樹は思った。  和樹は大学を終えると、まっすぐ帰宅した。塾講師のアルバイトを辞めたので、時間的には余裕ができたが、仕送りの額は変わらず経済的には厳しくなった。恵に言えば増額してくれるだろうとは思うが意地もある。立派に独り立ちしていると見せたくて、節約にいそしむ今日この頃だ。まずは友達との外食を減らし、極力自炊するというのが第一歩だろうと思い、少し遠くの業務スーパーにも足を延ばすようになった。かと言って涼矢のようにレシピが豊富にあるわけではない。節約のつもりで割安な大量パックを買っては、結局使いきれずに腐らせてしまったりする。  涼矢に聞けばいいのだ。冷凍可能な食材の選び方。日持ちする総菜の作り方。そういった主婦向け雑誌に載っているような情報なら、いくらでも知っていそうだ。だが、ここでも妙なプライドが邪魔をする。あいつの知らないところでそれらを攻略して、次にここに来たときに驚かせてやりたい。  勉強なんかしてないよ。そう言って陰で勉強して良い点を取り、周りにすげえすげえと言われたがる子供と同じ発想だ。きっとこっそり勉強していることなんか、見る人が見れば分かるのに。恵だって涼矢だって、こんな見え透いた「陰の努力」なんか、きっと分かるのに。  そうだとしても今やれることをやるしかない。涼矢と肩を並べるために。  涼矢と直接会うことができないままに、春は過ぎ、梅雨が過ぎ、季節は初夏になった。そろそろ涼矢との逢瀬の予定を立てねばなるまい。だが、教育実習の申し込みやら何やら、三年のその時期は意外にやることが多い。涼矢がいてはできないという話ではないのだが、並行して考え事がある状態はできれば避けたかった。涼矢がいる間は、涼矢のことを100%考えていたい。涼矢のほうもまた直前になって入ってくる予定があるようで、なかなか日程を決められずにいた。  さすがにこのまま「一段落」なんかするのを待っていたら夏休みが終わってしまう。そんなタイミングは来やしない。そう思ったのと同時に涼矢が同じことを言い出した。 「パソコン持ってそっち行くから。リモートでなんとかする」  涼矢が自分に会うために何かを犠牲にする。それは申し訳なさだけでない、優越感でもあった。

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