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第1017話 contrail(2)

「今も連絡取りあってるんだ?」 「たまに千佳経由で聞くだけだよ」  できるだけ平静を装って聞いてみたつもりだが、隠しきれていないだろう。涼矢の口調もまた、若干言い訳めいている。 「たった今、千佳ちゃんには会ってないって言ってたくせに」 「直接顔を合わせてないって意味だよ。メッセージがときどき来るだけ」 「ふうん」 「大した話はしてない」 「はいはい、分かった分かった」 「なんだよ、その言い方。そっちが言いがかりつけてきたのに」 「言いがかりなんかつけてない」 「あっそ」  少しだけ気まずい空気が流れたのを、和樹はテレビをつけることで誤魔化す。お笑い芸人とアイドルの賑やかな声が紹介しているのは子連れ向けのスポットのようだ。夏休みに向けての行楽情報といったところだろう。新しくできたテーマパーク情報のあとには、宿題に役立つ体験学習ができる施設が紹介された。やがてプラネタリウムが取り上げられると、涼矢が言った。 「科学館、大規模な改修工事するんだってよ。来年まで閉館だって」 「あの、プラネタリウムがある科学館?」 「そう。老朽化で」 「プラネタリウムもなくなっちゃうのかな」 「どうかなあ。改修って言ってるから、まるっと建て替えるわけじゃないのかも」 「なくならないといいな」  和樹がそう願う理由を、涼矢は尋ねない。聞かずとも分かる。自分も同じ気持ちだから。初デートの、思い出の場所。初めて手を握られた日。 「記念日とか、思い出の場所とか、執着するほうじゃなかったんだけどなあ」和樹はそう言ってニヤリと笑った。「いつも覚えられなくて怒られてたクチで」 「俺は怒ったことない」 「……と言いながら、今怒ってるわけだな?」  そう言ったのは、涼矢が明らかに不機嫌な表情になったからだ。 「怒ってないよ」 「不愉快なだけ?」 「……そりゃあそうだ」 「元カノの話はすんなってか」 「当たり前だろ」  和樹はベッドから滑り降りるようにして、ベッドに背を向けて座っていた涼矢の背後に座り、その背中にしなだれかかる。 「涼矢くん、嫉妬深いよね」 「前からそう言ってる」 「そうだった」  和樹は涼矢の首に腕を回した。 「俺も結構嫉妬してんのよ、これでも」 「嫉妬するタイミングねえだろが」 「あるよ。今だって哲の話するし」 「だから、それは千佳が」 「千佳ちゃんがその話題を出すってことは、彼女から見ても、哲がおまえにとって大事な存在に見えるからだろ?」 「千佳が哲を好きなんだ。俺は巻き込まれてるだけ」 「彼女、今も哲のこと好きなわけ?」 「さあな。彼氏ができたとも聞いてないけど、普段は哲の話題も出ないし、よく分からない」 「おまえに女の子のこと聞いても無駄だったな」  背後から伸びてきた和樹の手を、涼矢は払おうとはしない。その手はやがて、涼矢の耳たぶをもてあそび始めた。 「くすぐってえよ」 「で、いつ?」 「何が」 「哲の帰国」 「七月、としか」 「帰国パーティーでもやってやんの?」 「しないって」そう言いながら、涼矢は耳元の和樹の手をつかむ。「ちょっと離れて。暑い」 「イケズやわぁ」  和樹は素直に涼矢から身を剥がす。が、今度はごろりと横たわり、涼矢の太ももに頭をのせ、膝枕の体勢を取った。 「暑いってば」 「なんでおまえ長ズボンなの」 「おまえのジャージだろ」 「や、貸したけど、別に無理に着なくてもいいだろ。短パン貸してやろうか?」 「短パンなら持ってきてる。けど、おまえがベタベタするから防御してんの。いつもすげえ汗なんだもん、このへんとか」  涼矢が和樹の後頭部に触れた。今もまた、汗ばんだ地肌で指先が湿り気を帯びる。 「防御しなくていいじゃないですかー。ベタベタしましょうよー」 「今はいい」  涼矢は持参したテキストをめくる。昨日から何やら難しい単語が並ぶ"それ"に涼矢を取られてばかりだ。一週間もすればまた地元に帰ってしまうというのに、この貴重な時間をそんなものに奪われるなんて、和樹としてはおもしろくない。――だが、知っている。"それ"はそんなもの、ではない。こうして一分一秒を惜しんで、ようやく手に入れられる二人の未来。二人の夢を叶えるために必要な修行。 「和樹も、長いの穿いたほうがいい」突然涼矢が言いだし、和樹はきょとんとした。「ズボン。短パンじゃなくて」 「短パンでいいだろうが。この暑い中、こんなの穿いてられねえよ」  和樹が涼矢のジャージ生地をつまむ。高校時代の部活ジャージだ。涼矢が来るときには部屋着兼パジャマとして貸すことが多い。最近では貸してやると差し出す前に、涼矢が自分で衣類ボックスから引っ張りだすようになった。そのせいで、さすがにかなり傷んでいるというのに、捨てどきを逸してしまっている。 「涼矢はこれ、自分ちでも穿いてるのかよ」 「いいや」 「なんで」 「ボロボロだったから捨てた」 「え。これも相当だと思うけど」 「うん。相当だな。俺のはこれよりはきれいだったけど、捨てた」 「じゃあ、なんでうち来るとこればっか」 「おまえのだからだよ。俺、都倉和樹の変態ストーカーだから」 「……」  そんなことを顔色一つ変えずに言う涼矢に、和樹はなんと返せばいいのか見当がつかず戸惑うばかりだ。

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