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第264話 Boy meets boy(4)
――ちゃんと部屋掃除しておけよ。シーツも洗って。
「お、おう。」
――絶対やらない返事だな。
「努力はする。」
――生徒たちの憧れの大人になるんだろ?
「努力は、します。」
――俺にとっても憧れの人なんだからさ。
「なーに言ってんだか。」
――本当だよ?
「顔だけ見てたうちはそうだったかもしれないけど、実際つきあってみたら大したことねえなって、もうそろそろ分かっただろ?」
照れ笑いをしながら、和樹が言う。
――俺、別におまえの顔だけ見てたわけじゃないし、今だって憧れの人だよ。
「あらそう、ありがとう。」
涼矢からのストレートな褒め言葉はさんざん聞かされてきたけれど、なかなか慣れるものでもない。ただ、そんなことないよ、と謙遜するよりは、こうして受け流してしまったほうが、照れくさい思いをする時間が短縮できることは学習した。
――会いたいな。
ふいに、呟くように涼矢が言った。
「ん? 俺に?」
――うん。一日が長いよ。俺もバイトでもしようかな。
「きみはお勉強しなさい。」
――おまえもだろ。
「俺だって勉強してるよ。教えるためには、結構いろいろ勉強しなきゃなんねんだから。案外難しいのよ、小学校の教科書。使っていい漢字も学年ごとに違うし。」
――ああ、そういう点では、こどもに教えるのって難しそう。方程式で解けば簡単なのに、中学入試だとXやY使っちゃだめとか、あるんだよな。
「良く知ってるね。」
――中学受験、問題集だけはやらされてたから。受けはしなかったけど。
「相変わらず何でもできるね、涼矢くんは。」
――そんなことないよ。まず、一銭たりとも自力で稼げてない。
「それは、やってないだけで、できないわけじゃないだろ。そんなこと言うぐらいなら、やっぱりちょっとはバイトしてもいいかもな。おまえだったら何でもできるよ。」
――法律事務所か?
「いいけど、哲と一緒じゃないとこ探せよ。あ、そだ、レストランなんて趣味と実益を兼ねていいんじゃないか?」
――飲食は……接客しないでいいならいいけど……いきなり厨房って入れてもらえるのかな。
「できるできる。でも、そういうのは学校と両立させるのが難しいからなぁ、日曜日だけでもOK、みたいな単発バイトもいいかも。」
――引っ越し屋とか。
「ああ、そうね。ま、おまえは金に困ってるわけじゃないんだし、適当にいろんなの経験したらいいんじゃないの。」
――そう言われると、坊ちゃんの道楽みたいで嫌だな。言われても仕方ないけど。
「そんなつもりじゃないよ。けど、実際、とにかく金ってわけじゃないんだからさ、いろいろ試せばいいと思うよ。あ、そうだ、モデルなんてどう? スカウトだってされたんだから。」
――絶対やらない。できない。
「ですよね。」
――何か、いいの見つかったらね。そのうち。
そう言いながら、涼矢は思っていた。アルバイトをしてみたいのも本心だけれど、入れなくても済む予定なら、なるべく入れたくないんだ、今は。……和樹に会えるチャンスが、いつ訪れるかも分からないのだから。
「ん。ま、とにかく楽しみに待ってるよ。」
――うん。
涼矢は電話を切ってから、考える。おふくろの職場か。渉先生も最初はそこに出入りする学生バイトだったはずだ。それが何故俺の家庭教師になったのかは知らないけど、哲がそこでバイトするという話も、あながちありえない話じゃないってことだ。今まで思いつきもしなかったけれど……。
涼矢は時計を見た。もう深夜0時を回っている。佐江子とは顔を会わせていないが、和樹との電話より前に帰宅した気配はあった。まだ起きてるかな。涼矢は階段を下りた。
リビングに入ると、ウィスキーの水割を片手にテレビを見ている佐江子の姿があった。
「起きてたか。」
「うん。どうしたの、トイレ?」
「違うよ。」幼児にでも聞くような言い方に涼矢は苦笑する。「あのさ、母さんの職場でバイトって募集してる?」
「バイト? あなたが?」
「友達。法学部の。」
「うーん、この間、ひとり入れちゃったばかりだからなあ。もうひとり増やせるか、所長に聞いてみようか?」
「いや、そこまではいい。まだ本人から頼まれたわけじゃないし。要は望み薄ってことだよね?」
「そうね。困ってるの?」
「ちょっと苦学生。」
「そうか。法律事務所がいいの?」
「ってわけじゃない。時給が高くて、水商売じゃないのが良い。シフトの自由度が高ければベター。」
「苦学生の割に贅沢なこと言ってるのね。」
「だから、本人に頼まれたわけじゃないって。俺がそう思ってるだけ。」
「あなたがそんな、友達のことで私に頭下げるなんてね。」
「頭は下げてねえ。」
「下げなさいよ、頼みごとしてんだから。」
「……何か心当たりがあったら紹介してください。お願いします。」涼矢は頭を下げる。
「ま。」佐江子はびっくりして居住まいを正す。「どういう友達なの、それ。あなたがそんなことするなんて。」
「普通の友達だよ。ただ、すげえ優秀な奴だから、バイトで勉強時間確保できないのはもったいなくて。」
「私にすんなり頭下げるほど、優秀なわけだ。」
「そう。……さっきから頭下げることにこだわってるけど、別に俺の頭にそこまでの価値ねえだろ。」
「あるよ、何しろ私が生んだんだから。せいぜい大事にしなさいよ。ま、とにかくバイトの件は探してみるから。なるべく早く返事するよ。」
そんな会話だけして、涼矢はリビングを出た。
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