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第266話 Boy meets boy(6)

 千佳はショートカットで、目がくりっとしていて、小柄で、手足が細い。涼矢が彼女を見た時の第一印象は「バンビ」だった。グループメンバーのもう1人の女子の依田響子(よだ きょうこ)は、千佳とは対照的に、ロングヘアはゆるくウエーブを描き、色白でむっちりと女性的な体型をしていたが、派手さはない。2人ともその外見の印象通りの性格で、千佳は活発で頭の回転も早く、よくしゃべる。響子は穏やかでおっとりした性格で、聞き役に徹していることが多かった。2人とも大学付属の高校から上がってきており、高校時代から既に仲も良く、今も同じ文学部に所属している。千佳曰く「腐れ縁」なのだそうだ。 「おーい。」少し離れたところから声がした。哲だった。哲は涼矢を見つけてすぐ近くまで来たものの、その付近にはひとつも席が空いていないことに気付いたようだ。「ありゃ、席、ないか。」 「ここ空くよ。」その声が聞こえたらしく、涼矢の向かいの席に座っていた男子学生が腰を浮かせた。つられるように隣の女子学生も立つ。 「ありがと。」哲は無遠慮に彼のすぐ背後に立ち、席が空くのを待った。男子学生は、女子学生の分の空いた食器を自分のそれに重ね、ひとまとめにしたトレイを手にすると、その場を去って行く。すぐ後に女子学生も着いて行く。2人は特に会話らしい会話もしていなかったので、カップルなのかどうかは分からない。だが、学食を出て行こうとする彼らをなんとなく目で追っていた涼矢は、込み合っている学食の席と席との間をすり抜けるのに、男がわざわざ片手でトレイを持ち直し、「はぐれるなよ」と言わんばかりに女の手を握って引っぱっていく光景を見た。その瞬間、いいな、と羨む気持ちが湧きあがり、またその次の瞬間には、慌ててそれを打ち消した。……なんだ今の、少女趣味的発想は。こっそりと感情を二転三転させている涼矢のわずかな表情の変化を、哲は見逃さなかった。 「おまえらだってカップルに見えるよ。」 「はぁ、何の話?」笑ったのは千佳だ。 「田崎が、今のカップル羨ましそうに見てたからさ。」 「るせえよ。」涼矢が吐き捨てるように言う。 「千佳、すげえ食うのな。ちっこいのに。」哲はカップルの話を引っ張る気はないらしく、今度はこんなことを言い出した。自分は学食で一番安いきつねうどんをすすっている。 「だってカツカレー、今日のサービス品だったんだもん。涼矢くんなんか、更に大盛りだよ。」 「おまえもよく食うだろ? ちっこいくせに。」涼矢は哲に言った。 「ちっこくないよ。おまえがデカいだけだ。」確かにその通りだった。哲は170cm前後で、大きくも小さくもない。それでも涼矢がそんな発言をしたのは、千佳の外見をからかったことを戒める意味だということは、3人とも理解していた。そして、哲はまた話題を変えた。「りょうちん、そのとんかつ、半分ちょうだい。」 「いきなり半分寄越せって図々しすぎる。その気色悪い呼び方をやめれば、1切れぐらいはやってもいいけど。」 「食べかけでいいなら、私のあげるよ。お腹いっぱいになっちゃった。」千佳の皿にはカツもカレーライスもバランスよく3分の1ほど残っていた。 「え、マジで。ちょうだいちょうだい。ありがと千佳ちゃん。」言うが早いか、千佳の皿を自分のほうに引き寄せた。「俺、今日、下手したらこの1食だけだからさ。栄養ここでしか摂れないんだよね。」 「何、その食生活。」涼矢が眉間に皺を寄せる。 「言わなかったっけ? 叔父さんとこ、食事出してくれなくなっちゃったんだ。あ、意地悪されてるわけじゃないよ?」哲は笑った。「俺、バイトのシフトばらばらで、いつ食べるのか分からないから用意するのが大変だって。その分、下宿代引いてやるから食事は自分で調達しろってさ。カラオケバイトの時はちょこっと賄いっぽい食いものあるけどさ、コンビニの時は廃棄弁当もらえるかどうか、その時まで分かんないし。今日はコンビニだから、食いっぱぐれるかも。」 「食べ物屋で働けば。居酒屋とか。賄いのあるところ。」涼矢が言った。自分も和樹にレストランで働いたらどうだ、と言われたことを思い出す。 「いくつか見たんだけどね、シフトが厳しんだよな。試験前だからって休ませてもらえないって聞いたし。」 「哲ちゃん接客には向いてると思うけどね、人あたりいいし、愛嬌あるし。」 「でっしょお?」千佳のそんな言葉に、哲はおどけてみせる。一方涼矢は、自分が接客業には向いていないことを改めて自覚した。 「哲、ウエイター、できる?」涼矢が言った。 「できるできる。」 「調理は?」 「簡単な盛り付けぐらいなら。」 「レジ打ちは?」 「できる。レジ締めまでやってたよ、バーの時。」 「そっか……。」 「何、なんかあんの、良いバイト?」 「一度、客として見に来るか? 俺んちのほうだから、遠いけど。交通費出るのかどうかは知らない。そういうのは自分で交渉して。」 「田崎にそんな伝手、あったんだ?」 「俺の伝手じゃない。おふくろの知り合い。」 「レストラン? 居酒屋?」千佳が尋ねた。 「料理の充実した飲み屋。」涼矢はそう答えながらも、それが妥当な説明かどうかは判断しきれずにいた。今ここで哲に紹介しようとしているのは、もちろん、アリスの店だった。  数日前。バイトの件を佐江子に持ちかけた翌々日のことだ。佐江子は比較的早く帰宅してきて、涼矢と一緒に夕食をとった。

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