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第267話 Boy meets boy(7)
「バイトの件なんだけどね。」佐江子の方からその話題を切り出してきた。「やっぱりうちの事務所は追加の人員は要らないってことだったの。それで知り合いのところにも当たってみたけど、今は募集していないってところばかりで。それでね、ちょっと閃いて、アリスに聞いてみたのよ。そうしたら、お店の女の子、私たちが行った時、ホールやってた子がいたでしょ、あの子が今月末辞める予定なんだって。その代わりに入れるならいいよって。彼女、小さい劇団で女優やってて、結構流動的なシフトだったみたいだから、その点はかなり融通がきくと思うわ。時給もそんなに悪くないんじゃないかな。あとは経験によって考慮するって。どう? 水商売NGって言ってたけど、アリスの店でもダメかな。」
水商売を避けたい理由は、哲の叔父が反対しているからでもあるが、涼矢自身も哲にそういう仕事に就いてほしくないと思っていたからだ。哲の叔父がどこまで知っているかは知らないが、少なくともバイト先の店長に殴られたことと、その店長とはバイトと雇用主以上の関係にあったことは知っているのだろう。涼矢はそれ以上の具体的なことを哲本人から聞いている。たとえば、一夜を共にしようと誘ってくる男性客がいること。それに哲が応じることもしばしばあったこと。倉田までも失った今、哲をそういう"不健全な"職場では働かせたくないと思っていた。
そういう意味では、アリスの店は心配なさそうだ。店の外装こそ怪し気だし、バーカウンターがあって酒も提供するし、何よりアリスは女装した怪しい中年男だが、逆にそんなアリスが常に回遊していることで、おかしな手出しをしようとする者はいないだろう。店内の雰囲気は明るく健康的で、酒を注文せず食事だけをして帰っていく客も何人か見かけた。確かにあの店なら。アリスなら。哲に辛い思いをさせるようなことはないだろう。
「本人に聞いてみる。」
「一応言っておくけど、アリス、ああ見えて商売にはシビアだから、私の紹介だからって甘やかさないと思うよ。そうだ、先に一度、お客として行ってみたらいいかもしれない。何せあのキャラだからね。相性もあるでしょうし。あなた連れていってあげなよ。アリスにも伝えておくから。」
そんな会話はしたものの、当の哲は講義が終わるとさっさとバイトに走ってしまってつかまらないし、かといって頼まれたわけでもないのに、自分からわざわざ電話で連絡をとる気にもなれないでいた涼矢だった。
そのまま数日過ぎてしまって、今、ようやくこの話題を出すことに成功した。それだけで一仕事終えた気分になる。だが、ここからが本題だ。
「お店行くんだったら、私も一緒に行っていい?」千佳が言った。
「別にいいよ。」涼矢は答える。「哲も、行ってみて、気に入らなきゃ断ってもらって全然構わない。」
「断らないよ。りょうちんが俺のために探してきてくれたんだろう?」
「やっぱ紹介すんのやめるわ。」
「うそうそ。田崎様。お願いします。何月何日の何時にお伺いすればよろしいでしょうか。」
「おまえのほうが忙しいだろ。予定に合わせるよ。」
「分かった。今日もこの後バイトだからさ、夜にでもシフト確認して、連絡する。響子も誘う?」
「そうだね、私もそのほうがいいな。でも、響子もデートやらバイトやらで忙しいし、全員揃わなくても哲ちゃん優先で決めていいよ。」
「了解。」涼矢が答えて、その場は終わった。
その晩、予告通りに哲からメッセージが来た。レポートの時に作ったグループ宛てだったから、千佳も響子も同時にその内容を見て、各自が返事をする。結局3日後の夜に決まった。だが、せっかく誘った響子はデートの先約があって不参加になってしまい、哲はそれをひとしきり冷やかした。
[彼氏ってバイト先も学部も同じ先輩だろ? バイトでも会って大学でも会って、その上デートするの?]
[そうだね、ほぼ毎日会うよ~] 響子は臆面もなく答える。
[ラブラブ]
[ラブラブですよー]
[俺のバイトの心配より彼氏優先かぁ]
[それは当たり前でしょ] これは千佳だ。
[響子のバイトって何] これは涼矢が聞いた。
[土地家屋調査士事務所]
[??? それはどんな仕事なの?]
[詳しくは検索して~ 説明するの大変だから(笑) 私も彼も雑用だけどね 公図の謄本取りに行くとか]
[難しそう]
[難しくないよ(笑)]
それからいくつかの雑談をして、会話は終わった。
涼矢は律儀に「土地家屋調査士」を調べた。それにより、「実際の土地の物理的な状況を正確に調査、測量を行う」といった概略を把握した。土地や家の売買の時に必要になってくるらしい、ということも。
いろいろな仕事があるんだな、と思う。自分は早々と弁護士という職業に将来を定めてしまったから、それ以外の職業については細かく考えたことがない。そう言えば和樹は、自分の将来が何も決まっていないことの不安を何度か口にしている。正直、「将来の2人の関係」ならともかく、そういう、「就業」に関して抱く不安には共感できないでいた涼矢だった。
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